自分探しの敬和学園で 人を、自分を、好きになる。
2014/03/31
愛のきずな
寮長 信田 智
ペスタロッチという人は「人は愛されて愛を知り、人を愛して愛の何たるかを知る」という意味のことを言っている。皆さんは親から愛され、先生から愛され、友達から愛され守られてきた。そして、愛されるということがどのようなことであるのか、受け入れられるということがどのようなことであるのか、身をもって感じてきた。また何よりも神様から愛され、育まれて、憐れみの心、慈愛、謙遜、柔和、寛容を身に着けてきたはずです。
主イエスの遺言は、「わたしがあなた方を愛したように、あなた方も互いに愛し合いなさい。」(ヨハネ13:34)と言うものでした。主イエスはどのように私たちを愛してくださったのでしょう。それは、一般的に私たちが好きな人を愛するような愛ではなく、ご自身の命さえ私たちのために犠牲にするほどの、深く広い驚くべき愛でした。
主イエスは十字架の死を前にして、弟子たちとの最後の晩餐の席上、弟子たちの足を洗いました。その時弟子のペテロが、主イエス様に足を洗ってもらうなど、恐れ多くてとてもできないと思い「先生、わたしの足など、決して洗わないでください。」と言うと、主イエスは「もしわたしがあなたを洗わないなら、あなたはわたしと何のかかわりもないことになる」と言われたのです。それは主であり、師であるイエスが下僕の姿をとって弟子の足を洗ったのだから、あなた方も互いに足を洗い合い、自分を低くして人に仕える者になりなさいとの深いメッセージであり、イエスの愛を受け、イエスの愛に生きる、愛のきずなを確かなものにすることでした。
君たちが入学の年、3・11東日本大震災が起こり、一瞬にして大津波が東日本を呑み込み、福島第一原発の爆発事故が日本中を震え上がらせ、深い悲しみと底知れない不安に見舞われた。その後敬和学園全体、そして、のぞみ寮もこの事実と向き合い、関わり続け、愛のきずなを大切にして来た3年間でした。それは、イエスの愛に生かされ、イエスの愛に生きようとする姿勢そのものでした。この愛のきずなこそ、今日の時代に最も大切なことではないか。
君たちはのぞみ寮において、携帯電話も持たず、パソコンも自由に使えず、往復1時間以上もかけて、歩いて買い物に行くような不便さと不自由さを乗り越えて、顔と顔とを相い合わせ、心と心を通わせ合い、家族のような、兄弟のような、生涯の友となるようなきずなで結ばれてきた。目まぐるしく変化するこの時代の流れに乗り遅れ、逆行しているような不安を感じたことがあったかもしれない。
そんな時代に、あえて寄り道をしながら、ゆっくり歩き、じっくり観察し、深く考えることを大切にして過ごした3年間でした。そのような貴重な時間を持つことが許されていた環境に置かれたことを生涯の宝とし、誇りにしてほしい。保護者の皆様におかれましては、大切なお子様を寮に託してくださりありがとうございました。たくましく成長した姿で卒業の時を迎えられたことを共々に感謝いたしましょう。(2014・2・27 寮修了礼拝より)
寮生リレー通信 (第 111 回)
めぐみ館
「3年生を見送って」 S.R(2年:新潟県五泉市)
2月28日、三年生を送る会の終盤の花道。私は大粒の涙を流し、感情を抑えきれずに泣きじゃくった。お世話になった先輩方が笑顔で花道を通るたび、思い出がよみがえってきた。私にとって三年生はとても大きい存在だった。
三送会を終えてから私の心にぽっかりと穴が空いたようだった。そこに、悲しみと寂しさ、不安で心の中が埋めつくされていった。生活をしている中で三年生方がいないのに私たちはいつも通りの生活を送ることができるだろうか?と心配だった。そして気が付いたらもう1ヶ月が経とうとしている。寮内では前向きに一つ一つの事をしっかり行い生活しているように見える。このように生活を送れているのも三年生が残してくださった伝統があるからだと思う。共に過ごす仲間と残り1年の寮生活を悔いのないよう、歩んで行きたい。
最後に、44回生に出会えた奇跡に感謝。
光風館
「44回生との忘れられない2年間」 T.Y(2年:新潟県村上市)
44回生が卒寮・卒業し、私はとても寂しいです。私が入寮した時、44回生を見て、「恐ろしそう」、「本当に仲良くできるかなぁ」など不安でいっぱいでした。でも、そんな第一印象とは真逆で、とてもフレンドリーで優しい先輩ばかりでした。
