のぞみ寮通信

光風館

2009/11/29

光風館通信 第243号(11月29日)

< 何のための勉強か・・・ >

 

 さあ、明日から第四定期テストが始まります。光風館の皆、準備は万端ですか?先週一週間、私は、皆の様子を観察していましたが、テスト勉強に対する取り組みは、二極化していました。時間を効率よく使い、コツコツと勉強していたグループとさまざまな誘惑に流され、ほとんど机に向かえなかったグループとに二分されていたからです。テストが明日から始まることを考えると、両者の結果の差は歴然としているように思います(結果が全てではないんだけどね)。

 
 改めて言うまでもないのですが、生徒としての本分は勉強することです。いろんなことをたくさん吸収できる今こそ、勉強しなければならないのです。「何のために・・・?」ですって(そんな声が聞こえたような気がしたんだ)?いい大学に入学して、いい会社に入社するためではありません(今の時代や社会にあっては、たとえ一流企業に就職したとしても、首を切られないという保障はないんだ)。じゃあ、何のための勉強なのか・・・。

 
 私自身の考えを言葉にするならば、それは、強く逞しく自分の人生を切り開きながら豊かに生きるためです。私は、単に知識を頭にたくさん詰め込めと言っているのではありません(もちろん、知識は無いよりはあった方がいいんだよ)。今、この地球上のあらゆる事象が物凄いスピードで変化しています。知識の内容量は増える一方だし、その知識も普遍的(「普遍」というのは「いつでも、どこでも、だれもが、なるほどもっとも」ということだよ)なものばかりではなくなってきているのです。だから知識というものを過大視すべきではありません。

 
 これからの時代や社会では、知識だけでは生き抜いていけません。これまでは知識さえもっていれば、何らかの「答え」(テストの「答え」という意味だけではなく、さまざまな規模のあらゆる事象や問題に対する対処の仕方という意味での「答え」だよ)を導くことができましたが、これからはそうはいきません。変化が激しいということは、新しいことが次々と目まぐるしく起きるということです。そういう時代や社会にあっては、「答え」がないような道を突き進んでいくようなものです。

 
 そこで必要となるのは、ものの考え方や判断の仕方です。これは、「勉強する」、あるいは「学ぶ」という行為でしか身につきません。「数学なんて勉強したって、これからの人生に一体どう役立つんだ・・・」そんな風に思っている人がいるかもしれません。でも、それは大きな間違いです。数学を学ぶことによって、数学的なものの考え方が身につくのです。「道筋を立てて考える」という論理的なものの考え方は、「答え」がないような道、道なき道を行くのには必要なのです。歴史や漢文の勉強だってそうです。あらゆる学問の、あらゆる分野の学び、その行為を通して、ものの考え方や判断の仕方が身につくのです。

 
 「答え」がないような道ですから、「正解」はないのかもしれません。でも、ものの考え方や判断の仕方が身についていれば、進むべき道を全く見失ってしまったり、大きな危険が潜む道にそれてしまったりすることはないはずです。光風館の皆が、自分の人生を、「強く、逞しく、そして豊かに」歩んでいくためには、どうしても勉強しなければならないのです。

 
 先週一週間、机に全く向かえなかった人、若干遅きに失した感じはありますが、でも、このコラムを読んで、少しでも何か感じるものがあれば、今からでも机に向かってください。仮にテストの成績は悪かったとしても、勉強をしたという行為によって、ものの考え方や判断の仕方が、ほんの少しだろうが、身につくことは間違いないのですから。

(岩原)

 

 

 

< 礼拝のお話し >

 
M.T.(3年)
 みなさん、こんばんは。15室のMです。今日はラグビーのことについて、お話してみたいと思います。皆さん、ラグビーというと、どんなイメージを持っていますか?多分、「痛い」とか、「厳しい」とかいろいろあると思います。確かに、痛いし、厳しいスポーツなのですが、試合の最中は、そんなことは一切感じません。ただ、ボールを持ってひたすら走り、タックルにいき、トライを取ったらみんなで喜ぶ、そんな素晴らしいスポーツです。ラグビーのルールを知っている人はあまりいないと思うので、少し説明したいと思います。ラグビーは15対15のボールを使うスポーツで、パスを前方に出してはいけません。1トライで5点、トライした後にはキックをすることができ、入ると2点がもらえます。ディフェンスは主にタックルで相手の動きを止めます。他にもいろいろと細かいルールはありますが、大まかに言うとこんな感じのスポーツです。そんなラグビーが出来るのも、残り僅かになってきました。10月25日に行われる花園予選の試合に負ければ引退ということになります。1つでも多くの試合に勝ち、少しでもラグビーができたらいいなあと思っています。(10月13日)

 

 

 

