のぞみ寮通信

めぐみ館

2014/05/15

めぐみ通信 (2014年5月13日)

寮祭おつかれさま!

 今年の寮祭、どうでしたか?ご家族の皆さまも参加して下さり本当にありがとうございました!ガーデンパーティーではたくさんの美味しい食事を共にすることが出来ました。また劇やダンスをする姿に、笑い転げたりこんな一面があったんだ!と嬉しい驚きをいっぱい感じました。みんな、おつかれさまでした!

 その当日を迎えるにあたっての裏側をここで少しご紹介したいと思います。1年生の保護者の方々で、当日生徒に会ってその可愛く変身した姿にビックリした方も多いのではないでしょうか?実は、劇に出る1年生達のメイクや髪型のアレンジ、衣装など、とびっきり可愛くなるように!と2年生たちがスタイリングしてくれていたものなのです。1年生のみんなは恥ずかしがりながらも嬉しそうにニコニコ笑顔。実はこの光景、1年前に今の2年生が先輩からしてもらっていたことそのまま!こうやって「されて嬉しかったこと」が伝統となって続いていくことってすごく素敵ですね。

 

 また、寮祭や日々の1年生への関わり方について、2年生である46回生は春休み前からたくさんの話し合いや準備を行ってきてくれました。その中で、「47回生が入って来てくれたことで、今まで意識していなかったところで、自分たちが1年生だった時に45回生の先輩方が私たちと関わる上でどんなに試行錯誤してくれていたか、言葉や行動の中の気遣いや優しさに改めて気付けた」という声をたくさん聴くことが出来ました。そして、もっと先輩と仲良くなりたい!もっと先輩を知りたい!自分たちを知ってほしい!と、お部屋の先輩と時間をつくってラウンジなどで話している姿を見ることが増えました。

 そんな先輩達の関わりが伝わっているのか、1年生からも「先輩方が好き!K先輩は、いっつも笑顔で元気いっぱいに挨拶してくれて、すっごく嬉しいんだ!」「K先輩はいつも、○○大丈夫かな?って気にかけて声かけしてくれるんです!」というような話を聞いています。嬉しいなぁ~。みんなの関係づくり、館作り、応援しています!(会田)

 

 

 

かわいいの~☆

 4月26日(土)寮祭が行われました。47回生が入寮して1週間後からお楽しみ会のための劇・ダンスの練習が解禁となり、おおよそ10日間ほどで仕上げるのですから、みんなの集中力と記憶力と演技力と…全てが大したものだと感心させられます。

 寮祭では2部の出し物で1年生が主演を、2年生が脚本・監督を、3年生は1部の食事会のサービスを、と役割があります。寮生活の3年間で3回の寮祭を経験しますが、毎年担う役割は異なります。そしてその準備は実は春休み前からスタートしているのです。3年生は寮祭のテーマ決めや献金先の決定や食事メニュー決めなど、各委員会で動き始めます。2年生は主演の1年生を輝かすための脚本作りに精を出してくれていました。

 3年生の委員会は寮務教師たちと共に行うので、その内容は知れ渡っているのですが、1・2年生で作り上げる出し物については実はトップシークレット扱い!脚本内容はもちろんの事、その練習さえも極秘のうちに行われているのです。それでも、カチコチだった1年生の表情が日に日に柔らかくなり、小さかった声が大きくなり、先輩との関わりもどんどん増えていく様子から、極秘練習もステキな物である事が伺えて、「どんな出し物を考えているのだろう」と、不安ではなく楽しみでワクワク待っていられる私たちが居ました。

 ある夜の事、2年生数名が眠い目をこすりながら新聞を丸め、ガムテープで補強し…と何やら作業をしていました。「何やっているの?」と聞くと「劇の小道具を作ってて…」とのこと。「へ~。」なんて言いながら、今がチャンス!と「劇の練習どんな感じ?」と探りを入れてみました。すると、2年生たちの目がパッと輝き、「も~うね~、1年生可愛くって~!」と。それから小道具を作る手をも止めて、キラキラした顔で、いかに1年生が可愛いかの話をたっぷり聞かせてくれました。こんな風に1年生の事が愛おしくなれる2年生たちの心に嬉しくなり、そんな風に想ってもらえる1年生たちがうらやましくもありました。