寮の生活では、たくさん話をしたり、ふざけあったり、一緒に街に行って買い物や映画を楽しんだり、エミタイに行ったり、ドッキリをしたり、夜中まで騒いだり、カップラーメンを食べたり、パスタを作って食べたり、行事(フットサル、バスケット、バレーボール、ソフトボール、映画会)をしたり、数えきれない程いろいろなことをしてきました。今思うと、2年間がこんなにあっという間に過ぎてしまうなんて想像もしていませんでした。もっと話をしたかったし、自分からもっと積極的に44回生との時間を持てばよかったと後悔しています。
私はもうすぐ3年生になります。寮や学校の中での最高学年になり、1・2年生を引っ張っていく存在になります。44回生のように、明るく、楽しい光風館をつくれるように頑張りたいです。光風館44回生のみなさん、今まで面倒を見てくださりありがとうございました。今まで一緒に過ごした日々を忘れません。光風館に遊びに来てくれる日を楽しみに待っています。
みぎわ館
「3年間を終えて」 T.M(3年:神奈川県川崎市)
1ヶ月間の自宅学習期間を終えて帰ってきたのぞみ寮は、ただの里帰りのような感覚でしかなかった。卒業するという事を理解していたつもりだが、全く実感がわいてこない。思い返せば、入寮当時は「毎日が修学旅行」という感覚でしかなかった。みんなワクワクしていたし、ドキドキしていた。それぞれが「寮生活」を想像していたし、期待していた。実際はと言うと、ルールの多さに圧倒され、自分たちの役割をこなすことに必死になりすぎ、周りが見えなくなることがたびたびあった。寮生活に慣れていないのに部活をした私は毎日めまぐるしく過ごしていた。そのせいか、寮のみんなから当時の私のイメージを聞くと「走り周っている人」だったそうだ。「走らないと時間がなくなる。1分1秒がもったいない。だから移動はランニング。」そんな生活をしていた。これは2年も3年も変わらずだった。
年を重ねるごとに責任の大きさは変わり、その責任の重さにも苦しめられたものだった。そこから逃げ出した自分もいたことがあった。もちろんいろんな人から怒られた。しかし、怒られたのはラッキーだったと今では思える。信頼してくれていた仲間を裏切っている事に気付き、軌道修正できたからだ。怒られることが喜ばしい事だと知り、ほっとかれることが何よりも恐ろしい事だという事を知り、責任から逃れようとしていた自分の弱さにも気づくことが出来た。信頼を失ってしまうと取り戻すのに時間が掛かることも知った。だからこそ今私は、自問自答し、先を見て歩んでいくことが出来るようになってきた。
たくさんの人が知っているが、私は3年間泣き続けてきた。人はこんなにも泣けるのだろうか?と思うほど泣いた。泣いた理由はたくさんある。寮生活に辛さを感じた事、辞めたくなった事、自分の情けなさを痛感したこと、仲間を裏切った自分を許せなくて泣いたこと。そんな時いつも母に電話をした。私は学年が上がるほど母に泣きながら電話を掛ける回数が増えたような気がする。電話をし終わった後、いつも最終的にたどり着く自分への質問は「敬和に来て良かったのか?」だった。まだ、完璧に「来て良かった!」とは言えない。だって、今からがスタートだから。ただ、ここに来て私は確かに変わった。許容範囲が広くなった。多種多様な考え方を認めることが出来るようになり、そこから前へ進もうとするパワーを得た。そして何より、学びたいことを見つけた。入寮してすぐ得た変化ではなく、3年間やってきたからこそ今見える、自分自身の変化だ。
楽しかったかと言われると「うん」とは言えない。正直辛かった。卒業は単純に嬉しい。でも敬和を、のぞみ寮を去ると思うと寂しい。ここはやっぱり第二の我が家。第二の故郷。これが敬和。これがのぞみ寮。ありがとう。
最後に3年間支えてくださった全ての方に感謝します。皆様のおかげで今卒業します。ここで過ごせた時間は、これからの人生に大きく影響すると既に思えています。その影響を私自身が感じた時に、「敬和で良かった!のぞみ寮でよかった!」と言えるのかもしれません。「楽しかった!」と言い切ることが出来るのかもしれません。これから、少しずつでも恩返しが出来るように、精一杯置かれた場所で私の花を咲かせていきます。3年間、本当にありがとうございました。
大望館
「3年生が卒業して」 H.T(1年:兵庫県川西市)
