自分探しの敬和学園で 人を、自分を、好きになる。
2010/01/20
みなさんの新年はどのように始まりましたか。
みなさんを迎えて今日から敬和学園の2010年が始まります。
そこで新しい年を始めるに当たって、敬和生として何を大切すればいいかを一緒に考えたいと思います。
「サタンの敗北」というフランスのお話があります。
ある日、天国からイエス・キリストと弟子のペトロが地上に降りてきます。
イエスさまの旅の目的が何なのか、ペトロにはわかりません。
ペトロにわかっているのは、その日は天候が悪く、途中でびしょびしょになり、旅行には不向きな日だったということです。
ペトロはぷりぷりしながら、イエス様についていきます。
さらに困ったことが起こりました。
旅の途中で日が暮れてしまい、泊まる宿屋は探しても見つからず、ようやく一軒の宿屋を見つけたのは夜中でした。
さらに困ったことに、彼らは無一文、まったくお金を持っていませんでした。
ペトロはベッドの上で、明日の朝、お金がないことを、宿屋の主人にどんな風にいいわけしようか考え始めたら、眠れなくなりました。
ところが、翌朝、イエス様は食事を食べ、出発する時になって、宿屋の主人に次のようにいったのです。
「私たちは、イエス・キリストと弟子のペトロであるが、あいにく持ち合わせがない、そこで別のもので支払いたい、自分たちは2人いるので、おまえの願いを二つかなえてしんぜよう」
みすぼらしい身なりの男にこういわれて、いつもなら、宿屋の主人は「バカ野郎」の一言で二人を役人につきだすのですが、その日に限って宿屋の主人はみすぼらしい男のこの申し出を素直に聞いたのです。
そのわけは、実はその宿屋の資金繰りがうまくいかず、その日は5年前にサタンから借金をした返済日だったのです。
もし借金を返せなければ、主人はサタンに自分の魂を渡さなければならないことになっていたのです。
そのため朝から、何事にも上の空で、みすぼらしい男のたわごとに、まあ、こんな男を助けたことを神様が見ていてくださって、特別の思し召しがあるかもしれない、とふっと考えたわけです。
主人は自分の希望が叶えられるなどとはまったく考えていませんでした。
ですから、主人の希望はふざけていました。
① 彼の薦めでイスに座った人間は、彼の許可なしには立ち上がれないこと、
② かつて、ダンスホールで笛吹きをしていた彼が、笛を吹いたら、周りの人間はみんな踊り出し、殴り合いを始める、というものでした。
この二つの希望から、宿屋の主人がイエスさまの申し出を真に受けていないのはありありです。
その夜、サタンの息子が父親の代理で、宿屋の主人の魂をもらい受けにやってきました。
仕事が終わっていなかったので、紳士であったサタンの息子は、すすめられるままに、イスに座って待つことにしました。
ようやく一段落つき、さあ、地獄までご一緒しましょうと、立ち上がろうとしたのですが、立ち上がれません。
服がひっかかっているのかと思ったサタンの息子は次の瞬間真っ青になりました。
イスにぴったりくっついているのは,服ではなく皮膚だったからです。
サタンの息子はことの重大さに気がつき、この難儀から逃れなれるなら、何でもしましょう、と宿屋の主人に頼みました。
ことの次第を見ていた主人は、そこで初めて、その日の朝のイエス様の言葉が本当だったことを知りました。
そこで、宿屋の主人はサタンの息子に借金をもう5年待つという約束をさせます。
しかし、5年はあっという間に過ぎ、借金も返せず、今度はサタン自身がやってきて、彼を引っ立てることになりました。
その日、宿屋の主人は、地獄は楽しいところではなさそうだから、笛を持って行かせてほしいと頼みます。
地獄の裁判所で判決を受ける段になり、宿屋の主人は懐から笛を取り出し,吹きはじめます。
すると、周りにいた役人や番人がみんな踊り出し、そのうち、殴り合いを始めます。
大騒動に何事が起こったかと、サタンの娘達が顔を出します。
その途端に彼女たちも踊り始め、手に持っていた道具で殴り合いを始め,血を流し始めます。
ここにいたって、サタンはどうすることもできず、宿屋の主人に借金を棒引きにするから、笛を吹くのをやめてほしい、そして、2度と地獄に来ないでほしいと頼みます。
ペトロはことの成り行きを知って大いにびっくりします。
そして、イエスにいいました「イエス様、あなたがなさることは、すべてそれぞれ、それ相当のわけがあるのでございますなあ」。
宿屋の主人が危ない状況を乗り越え、大きな恵みを得たのは、彼に先を見通す力があったからではありません。
偶然の結果といえるかも知れません。
ただ、このいい加減な話の中ではっきりしていることが一つあります。
それは宿屋の主人が助けられ、恵みを得ることになったのは、夜中にずぶぬれになって、宿を求めてきたみすぼらしい二人の男を泊めた、助けたということからです。
イエスとその弟子を助けたということ、それは今日の聖書の言葉であり、敬和学園の建学の精神「神を愛し、隣人を愛する」を具体的な行動を通して行ったということです。
キリスト教の生き方の原点に立ったということです。
わたしたちは毎日の生活の中でしばしば、自分の力や知恵では解決できないことにぶつかります。
そのときにどうするかを「サタンの敗北」という話が教えてくれます。
それは原点に戻る、原点に立ち返るということです。
敬和生として敬神愛人の精神を思い起こして、そこからもう一度自分探しを始める、そうした姿勢をもつことです。
原点、出発点に立ち返ることによって、不必要な思い煩いや悩みから解放され、今を生きる、あるいは課題を担うのに必要なエネルギー得ることができるのです。
そのことをしっかり心に刻みながら、新しい年共に歩んでいきましょう。