自分探しの敬和学園で 人を、自分を、好きになる。
2014/05/15
先々週の休みの日に新潟教会でバザーがありました。
敬和学園からは寮生やラグビー部の人たちが手伝いに行ってくれました。
私は教会の隣の駐車場に立てたテントの中で、焼きそばとたこやきを焼きました。
バザーは準備も大切ですが、後片付けもしっかりやる必要があります。
特にお隣さんから借りた駐車場ですから、焼きそばとたこ焼きを焼いている最中にこぼれた野菜やソースなどが下に落ちます。
アスファルトにこびりついているので、それをきれいにしなければなりません。
そこでホースで水を流しながら、デッキブラシでゴシゴシこするわけです。
作業がおもしろいように見えたのか、子どもたちもゴシゴシ、シャカシャカに加わりました。
その最中のことです。
子どもが使っていたデッキブラシが根元からボキッと折れたのです。
私は一瞬ある場面を思い浮かべながら言いました。
「折れたブラシでは飛べへんなあ」。
私が思い出した場面は「魔女の宅急便」のクライマックスです。
飛ぶことができなくなっていた主人公のキキが、デッキブラシまたがり飛んでいくシーンです。
「魔女の宅急便」は角野栄子という児童文学者の作品です。
宮崎駿監督よってアニメ映画になりました。
魔女は13歳になったら、一人暮らしをしながら修行するとの、昔からのしきたりに従って、キキはネコ・ジジを連れてコリコの町で生活することになります。
そして彼女の魔女として能力である「空を飛ぶ」を使って宅配便の仕事を始めます。
キキはそれなりの苦労をしながら、同時に周囲の人に助けられながら、順調に成長していくのですが、ある時それが根底から崩れます。
突然飛べなくなってしまったのです。
ネコのジジの言葉もわからなくなりました。
私は絵が下手です。
目の前のものを見て正確に書き写すことが苦手です。
そういう私ですが、幼稚園や小学校低学年の頃までは、絵を描くのが上手な子どもと言われていました。
図工の成績も悪くはありませんでした。
今でも覚えているのは、近所の絵画教室「どろんこアート」の先生が「二巳夫君の絵はいいですね。どこか違いますね」と母親に話していたことです。
それが、大きくなると共に、いつの頃からか、うまいねとはいわれなくなりました。
確かに授業などに提出する作品を見て、自分でも上手とは思えませんでした。
大げさかもしれませんが、私は絵を描くことに次第に挫折していくわけです。
そのような挫折感を経験している人、私だけではないでしょう。
キキの飛ぶ能力は元々彼女が生まれ持ったものでした。
それが成長するにつれて、飛ぶ能力を低下させることがあれこれ出てきます。
例えば飛ぶことへの不安やおそれです。
落ちたらどうしよう、なぜ私は飛べるのだろう、と考えたら素直に飛べなくなります。
うまく飛べないと恰好が悪い、宅急便の仕事に差し支える、と考えたら飛べなくなります。
キキが飛ぶことに憧れてくれていたトンボ君の関心はいつの間にか飛行船に移ります
そのためにキキは飛行船には負けたくない、私の方が格好いいはずと嫉妬します。
こうした心の乱れが、無意識のうちに飛べていたものを、飛べなくさせました。
キキは飛ぶことに挫折をしたのです。
私が小さい頃、何のために絵を描いていたのかと言うと、それはただ絵を描きたかったからです。
絵を描くこと自体が楽しかったのです。
それが、年齢が上がるにつれて、図工や美術でよい成績を取りたい、周りから評価されることが絵を描く目的になっていったのです。
13歳というのは思春期の始めです。
思春期というのは、昨日まで自分が自分であることに何の疑問も感じなかった子どもが不意に自分とは何だろうと考え始めることです。
そのために心と体のバランスが調和しなくなります。
誰かの言葉に無性に腹が立ったり、わざと憎たらしいことを言い、態度をとる。
自分のことや周りのことを不自然に感じるとの心の乱れが起きるのが思春期です。
そして16歳から18歳のみなさんは思春期の中盤から後半を生きています。
思春期を体験するキキが飛べなくなるのは、ある意味必然です。
今まで自然にできていたことができなくなったキキが教えてくれることがあります。
それは、人は持って生まれた能力や才能だけではやっていけないということです。
その能力を本物にするためには、成長しなければならない、大人にならなければならないということです。
この場合の成長する、大人になるとはどういうことでしょうか。
飛べなくなっていたキキがデッキブラシで再び飛べるようになったのは、トンボ君を救いたいからでした。
彼女の能力は救いや助けを必要としている他者のために使われようとしたとき、再び力を持つことになったのです。
このことからわかるのは、その人が持つ、つまり与えられた能力や才能は、その人の楽しみや豊かさのためだけのものでなく、他者のためにという視点や考えを持ったとき、それが本物になるのです。
つまり私たちが持つ能力、その人だけの才能は社会性を持っているということです。
その社会性に気づき自覚することが、人間的に成長する、大人になるということです。
社会性を身に着けるために、思春期にさまざまな方法で学ぶことが必要なのです。
そのために学校があり、みなさんは通っているのです。
敬和学園が「自分探し」を大切にするのも、しっかりとした社会性を思春期に生きる人に身に着けてもらいたいと考えているからです。
聖書にはイエス・キリストが行った奇跡がたくさん書かれています。
病気の人を癒す話、5000人を2匹の魚と5つのパンでお腹いっぱいにした話。
これらに共通するのは、イエス様は自分の能力を他者の命を救うために、痛みや悲しみを癒すために、使われていることです。
イエス様がそのような活動を始めたのは30歳を過ぎてからです。
30歳になって急に奇跡を行う能力を持つようになったのではありません。
イエス様もまた自分の能力のことで思春期にはたくさんの挫折を味わっているのです。
そのことが今日の言葉からもわかります。
家族や身近な人たちとうまくやれず、受け入れられなかったのでしょう。
神の子イエス・キリストが挫折をしたことに私は親近感を覚えます。
そのイエス様が自らの能力を他者のために使うことによって、大きく輝き始めるのです。
それによって、多くの人たちが救われ、生きる力を取り戻しました。
自らの生き方の中で、どのように生きたらいいのかを教えてくれるイエス・キリストを受け入れることによって、私たちもまた輝きと豊かさを持つ毎日を生きることができるようになるのです。
このことに大いに励まされながら、新しい1週間に取り組んでいきましょう