自分探しの敬和学園で 人を、自分を、好きになる。
2010/01/20
~迎春~
いよいよ後期後半がスタートしました。家の事情で帰寮が遅くなっていた生徒も無事に戻って、晴れて全員集合!英気を養って帰ってきた寮生たち。
しっかりと新学期がスタートできるように、休息のひと時を過ごし、団欒の時を持ってきたのでしょう。無事に寮に送り出して下さってありがとうございました。
ここ新潟では、クリスマスに25年ぶりの豪雪に見舞われ、新学期早々の入試の日にも、またもや豪雪に見舞われました。それでも庭の木々には新芽が春の到来を告げています。
2009年度最後の学期、それぞれの学年の集大成の時。しっかりとサポートし、生徒一人一人が実りある生活を満喫できますように思いを新たにして、寮教師としてがんばって参ります。
寮生活についての心配事、何かしら御用等ございましたら、どうぞお気軽にお申し出くださいませ。本年も宜しく御願い申し上げます。
<成人を祝福する会>
1月10日に38回生卒業生のための「成人を祝福する会」がチャペルでありました。
集まったのは約110人余りの卒業生たち。その中には8名めぐみ館生もいました。彼女たちは前日から集合して、大西晴子先生宅に宿泊させていただいていました。
祝福する会の前の夜9時前にめぐみ館に38回生が来て言いました。
「先生~!9時に先生が回る各部屋点呼に、一緒に回ってもいいですかあ?」
懐かしの寮生活!復活願望なのでしょうか。
ご要望にお答し、38回生が私たち教師と一緒に点呼しました。
38回生と言うことは、現在の3年生40回生が1年生の時の先輩にあたります。その卒業したはずの先輩がいきなり点呼に現れたのですから、ベットで寝ていた生徒は、「夢?」と、目をパチクリ。また、他の部屋では、「絶叫!」、そして驚きすぎて涙してしまう生徒などなど・・・ドッキリの巻でした。
そんなドッキリも、すぐに再会を喜び合う声に変わり、一緒に写真を撮ったり、40回生も事務室に集まって、38回生との再会を喜び、近況を知らせ合って、消灯時間直前まで、歓談の時を楽しんでいました。
40回生は卒業していく自分と重ねるところがあったのではないでしょうか。どうぞ、皆さんも大人になっていくその門出には「めぐみ館」に帰って来て、驚かせてください!
そして38回生の皆さん!本当によく来てくださいました。
(榎本かな)
<つれづれに・・・(またまた携帯電話話題ですが・・・)>
うれしい事・・それは今年度、携帯電話について、私たち教師からめぐみ館生に注意を促した事は一度も無かったことです。加えて嬉しかったことは、こっそりと持ち込んでいた生徒が、仲間に注意され「今は持つべき時では無かった」と反省をして、消灯後に事務室の教師の所までやって来てくれたことです。
自分達でめぐみ館を運営していく中で、注意できる関係が育ち、館の中に自浄作用が生まれているということではないでしょうか。
「心の友、携帯電話」という時代に、携帯電話でのコミュニケーションに頼らない生活をしてみる!という事は、なかなか容易な事ではありません。
隠して持っておこうと思えば、いくらでも、隠せます。でも、めぐみ館の3年生は誰一人として持っていません。必然的に「持てない空気」が漂います。そして、携帯電話の無い生活に慣れてくると、「持たない方が、気楽だ」と感じ始める生徒は少なくありません。一見、不自由なルールですが、「携帯電話を使わない生活」をしているうちに、不自由だと感じていたルールが「自分を守る」、「本当の自由」の為と理解を深めるようになります。「ルールが何のためにあるのかと言う本質」を感じることが出来るようになってくるのです。それが、自分達を律して自分達の寮を運営し、何か問題が起これば、しっかりと向き合うと言う自浄する力を育むのでしょう。
(榎本かな)
<時は金なり>
まだ暗い朝、チャペルの玄関の雪かきをしている男子、そしてチャペル内の掃除をしている男女数名。毎週金曜の早朝6時。
朝6時からの掃除はその30分後から始まる早天祈祷会が始まるまで自主的な集まりでされているのだから、感心せずにはいられない。
時は金なりとはよく言ったもので、朝4時が一番集中しやすい時間で、朝に勉強や、掃除をすると効率がよくなると言うのは皆の知るところ。。。
そんな黄金の時間に自らチャペルの掃除をし、早朝の礼拝で講話を聞く高校生がこの日本にどれだけいるでしょう。
早朝のそれに来ている生徒がその黄金時間だから出てきているのではないのですが。
その掃除の始まりはこんな事らしい。
ある日のこと。掃除監督だった冨井先生がチャペルに行くと何だかゴミが落ちているのが目に付いたらしいのです。次の日は結婚式場になるのに、これは宜しくないということで1人で掃除をしました。すると、声楽部の女子が「せんせ~何1人で掃除してるんですかあ」
冨井先生が事の次第を話すとその生徒は「私も手伝います!」
冨井先生は、声楽部ならずとも生徒達のアイドル的存在。その先生が1人でヒッソリチャペルの掃除をしていたのが何かしらその生徒の心に強いインパクトを残したのは、言うまでもありません。そしてその掃除がその一回では終わらなかったのです。
女子生徒は、しばらくして冨井先生に
「せんせ~!私、チャペル掃除、早天祈祷会の前にしようを思います!!せんせ!」その告白!?は、「せんせー!一緒にやりましょー」と言うものでした。
それが、早天祈祷会前の掃除の始まりです。
で、冨井先生が参加しているかといいますと・・・冨井先生はここだけの話しですが、大の朝寝坊さんなのです。あしからず。朝は黄金の時ですよ、冨井先生^^
(榎本かな)
<礼拝の話>
Y.H.