A.S.(2年)
 皆さん、こんばんは。3室のAです。今日は皆さんに、「時間」について話したいと思います。時間は、誰にでも同じように流れていきます。でも、その感じ方は人それぞれだと思います。時間の長さやそれが過ぎていくスピードは、時計を見れば一目でわかります。誰にでも同じ早さで流れていきます。それは、日本だけでなく、外国でも、世界中の何処でも同じです。でも、時間が早く進むように感じたり、遅く感じられたりすることはないでしょうか。私は、それは気持ちのもち方によって変わるんだと思います。例えば、ある授業はあっという間に終わるのに、別の授業ではなかなか時間が経たずに、退屈に感じることがあります。同じ長さであるのに、時間が早く感じられたり、遅く感じられたりすることがあるのです。こう考えると、時間というものは、実に面白いものだと思います。何かに熱中している時には、時間はあっという間に過ぎていきます。時計は止まらずに、動き続けています。一分、一秒をもっと大切にしてみてはどうでしょうか。最終的に私が何を言いたいかというと、皆、寮で生活しているのだから、一人でいるよりも、先輩や後輩、同学年の友だちと一緒にいる時間を増やしてみてはどうか、ということです。特に、3年生とはもう数ヶ月しか一緒にいられないので、心に残る思い出をつくってみてはどうでしょうか。(11月5日)

 

 

 

T.T.(2年)
 こんばんは。4室のTです。今日は「日記」について話したいと思います。皆さんは、「日記」というものをどのように思いますか。一日を振り返ってみても、特に何も書くことがなかったりして困ってしまうことがあります。最初、私は親に「日記を書いてみろ」と言われたとき、とても嫌な気持ちになりました。何も書くことがない日が続き、それでつまらなくなり、飽きて、しまいには日記を書くことを止めてしまうことが目に見えていたからです。でも、私の親は、「そんなに長いのじゃなくて短いのでもいい」と言いました。だったら、ということで書いてみることにしてみました。まだ、日記を書き始めてから日が浅いのですが、今は楽しく続けられています。記憶力の悪い私には、ちょうどいいトレーニングにもなっています。皆さんも、少しでもいいので、その日一日あったことを思い出してみてはどうでしょうか。案外、忘れている事がたくさんあることに気付くかもしれません。(11月4日)

 

 

 

O.I.(2年)
 みなさん、こんばんは。今日は、自分の母親について話したいと思います。今年の夏休み、母は、病院で「膠原病」という病気だと診断されました。「膠原病」とは、「強皮症」という症状の一つで、血液の中の免疫が異常を起こして、自分の体を攻撃し、皮膚が固まり痛くなったり、疲れやすくなったり、内臓が悪くなったりする病気です。悪化すれば死に至る可能性もあります。
 母はピアノ教師で、大学でも音楽を学び、一番の生きがいがピアノでした。しかし、「膠原病」になって、悪化の原因になってしまうので、以前ほど激しくピアノを弾くことが出来なくなりました。また、体に疲れを激しく与えたり、体に刺激を与えることが出来にくくなりました。そのため、以前ほど自由に体を使うことが出来なくなりました。この事は母にとって辛いことだったと思います。
 僕が、この事を通して言いたいことは、体が自由に使えるうちに、様々なことに挑戦してください、ということです。歳を重ねるという事は、体の自由が利かなくなるということだと思います。最近、寮内ですることもなく、ゲームをばかりをしている人が多くいます。ゲームが悪いとは言いませんが、時間があるならば、今のうちにもっとできることをしてみませんか。どうせ、いつかは体が動かなくなるのなら、なるべくたくさんのことをしてみてください。とりあえず、今一番してみたい事を見つけて、実行してみてください。そうすることで、自分の人生がプラスに転じてくると思います。(11月9日)

 

 

 

N.K.(2年)
 皆さん、こんばんは。7室のNです。今日はこうして皆さんの前でお話できる事を感謝します。今回は、イジメについて話したいと思います。皆さんは、イジメについてどう考えますか。イジメは最初からかいから始まり、気付けばいつのまにかイジメになっています。この行為によって、自殺者、ありは自殺志願者が発生するケースは少なくありません。実を言うと、僕も小学校の頃、イジメにあい、もう学校には行きたくないと何度も思いました。それ以来、僕は心を閉ざすようになり、誰も信用する事が出来なくなり、人に対して警戒心や嫌悪感さえ抱くようになりました。僕が、この経験を通して感じた事は、私達は見て見ぬ振りでは済まされないということです。そんなことをしていては、イジメの問題が解決することはおそらくないでしょう。イジメは人の心を簡単に傷つけ、人の幸せを奪い去る、えげつない行為なので、僕はいつの日か、イジメという言葉すら無くなることを願い、それを信じて、これから歩んでいこうと思います。(11月16日)