毎日の礼拝

校長のお話

2013/05/20

「正しい暮らし方読本より 今は恵みの時」(コリントの信徒への手紙2 6章1~2節)

五味太郎という絵本作家の作品に「正しい暮らし方読本」があります。

正しい何々という話がいくつも書かれています。

この中には「正しいヘビの長さの測り方」「正しい怪獣との付き合い方」といった実際にありそうもない、けれどクスッと笑ってしまいそうなものから、「正しい歌の歌い方」「正しいテレビの見方」という、なるほどと思えそうなもの、そして、「正しい買物のしかた」「「ただしお箸のもち方」という、自分自身のあり方、生き方を考えさせられるものまで、とバラエティーに富んでいます。


その中で私が気に入っているのが「正しいホームランの打ち方」です。

野球を知っている人からすれば「正しいホームランの打ち方」などありえないと思うはずです。

先日元プロ野球の選手、監督であった長嶋茂雄さんが国民栄誉賞を受賞しました。

長嶋さんほど愛された野球選手はいないといわれています。

理論的というよりは直感で勝負という人でした。

数限りないエピソードを持った人です。

その中に次のような話があります。

長嶋選手が同点の9回裏にホームランを打って、サヨナラ勝ちをしたゲーム後のインタビューのことです。

アナウンサーが聞きました。

「あそこでよくホームランが打てましたね」

長嶋選手は答えました。

「「ハイ、ベンチからホームランのサインがでていましたので」。

ベンチの監督がホームランのサインを出すはずはありません。

実にウソくさい話ですが、長嶋選手ならありえるかもしれない、と思わせるエピソードです。

それではこの絵本のホームランの打ち方を紹介します。

絵が描かれたコマごとに次のコメントがつけられていきます。

「野球において正しいバッティングのためには、まず正しいバットのにぎり方だとか 正しいかまえ方だとか 正しい足のふんばり方だとか 投手に対する気がまえだとか ボールの見きわめ方だとか 打つべきではないボールの正しい見のがし方だとか 打つべきボールのよびこみ方だとか とにかくいろいろな人がいろいろなことをいうけれど なにはともあれ大切なのは バットとボールの正しい友情ということであって」と続きます。

そして、ここからバットとボールの会話になります。

 「やあ やあ げんき   うん きみは  ぼくもげんき  ところできょうは なにがいい ホームランがいいな さんせい さんせい じゃゆくよ よしきた カーン やっほう やっほう」。

ここから再び解説になります。

「なんてことになればいのであって そのためには いつもバットとボールの友情をそだてることに心を注ぎ 仲わるくなる原因をできるかぎりなくす工夫をすればよいのだ」。

 だからこれくらいの心配りはぜひ必要である、と最後のコマは野球道具を大事にふとんの中に、そして枕元に置いて寝ている場面で終わります。

それはほかのスポーツや部活にもそのまま当てはまることですが、道具も大切にできない、グラウンドにボールが放ったらかしにしてある、クラブハウス前にユニフォームが脱ぎっぱなしになっていてようでは、ゲームには勝てるはずがない。

さらにそれでは本当の意味でスポーツを楽しむことはできないことを教えてくれています。


さらに私自身がハッとさせられるのは「正しい買い物のしかた」です。

やはりコマごとに品物が描かれていて、そこにコメントがつきます。

たとえば、えんぴつのコマは「このまえもらったものがあるから いらない」。

ペンケースのコマは「ともだちが同じものをもっているから いならい」。

押しピンとクリップのコマは「うちの中をさがせば、きっと見つかるから いらない」。

ラップペーパーのコマは「すてきだけれど いまのところつかうあてがないから いらない」。

私が一番ドキッとしたのは「模型ヒコーキのキットの箱のコマ」の「つくるのがめんどうくさそうだから いらない」です。

私のタンスの中には箱に入ったままの、作ろうと思って買ったインドアプレーンや木製の帆船のキットなどがいくつもあるからです。

「正しい買物のしかた」の最後の言葉はこうです。

「などというような「いらない」理由がまったく思いつかない物があって、さいふの中のお金と折り合いがつけば、それがあなたの買うべき正しい品物です」です。

このように、すべての項目に「正しい」とついています。

正しいというと他はダメなのかとか、押しつけられているように思えて反発したくなるのですが、読んでいてわかるのは、五味さんはそうした押しつけをしているのではありません。

この絵本が言う正しさは=楽しさです。

楽しむにはどうしたらいいか、その一つとして正しいもあることを教えてくれます

ですからこれをタイトルに重ねると「楽しい暮らし方読本」となります。

正しさという言葉を通して、本当の意味の「楽しさ」を伝えようとしていることです。

そして、すべての項目に共通しているのは、自分中心に物事を考えていては、そこに本当の楽しさは生まれてこないということです。

自分だけが「楽しい」ということはありえないことです。

そのために、相手の気持ちになるにはどうしたらいいのかを、具体的な場面を通して描いてくれているのです。


ところで敬和の生徒であるみなさんは、そしてここで働く私たちも、たとえ五味太郎の「正しい暮らし方読本」を読んでいなくても、持っていなくても、別の「正しい暮らし方読本」を持っていて、それを毎日読んでいるのです。

それは聖書です。

聖書には様々な話が書かれています。

書かれていることには、今から6000年以上前のことであったり、遠い外国の人のことであったりするので、自分とは直接関係ないように思ったりすることもあるでしょう。

けれど聖書が書かれた目的は、そして敬和学園が聖書を大切にする理由は、それは聖書が、私たちが今という時を、そしてこれから将来を楽しく生きるためには、どうしたらいいのか、自分に与えられた時間をどのように過ごしたら楽しくなるのか、を私たちが考えるようになるためです。

それを毎日の全校礼拝の中で読んで考えているのです。

そして「敬和生活」と呼んでいる毎日の学校生活は「楽しい暮らし方読本」である聖書の言葉や話を具体的に体験している時間だということです。

そのことにしっかり気づけたら、今日という1日が、今週1週間が、今日の聖書の言葉通りまさに恵みの時、幸せの時間になります。