今回は、なぜ私がこの敬和学園にきたのかをお話したいと思います。この話を書くと決めていたのは、1年生の頃からでした。
中学生の頃の私は、毎日学校に自転車で通っていました。制服をきちんと着て、特にスカートを短くすることなく、ひざたけのスカート、白ソックスでした。家は仏教です。学校生活は、特にこれと言って大きな問題などはありませんでした。クラスの友だちと毎日ペチャクチャ話して放課後は吹奏楽の練習をしていました。ちなみに楽器はSAXでした。家庭環境も特に問題なしでした。姉が高校の寮に入っていたので、姉がいない間の平日は、お母さんも、おばあちゃんも私に目をかけてくれていたので幸せでした。中学校の成績も普通。出席日数も足りていた私。地元の公立にだって行けた私が、なぜこんな遠くて、知り合いもいない敬和学園を志したのでしょう。
それには2つの理由があります。まず1つ目は、地元を離れたかったのです。友達と仲が悪かった訳ではありません。今でも帰れば遊んでいます。ですが、中3の私は、「みんなと同じ高校なんてつまんない。もうみんなと同じはあきた。自分は誰も知り合いがいない所で一からやってみたい。」なんて、今だから言葉にして表わすことができますが、中3の私は言葉に表わすことができませんでした。だから親と先生には適当な言葉で表していました。中3のガキンチョはなぜか、一からやることに対して、不安もなく、ただ楽しみでした。高3の私が今思うと「地元という枠がいやだったのかなぁー」と思います。でも、こっちに来てすぐ恋しくなってしまいました。
2つ目は、親の言う通りになりたくないと思ったのです。私には2才上の姉がいます。姉は私立の女子高に通っていました。姉も寮に入っていました。私の姉はなかなか勉強のできる人でした。その陰にものすごい努力があります。姉はその努力を結果に出していました。
私は、そんな姉がうらやましい反面、大キライです。高校の先生も、親も「すごい努力家!」と言っていたからです。中3の私は、「姉と同じ高校に行ったら学校の先生にもお母さんにも比べられる」と思いました。中3の私は姉のように努力しました。テスト習慣は夜9時に寝て、1時か2時に起きて勉強。ですが、それが結果として現れなかったのです。私にとって姉は、尊敬する反面、大キライな存在でした。しかし、今は大キライな存在ではなくなりかけています。時間が解決してくれたのかもしれません。
母にも、「お姉ちゃんと同じ高校に行けば?」などと、ずっと言われました。私が敬和に行くと決めて、それを母に話すと「あんな遠くに行っちゃうの?大丈夫?お姉ちゃんと同じ高校に行けばすぐ帰ってこられるよ。」などと説得される毎日でした。時にはお互い涙を流すほど話し合いました。この母との話し合い中、私は何度も母を傷つけることを言ってきました。「お母さんは、結局お姉ちゃんが好きなんじゃん。」「お姉ちゃんの高校が好きならお母さんが行けば。なんでお母さんの言う通りにしなきゃなの?」「自分の行きたい高校に行きなって言ってたのお母さんじゃん。うそつき。お母さんも口だけじゃん。」など、こんな言葉が毎晩私とお母さんの間でとびかっていました。そして、私はふてくされてお風呂に入って寝ていました。
中3の私は、もしかしたら母から離れたかったのかもしれません。きっと。だから私は敬和に来ました。
敬和に来てからあっという間に3年が過ぎようとしています。3年前の私と今の私、きっと大きく成長できたと思っています。私は敬和に来たことを人生の転機と思っています。そのくらい、ここの生活は実がつまっていたのだと思います。残り少ないここでの生活を大切にしたいと思います。