 1年生の時にたっぷり先輩から愛情を与えてもらえるから、2年生になった時たっぷり与えられる側になれるのだなぁと改めて感じました。2年生が「1年生かわいい!」とキラキラ言ってくれるのは、3年生が2年生をたっぷりかわいがってくれているから。2年生が1年生をたっぷりかわいがってくれているから、来年の1年生もたっぷり愛情もらえるな!ともう早来年までも「安心・安心」なんて思ってしまいます。気が早いかな(笑)。めぐみっ子42人姉妹で助け合い、支え合い、笑い合い、ステキな関係づくり、ステキな館づくりをしていって下さいね!いつも祈っています!(森口)

 

 

礼拝のお話

3年 K.M

 みなさんは、礼拝に意義はあると思いますか。なぜ私たちは礼拝をするのでしょうか。ほぼ毎日朝と夜に礼拝をする私たちは、何を求めているのでしょうか。ここ敬和に入ったからには礼拝はつきものです。半強制的なものかもしれないけれど、きっとそれには意味があると思うのです。

 まず、結論からのべてしまうと、私たちにとって礼拝は、一人になって人の話に耳を傾けて考えるためにあると思います。私はクリスチャン(キリスト教信徒)ではありません。みんながよく言う「困った時の神頼み」はよくするけれど、神様に祈って安心するという感覚も実際のところよくわかりません。しかし、それが大事なことであると私は知っています。

 今、私の話を聞いていない人はどれくらいいるでしょうか。聞き流している人もいるかもしれません。真剣に聞いている人もいれば、早く終わらないかなぁなんて思っている人もいるかもしれません。いつかの礼拝で、「礼拝とは一人になる時間のことだ」と言っている先生がいました。物理的には問題がありますが、もっとも精神的な面においては、まったくその通りだと思います。だから礼拝という一人の時間、何を考えようが、何に思いを馳せようが自由なわけです。そこでの思いが何かにつながるかもしれないという可能性を否定することは誰にもできないからです。

 ですが、礼拝は一人でありながら多数と同じ空間にいるという、大げさに言ってしまえば不可思議な時間でもあります。そんな時間に繰り広げられる多種多様なお話。このお話はしっかり聞いてみると、意外な新しい事実を知ることができたり、現実を見直すことができたり、もしかしたら悩み事を解決の道へと導いてくれたり、と私たちにとってお得なことばかりです。そして、その中でも特にお得なことだらけなのが寮の各館礼拝だと私は思っています。お話の当番がまわってくる頻度はあまり多くはないですが、こんなにも一人一人の考えや思いを全員が受け止める時間を持つ高校生はあまりいなでしょう。だから、礼拝と言う時間、一人でいるこの数分間、同世代の仲間の言葉にぜひ耳を傾けてみてください。人にはそれぞれ見えている世界が違って、価値観も感じていることも違って、受け入れがたかったり、考えることによって悪い方に導かれてしまうこともあるかもしれないけれど、それは何もしないことに比べれば、はるかに無駄にはならないことだなと思います。

 私は、生きることとは考えることだと思っています。つまり、考えることが私たちを生かしているということ。毎日毎日同じことの繰り返し、苦しくて大変なことばかりかもしれないけれど、少し視点を変えて1人になって人の話に耳を傾けてみると気付かされることがあるはずです。

 変わるものと変わらないものと変わってしまうものと変えられてしまうものと、変わりたいのに変わらせてもらえないものが心の中にはあります。そしてそれを得ることができる一つのことというのは、考えることだと思います。生きている間に起こることに何ひとつ無駄なことはありません。それが正しいという確証は全くないから、少なからずそうあってほしいと願っているだけかもしれません。だからこそ、今、礼拝と言う時間を大切にしてほしいと強く思うのです。考えること、というのはとっても簡単なことです。私の話でなにか考えて頂けたらとても幸いです。