まず、敬和は中学のよきよりも3年生と関わることが多いと感じました。それは部活やフェスティバルなど数多くの行事があることも関係していると思います。私はフェスティバルを機会に仲良くなった3年生がいました。こういう出会いも敬和の特徴だと思います。
私の敬和生活の始まりは、周りとうまく馴染めず1人でいることが多かったです。そんな中、私をかまってくれた3年生がいました。その人たちに直接伝えることはできませんでしたが、正直心の中では私をかまってくれたことが嬉しかったし、感謝しています。その先輩達は夜遅くまで私の話を聞いてくれたりしました。また、同じ部活の3年生にも感謝しています。特に私が元気をなくし、部活を休みがちな時に声を掛けてくれた時は本当に嬉しかったです。その先輩のおかげで私は1人じゃないと思えたし、その人に相談をするようになってから、他の人にも相談できるようにもなりました。
この3年生たちのとの経験を通して、私が3年生に何かしてあげることはほとんどありませんでしたが、4月から入ってくる新入生に対して同じようなことを、今度は先輩の立場でしてあげようという気持ちを持つようになりました。3年生には感謝の気持ちでいっぱいです。これからは新入生の先輩としてまたひとつ成長していきたいですし、その姿を3年生にはフェスティバルなどで見て欲しいとも思っています。ありがとうございました。
寮修了礼拝 44回生代表挨拶
めぐみ館 O.H
私は敬和に入ってこの3年間で、「変わらなくていい、私自身でいいんだ」と本来の自分を肯定できるようになったのかなと思います。
入学当初は寮内のありすぎるルールを覚えるのに必死すぎたせいか、当時のことは、あまり思い出せません。しかし、私のこれまでの生活とは大きく変わっていきました。
更に、最も私が敬和に入り、考えさせられたのが、「個性」についてでした。のぞみ寮はいろいろな地方から集まって暮らしているので、その土地の言い方や、人それぞれの考え方が違っていてとても新鮮でした。とはいうものの、新鮮な印象、楽しかったのは束の間で、次第に私は自分には個性があるのかと悩み始めました。敬和で寮生活していると、個性が薄いことがあたかも悪いように感じてしまうような事が少なからずありました。次第に私は、つい周りのみんなと比べてしまいもう自分が嫌になってしまうこともありました。一時は、どのようにしたら個性が出せるのか?と悩み、次第に自分に向き合うようになりました。結果、あまりに個性を意識すると自分が自分ではなくなってしまうので、やはり自然体でいるときが、一番個性が表れている時だと気が付くようになっていきました。
自分の個性を受け入れられつつあった私でしたが、寮内のミーティングは大嫌いでした。それは個性が試されるような場のように感じていたからです。ミーティングでは意見は人それぞれなんだなあと関心することはありましたが、なかなかそれに対して私は自分の考え自体、見つけることができずにいました。自分の意見を言える環境だったのにも関わらず、真剣さが足りませんでした。ただ漠然とミーティングに参加していたことに対して、とても申し訳なく思うようになっていきました。そして3年経ってどうかというと、未だに克服できていませんが、ミーティングに対する姿勢は勉強になったし、良い経験になったと思っています。これからの私自身の課題にもなりました。
人と人との関わりをとても大切にする寮生活では時に重く感じることも多々ありました。それが嫌で寮から離れたくて、毎週、自宅に帰る日々が続きました。家に帰り、家族に学校のことも含め、愚痴をこぼすのが私のストレスを解消する唯一の場所でした。日曜日に自宅からまた寮に帰るとき、学校のチャペルが見えるたび憂鬱でした。また金曜日になったら帰れるからまた一週間頑張ろうと自分に言い聞かせていました。何度この敬和を辞めたいと思ったか。せめて通生になりたいと、ついこの前まで思っていました。でも毎週、寮に帰寮し、仲間の顔を見ると、いつの間にかそんな気持ちは薄らいでいきました。仲間のありがたさを、いつもこの瞬間に感じていました。だからまた一週間、寮で頑張ることができました。
