自分探しの敬和学園で 人を、自分を、好きになる。
2013/05/29
< 悲しむ人々は、幸い? >(5/19の全体礼拝の話)
「お前、汚い」「キモイ」「近寄るな!」みなさんは言われたことがあるでしょうか?私はよくこの言葉、というか罵声を周りの人から浴びせられていました。
私は、みんなと同じく高校時代を敬和で過ごしました(26回生、大望館生でした)。高校時代の私は、「今が楽しければいい」「自分がよければそれでいい」「面倒臭いことはしない」という、本当に自分勝手で自己中心的な考え方をしていました。なので、「自分の嫌いなことは一切しない」ということを貫き、嫌いな勉強はしない、授業態度も最悪で、自分が好きな体育の成績は5でしたが、他の教科はオール1でした。好き勝手な生活をしていた分、敬和を卒業した後には、人一倍苦労することになりました。
そんな身勝手な私でしたが、小学生時代は、他人のことも考えられる小学生だったように思います。特に、特別支援学級の子たちや不登校のクラスメートのことを大切にする、そんな小学生でした。自分がそういう考え方をもったのにはある理由があります。
私の小学校には「ポプラ」という名前の特別支援学級がありました。私の通っていた上野幌小学校の近くには、報恩学園という障がいをもっている人が生活をしている施設があり、その報恩学園から小学校へ通う障がいをもった子どもたちが多くいました。」
私が小学5年生の時です。私たちの間でポプラ学級の子たちにちょっかいを出し、私たちを追いかけてくるポプラ学級の子たちから逃げるという遊びが流行っていました。(当時、私はそれを遊びという感覚で行っていましたが、今振り返ると、それは最悪なイジメです)当時の私は、それを悪いことをしているという感覚もなく、その証拠に、母親に「学校でどんな遊びをしているの?」と聞かれた時に、「ポプラの子にちょっかいをかけて、逃げて遊んでいる」と包み隠さずに言いました。私の母は、ダメなことをした時には厳しく叱る人でした。私が学校でポプラ学級の子たちにしていることを言うと、母親は「なんてことをしているの!」と怒鳴りました。「あ、しかられる」と思った次の瞬間、母親は私の前に泣き崩れました。それまで毎日のように怒られていましたが、どんな言葉で叱られるよりも、母親に泣かれたことは、小学生だった私にとってはとてもショックでした。私は、その夜に布団に入り考えました。「母親を泣かせてしまうくらい、自分がしてしまったこととは何だったのか?」「そもそも、ポプラの子たちってどんな子たちなのか?」そう考えているうちに、ポプラ学級の子たちに興味が沸いてきました。そして、休み時間や昼休みになると、ポプラ学級に行き、ポプラの子たちと遊ぶようになりました。そのうち、クラスの女の子たちも一緒にポプラ学級に行くようになり、ポプラの子たちを生徒がサポートするという支援が始まりました。それは、障がいをもたない子たち障がいをもった子をサポートしてあげるという、上下関係があるものではなく、ポプラ学級に通っていた私たちは、単純に、友だちとして彼らと交流し続けました。その中で、私たちは本当に多くの大切なことをポプラの子たちから教わりました。例えば、人への優しさ、努力し続けること、感謝することなどです。私は今でもそれら大切なことを教えてくれたポプラの仲間に心から感謝しています。
でも、ポプラに通うことは、私にとって良いことばかりではありませんでした。ちょっと前まで、一緒にポプラの子たちをバカにして遊んでいた仲間からは「裏切り者」と呼ばれ、「ポプラ菌がうつる」「お前、汚い」「キモイ」「近寄るな」と毎日のようにイジメられました。本当に学校に行くのが嫌になる、そんな毎日でした。それでも、私は毎日学校へ行きました。それは、自分が周りのイジメに負けて学校に行かなくなることが、「ポプラ学級が汚い場所」「気持ち悪い場所」ということを認めてしまうことのように思ったからです。自分は何も悪いことはしていない。ポプラの子たちは自分の大切な友だち。その想いを大切に、小学校生活を全うしました。小学校の卒業の時、クラス新聞に将来の夢を「支援学級の先生」と書きました。あの時の気持ちは忘れずにいたいなぁと思います。
