毎日の礼拝

校長のお話

2014/04/14

「命張るより切手貼れ」(マルコによる福音書14章66~72節)

敬和学園の2014年度が本格的に始まります。

47回生は高校生活が始まりました。

46回生はクラス替えがあって新しい人間関係を築かなければなりません。

45回生は10か月後には卒業を迎えます。

進路を決めなければなりません。

同時にフェスティバルを2か月後に控えて、そのための取り組みも本格的になります。それぞれ学年によって違いますが緊張感があるのは同じです。

私たち教員職員も緊張しています。

その私が毎年この時期に自分に言い聞かせている言葉があります。

それは「命張るより切手貼れ」です。

命「張る」の「はる」は緊張の帳です。

「切手貼れ」の貼るはノリではる、とかテープではる、という時の「はる」です。

 

 

私がこの言葉に出会ったのは今から30年前でした。

その年の4月、私は北海道の札幌にある教会の牧師になりました。

33歳でした。

京都の教会で働いていたのですが、札幌に新しく教会が作られるので、そこに行ったらどうですか、という話があったのです。

「どうですか」というのは、考えて下さいと言うことではありません。

あなたの行先はそこしかありませんよ、との意味です。

今、北海道の教会で働くことはある種の憧れを持たれますが、当時は牧師としてはあまり期待されていないということでもありました。

私には妻と小学校1年生になる息子がいました。

これから先のこと、生活のことを考えたら、行かないわけにはいきませんでした。

何が何でもやるしかなかったのです。

ですから、しっかり働いて、教会に来る人を増やして、まわりから評価されるようになってやろうと、悲壮感がありました。

ずいぶん肩に力が入っていたと思います。

そうして始まった札幌での牧師生活、頼まれた仕事はできるだけ引き受けました。

若くてそこそこ働くとなると、あれこれ頼まれることが多くなりました。

ある集会で意見を求められ時のことです。

私は自分が強い決意を持ってその活動に関わっていきたいとの気持ちを表したいこともあったのでしょう。

正確な言葉は忘れましたが、人生をかけて、命を賭けて、活動をしていきたい、のようなことを語ったのです。

私の言葉にみんな喜んでくれるだろうと思いました。

発言を終わって座ろうとした私に、ある人が言われました。

「小西さん。命貼るより切手貼って下さい」。

「命を賭けて取り組む、命を張る」との行動や発言は格好いいわけです。

けれどそのような姿勢は緊張感を持ってやり続けることはできません。

いずれ緊張の糸が切れたようになって終わってしまうのです。

それに対して「切手を貼る」とは、自分たちの活動を伝えるために作った会報や報告書を郵送するために、あて名書きをしたり、切手を貼ったりという地味で地道な活動をするということです。

どちらが本当に意味あることなのかと、私は問われたのです。

 

 

先ほど読んでもらった聖書にはペトロという人が出てきます。

ペトロはイエス・キリストの一番弟子と周りから思われ、自分もそう思っていました。

そのペトロにイエス様は、自分はもうすぐローマ兵に捕まえられ、十字架で殺されることになる、お前たちは私を見捨てて逃げるだろう、と言われたのです。

するとペトロは、それを打ち消すように、私はどこまでもあなたについて行きます、もしもの時はご一緒に死んで見せます、と自信満々に大きなことを言ったのです。

ところが実際そういう場面になった時、彼はあっさり逃げてしまいました。

さらにイエス様がどうなったのか、不安になって様子を見に戻ってきた時に、そこにいた女の人から、あなたはイエスの仲間だろうと、指さされます。

すると、イエスなどという人間など知らない、私には関係ないと言い切ったのです。

すると、それを待っていたかのように鶏が鳴きました。

同時にイエス様が言われた言葉を思い出したのです。

72節「鶏が二度鳴く前に、あなたは私を三度知らないと言うだろう」。

そこで彼はハッと気づきます。

そして泣き出します。

ペトロが泣き出したのは、自分が余りにも情けなかったからです。

私が体を張ってでもあなたをお助けします、と大きな口をききながら、実際にそうなったら、簡単に大事な人を裏切ってしまったのです。

そういう自分がみじめで情けなくて泣いたのです。

イエス様は自分を許してくれないだろうと思いました。

その情けないペトロがしばらくすると、実に誠実な働きをするようになります。

彼は何に気づき、そして変わったのでしょうか。

それはイエス様が「お前は私を裏切るだろう」との言葉でもって許されていることにです。

大したことのない自分にもできることがたくさんある、それにしっかり取り組みなさいと、促されていることに気づくのです。

ペトロはこの出来事を通して、一日一日を誠実に生きることが、一人の人間にとっていかに意味があり、大きなことなのかを知ったのです。

 

 

ペトロはまさに「命張るより切手貼れ」を生きることになります。

このペトロの生き方に、学校生活をどのように過ごせばよいのかが示されます。

私たちが大切にするべきこと、それは朝の礼拝から始まる一日一日に、せかずあわてずじっくり取り組む気持ちを持つことです。

その延長線上に、ペトロが自分を見出したように、私たちも成長した自分を見出すことができます。

それでは肩の力を抜いて、一日一日に真正面から取り組んでいきましょう。