そもそも私は地元の公立高校の受験に落ち、併願していた地元の私立高校に進学する予定でした。しかし、急に父に「落ちたなら敬和学園の寮に行け」と言われました。敬和は、私のおばさんが卒業した学校としか知らず、オープンスクールにも参加したことしたことがなく、どんな学校かさっぱり分かりませんでした。父があまりにも敬和学園を薦めるので仕方なく二次試験を受けてみることにしました。試験当日、学校に行ったものの、二次なので入試労作の生徒はおらず、ほとんど学校の雰囲気がつかめませんでした。筆記試験を終え、信田寮長との面接の時、正直に地元の私立高校か迷っていると伝えました。自分の中では落ちることを前提に考えていました。しかし結果は、私の気持ちに反して合格でした。しかし一度試験に落ちている私にとって合格という文字は魅力的でした。なのでただただ合格が嬉しく、入学を決めました。入寮当初、こんなに厳しく、色々、面倒なことだらけの生活が待ち構えていたことを知った私は、安易な気持ちで決めてしまったことを、とても後悔しました。
しかし今寮を離れ、自宅学習期間を終え、あれほど嫌いだった敬和が卒業を間近にし、やっと終わると思う反面、少し寂しく感じられることは、以前の私からは想像できません。いつの間にか、寮生活は私の生活の一部となっていました。最初は、何もかもが初めての経験でした。今となっては、敬和の寮生活を薦めてくれた父にも感謝しています。敬和の不便な寮生活という環境だからこそ、多くの人と関わる楽しさや、皆でひとつのものを創り上げていくやりがいを見つけて行くことの素晴らしさを知ることが出来ました。新しい環境の中でも自分を見失うことなく、自分は自分でいいんだ、ということを敬和に入って気が付くことができ、とても内容の濃い3年間を送ることができました。この貴重な経験を無駄にしません。
私は、これから医療の道に進みますが、自分を見失いそうになっても、自分らしくいるということを思い出して、これからの人生に3年間の寮生活を生かしていきます。校長先生、寮長先生、のぞみ寮の先生方、そして44回生、45・46回生の皆さん、ありがとうございました。そして、私たちをいつも、一番近くで見守り、支えてくれた家族の皆さん、本当に3年間ありがとうございました。決意として、卒業の挨拶とさせていただきます。
寮修了礼拝 保護者代表挨拶 S.F 様
こんばんは。長野県茅野市から来ました、Sです。44回生の皆さん、保護者の皆さん、本日は誠におめでとうございます。
息子は、阪神淡路大震災の年に生まれ、もうすぐ19歳になります。また、東日本大震災の年に入学し、3年が経とうとしています。歳を取ったセイか、「月日の経つのは早いな~」とつくづく感じています。
さて、我が家がこの学園を知ったのは、39回生のお母さんに「普通じゃない高校があるから、一度見学してみたら?」と言われたからです。「普通じゃない…?」と言う所に引っかかりましたが、早速息子に話し、こちらに伺ったのは中学3年の6月でした。校長先生が校内を案内して下さり、部活動をやっている生徒さんとふれあい、澤野先生に寮を見せて頂き、フェスティバルなどのDVDも拝見しました。普通の高校を卒業した私達夫婦は、「いいねぇ~!」「こう言う学校があったんだね~!」「知っていれば入りたかったよね~!」と話しました。しかし、進路を決めるのは本人です。帰りの車の中で「他の学校も見学して、“いいなぁ”と思った所に行けばイイよ?」と言うと、「…俺が行く時、あの校長先生 居る?」と聞いてきたのです。「う~ん? 居るんじゃないかな~? どうしたの?」と聞き返すと「…俺、あの先生 好き♪」と…。まさかの一目惚れ宣言で、進路は決まりました。
実は、もう一つ理由がありました。中学の同級生に「なんで新潟の高校なの~?」「何しに行くの~?」と問い詰められた息子は「…あの親から早く離れたい…」と答えたそうです。私が『あの親』です。面倒くさい親なんだそうです。
我が家では小さい時から3人の子供に『18になったら、この家を出て行ってね!』と育ててきました。まさか15で親元を離れるとは思っていませんでしたが、本人の希望なので快く送り出しました。しかし、知らない土地で、他人と一緒に暮らすのは、とても大変な事だと思います。校長先生から『中には泣きながら“帰りたい…”と電話をする子も居ます』と、お聞きしていたので、『泣かなくても、電話くらい掛かって来るのかなぁ~?』と思っていましたが、全くありませんでした。それはそうですよねぇ~? やっと『あの親』から離れられたのに、わざわざ連絡をする必要がありません!そこで私は安否確認のため、手紙を書いてみました。 『タケ 生きてる?』しかし、その返事もありませんでした…。