マタイによる福音書5章4節に「悲しむ人々は、幸いである。」という言葉があります。みなさんはこの言葉の意味がわかりますか?高校時代、この言葉を見た時に鼻で笑ったのを覚えています。「悲しむことが幸せ?どんだけ根暗やねん」そう思っていました。
大学時代、同志社大学神学部で聖書のことを勉強する中で、聖書の中に使われている「悲しむ」という言葉には、ギリシャ語で「ルペオー」と「ペンセオー」という2種類の「悲しむ」という言葉があることを始めて知りました。
「悲しむ」と訳される「ルペオー」は「心や体に痛みを覚える」という意味で、自分の悲惨な境遇に対する悲しみ、自分が傷つけられたことに対する悲しみ、など自分自身の苦しみや悲しみを表すときに使われる言葉なのだそうです。
一方で、もうひとつの「悲しむ」と訳される「ペンセオー」は、自分の苦しみではなく、他者の苦しみや誰かの悲惨な境遇を心配して「悲しむ」ことを表しています。「悲しむ人々は、幸いである」という言葉の“悲しむ”とは、自分の悲しみを表しているのではなく、誰かの悲しみを表しています。「誰かのために悲しむことができる人々は、幸せである」この言葉の意味がわかった時に、なんてステキな言葉だろうと思いました。
「悲しむ人々は、幸いである」それは、小学生の時、ポプラ学級の子たち一緒に過ごす中で感じたこと、母親から教えられた事を表現してくれているように思います。
寮生活は人と人が交わる場所です。楽しい時間を過ごすだけではなく、誰かと衝突する、何かを我慢する、苦しむ、悲しむこともあると思います。でも、どんな時にも仲間がいます。のぞみ寮で生活する私たちひとりひとりが、寮で一緒に生活する仲間のために「悲しむ」ことができれば、こののぞみ寮はもっともっと「幸いな場所」「幸せな場所」になっていくと思います。そんなのぞみ寮をみんなでつくっていきましょう。(三浦)
< 教育実習生が来ました! >
先週の木曜日から教育実習生2名が光風館で一緒に生活を始めました。38回生と40回生で光風館出身の大先輩です。長いようで短い3週間の教育実習。2人の先輩とたくさん交わって、教育実習生の2人にとっても、みんなにとっても、思い出に残る3週間にしてほしいと思います。
T.Y
みなさん、こんにちは。教育実習生のT.Yです。38回生の光風館ブロック長でした。今回は、実習生としてまたこの場所に来れたことに感動しています。部活動はラグビー部、趣味はストリートダンスと料理です。教科は英語を教えます。寮生活で学んだことは、今でも活きています。そしてまた、今回の生活で自分が成長することと、寮生の成長の力になれたらいいなと思っています。3食のおいしいご飯が最も楽しみです!3週間、お世話になります!
K.S
聖書科を担当します、K.Sです。40回生卒業で、光風館での寮生活を満喫しました。卒寮後、最初の入浴。ひとりがあんなに悲しいとは・・・また裸の付き合いができて、嬉しいです!(笑)受け入れて下さった寮務教師の皆様、本当にありがとうございます。3週間よろしくお願いします!
<礼拝のお話し>
S.H(3年)
みなさん、こんばんは。4室のSです。もうすぐ定期テストですが、勉強ははかどっていますか?今日は、「僕の2年間のテスト」について話します。
僕は、テストが近づいてくると泣きだしたくなります。なぜなら、自分は勉強ができないどうしようもない人間に思えてくるからです。しかし、テストからは逃げることができません。なので、赤点くらいは回避しようと思い、毎日努力を積み重ねてきました。ですが、毎回赤点を取ってしまい、悔やみきれず、夜は泣きそうなぐらい辛かったことを思い出します。ですが、1年生、2年生はまだ間に合うと思います。自習時間や夜の勉強を毎日頑張ることで、道は拓かれると僕は思います。3年生は、今回のテストと第二定期テストで進学にとって大切な成績が決まってしまうので、ラストスパートをここでかけてみてはどうでしょうか?僕は、少し遅いとは思いますが、昨日からラストスパートをかけています。1、2年生は、過去の僕みたいにならないように毎日努力してみてはどうでしょうか?