息子の事を忘れかけた5月のある日、封書が届きました。日曜礼拝の時に、教会で書かされた手紙だと思います。封を開けると、中からは紙が1枚 横書きの大きな字で『生きてます。』その下に、小さな字で『母の日だったな…』とありました。「のぞみ通信」に『子供は親元に居たいと思うのは当然でしょう』とありましたが、我が家は当てはまりません。長期休みには、帰って来るなり「あぁ~!早く寮に戻りてぇ~!」と言っていました。理由は、家に居るより楽しいからだそうです。
また、新潟に帰る時には「着いたら電話頂戴ね!」「うん!わかった!」と言っていたのに、1週間経っても、1ヶ月経っても連絡はなく「新潟って遠いんだね~」と話したものです。寮が楽しくて、親の事なんか忘れているんですよね。
ここまで我が家のおかしな話してきましたが、私たち夫婦が暢気にして居られたのは寮長先生を始め、先生方のお蔭です。「寮は教育の一環です。我々に任せて下さい!委ねて下さい!」そうおっしゃって下さったからです。44回生の皆さんも「学校は楽しい!」「寮はもっと楽しい!」と思って過ごして来た事でしょう。 しかし、楽しい事ばかりでは無かったはずです。辛い事や苦しい事、悲しい事もたくさんあったと思います。そんな時、先生方や寮生の皆に助けられ、支えられて、無事卒業できますね。私たち親がするべき事を、先生方が子供に真剣に向き合ってくださり、大変なご苦労をされたと想像できます。本当にありがとうございました。
子供達は、それぞれの道に進んで行きますが、この「のぞみ寮」で学んだ事、体験した事が、きっと役に立つのではないでしょうか?もしかしたら、こちらに相談に来る事があるかもしれません。その時は、またよろしくお願いします。
先生方と寮生の皆さんに、心から感謝し、保護者代表の言葉とさせていただきます。3年間お世話になりました。 本当にありがとうございました。
<今年度末を持って寮を去られる先生方>
「4年間の種蒔きを終え」
光風館担任 三浦 啓
この度、敬和学園での働きを終え、春から群馬県にあります日本基督教団桐生東部教会に牧師として赴任することになりました。
母校である敬和学園でのぞみ寮の教師として4年間、光風館の担任として3年間、寮生と共に歩む機会が与えられたことに感謝の気持ちでいっぱいです。長いようで短かった4年間、本当にいろいろなことがありました。ここでのひとつひとつの出会いと経験、そのどれもが私にとっては必要なものだったと感じています。
今、引っ越しに向け部屋の荷物の整理をしています。荷物をできるだけ減らそうと、たくさんある段ボールをひっくり返して書類、写真、手紙などに目を通しつつ、必要な物、捨ててもよいものを選り分けているのですが、懐かしい写真や手紙が出てくると、ついつい手を止めてそれに目を通し、荷造りが進まなくなってしまいます。
昔もらった手紙を読むと、特に、母や祖母がくれた手紙を読むと、もう忘れてしまっている昔の自分がどんな自分だったのかが見えてきます。たくさんある母からの手紙には、私の健康を気遣う手紙、「もっと周りの人のことを考えられる人になってほしい」という内容の手紙、「将来どうするのかしっかり考えなさい」という内容の手紙、ケンカした後に送られてきた「あの時はごめんね」という内容の手紙がありました。4年前に天上に召された祖母からの手紙には「夢をもってほしい」という内容の手紙、誕生日や敬老の日の「プレゼントありがとう」という内容の手紙、私が牧師になることを喜んでくれている手紙などがありました。思い返せば、中学を卒業後、家を離れ、家族を離れた私が家族の中で一番家族からの手紙をもらっているように思います。手紙を読み返すと、自分勝手に生きていた自分や周りの人に迷惑ばかりかけていた自分がいたこと、それなのにいつも自分のことを愛してくれる家族がいたこと、いつも誰かが自分のことを想ってくれていたことを改めて知ることができました。高校時代に周りの人から言われていた事で理解できなかった事、受け入れられなかった事も、今となれば私のためを想って言ってくれていたのだと理解することができますし、感謝の気持ちでいっぱいになります。
家族だけではなく、私が成長する過程で、私が敬和生だった時、アメリカに留学していた時、京都での大学・大学院時代、伝道師として務めていた時代、私に関わってくださった方々が弱い私を見捨てたり、諦めることなく関わり続けてくださいました。私にとって、それは“心に種を蒔いてくれた”ような感覚でいます。その種が、蒔かれた時に芽を出し、すぐに実を結んだこともありますし、後々になって芽を出し、これから実を結ぼうとしていることもあります。私の実体験から、私も敬和に来て、寮生や授業で通学生、サッカー部の生徒と関わる中で、出会うひとりひとりに種を蒔き続けることを大切にしようとしてきました。可能性という栄養をいっぱい持つ敬和生に私がどれだけの種を蒔くことができたのかはわかりません。逆に、寮生のみんなから日々種を蒔いてもらっていたように思います。これからものぞみ寮生がたくさんの人との出会いと関わりの中で種を蒔かれ、その蒔かれた種が芽を出し、実を結ぶよう群馬からお祈りしています。
4年間、さまざまな形でのぞみ寮、光風館そして私のことをお支えくださった保護者の皆様にこの場を借りて心から感謝の言葉を申し上げます。ありがとうございました。
寮務教師 小黒 恵
2014年3月をもちまして、学校へ異動することとなりました。1年間という本当に短い期間でしたが、皆様に支えられここまで歩むことができました。心より感謝申し上げます。
約3年前、「寮という場所は、一体どのような所なのだろう?」と教師向けの寮体験プログラムに参加させて頂きました。たった1週間のプログラムでしたが、普段の学校生活では見ることのできない生徒の素晴らしい姿を「これでもか」と見せてもらい、ただただ感銘を受けたのを今でもよく思い出します。
今年度、そののぞみ寮で、生徒たちと共に生活を送ることができたことを本当にうれしく思っています。一緒に笑い、時には涙したこと。本当の家族のように過ごす彼らに、私自身も家族の一員として迎え入れてもらえたことは、私の一生の宝になりました。もちろん、この1年を通して見てきた彼らの成長を4月から見ることができなくなるのは非常に残念なことです。今後は寮生や他の寮務教師の方々に話を伺いながら、影ながら応援させて頂きたいと思います。
最後に、今までお支え下さった生徒の皆さん、保護者の方々、寮務教師の方々、管理栄養士の五十嵐さん、調理師の方々、本当にお世話になりました。ありがとうございました。
寮務教師 青栁希望
1年間寮務教師として働かせていただきました。4月より、学校の方に配属となりましたので、のぞみ寮とはこの3月をもってお別れということになります。寂しい限りです。
個人的なことを申し上げますと、今年は私自身、教員生活1年目ということで右も左もわからない状態で始まった寮務教師生活だったのですが、保護者の皆様のお支えと、何より寮生の若いパワーに支えられ、1年間有意義な時間を共に過ごさせていただくことができました。ありがとうございました。
寮生と過ごしていると、こちらがハッとさせられることがよくあります。高校生とは思えないほどものすごくしっかりとした発言をする寮生の姿、また有事の際には全員で問題解決にあたり、きちんと素晴らしい成果を残す団結力の高さには、毎回関心しきりでした。そんな寮生の姿を見ながら、私自身も大きく成長させていただいた1年間でした。本当に感謝です。
寮生は敬和学園の宝です。配属は変わってしまいますが、敬和にはまだ居させていただけるので、来年度以降も寮生の成長の様子を、陰でニヤニヤしながら見守りたいと思います。引き続きよろしくお願いいたします。
編集後記
長い長いと思っていた1年もあっという間。もう今年度も終わりを迎えました。44回生も立派に卒業して行きました。この1年を振り返ってみると、語りつくせないほどの出来事が思い出されます。泣き・笑い・怒り・喜び…色んなことがありました。いろんな事があったから、楽しかったんだなぁ、感激したんだなぁ、大きく大きく成長したんだなぁと思わされ、寮生にとっては当たり前の毎日の中に、心育まれるチャンスやヒントが溢れていることを改めて実感させられています。
来年度、47回生を迎え新たな歩みを始めます。私たち寮務教師ものぞみ寮生と共に歩みながら、寄り添いながら、心揺さぶられながら、常に祈りながら、歩んで行きたいと思います。
帰寮日は4月7日です。みんなのはじけるような笑顔が開寮礼拝に集まる事を願いながら、新年度の始まりを心待ちにしています。今年度、祈りの内にお支え下さり、感謝申し上げます。来年度もどうぞよろしくお願い申し上げます。
みぎわ館 森口 みち子