自分探しの敬和学園で 人を、自分を、好きになる。
2013/01/30
< 後ろを振り向け! >
いよいよ、今週3年生が自宅学習期間に入っていきます。約1ヶ月それぞれに家に帰っていきます。今回は、卒業を間近に控えた3年生へメッセージを贈りたいと思います。
これから、3年生のみんなは敬和を卒業し、進学し、社会へ出ていく中で、楽しい時、嬉しい時、順調に物事が進む時もあれば、辛い時、悲しい時、苦しい時、何をしても上手くいかない時を経験するハズです。そんな時にどうすべきか?それは当然、その時によって対処の仕方が違うと思います。「もっと頑張る」「友だちや家族に相談する」「違う角度から物事を見る」「少し休む」などなど。そんな時にどうすべきか、私からのアドバイスは「後ろを振り向け!」です。よく「後ろを振り向くな!」という言葉を耳にすることがあります。「過ぎたこと、過去にばかり目を向けずに前を見て、前進しなさい」ということなのだと思います。私もそのようなアドバイスをもらったことがあります。確かに、そういう考え方もありますが、私からのアドバイスは、その逆の「後ろを振り向け!」なのです。
みんなもテレビやマンガ、映画で『ドラえもん』を一度は観たことがあるでしょう。その『ドラえもん』で「あの日あの時あのダルマ」という話があります。
テストの前の日に、のび太は母親の大切にしていたプラチナの指輪をなくしてしまいます。のび太は「ママにこってりしかられるんだ。それを思うと勉強どころじゃ・・・あ~あ、明日のテストの0点は確実だ」と泣きながらドラえもんに助けを求め、ドラえもんは四次元ポケットから「なくし物とりよせ機」を出します。この「なくし物とりよせ機」は、頭にセットして、なくした物を頭に思い浮かべると、簡単にそのなくした物を手に入れることができるという便利な道具です。
あまりに素晴らしい道具なので、のび太は今までになくした物を全部取り寄せました。隣りでその一部始終を見ていたドラえもんからは「すぎた日をなつかしむのもいいけどね、もっと未来へ目を向けなくちゃ。ふりかえってばかりいないで、前を見て進まなくちゃ」とアドバイスを受けます。でも、のび太は「頭も悪いし、なにやっても失敗ばかり。どうせろくな未来じゃないさ・・・」とドラえもんのアドバイスを聞こうとしません。
のび太がとりよせた懐かしい物のなかには、優しかったおばあちゃんからもらったダルマが含まれていました。のび太は、幼い時、庭で転んで泣いてばかりいたことや、おばあちゃんの「のびちゃん。ダルマさんはえらいね。なんべんころんでも、泣かないでおきるものね。のびちゃんも、ダルマさんみたいになってくれるとうれしいな。ころんでもころんでも、ひとりでおきあがれる強い子になってくれると、おばあちゃん、とっても安心なんだけどな」という言葉を鮮明に思い出します。その当時、のび太はおばあちゃんに「ぼく、ダルマになる」とはっきりと約束しています。
のび太はダルマに頬ずりしながら、「あれからすぐだったな・・・、おばあちゃんが亡くなったのは」と懐かしく昔を思い出しました。のび太はダルマを持ち、涙を流しながら、すぐに自分の机の前に座りました。そして、机の上にダルマを置いて、のび太は「ぼくひとりでできるよ。これからも、何度も何度もころぶだろうけど・・・。必ず、おきるから安心してね、おばあちゃん」と再度おばあちゃんに誓うのでした。
確かに、ドラえもんが言うように「すぎた日をなつかしむのもいいけどね、もっと未来へ目を向けなくちゃ。ふりかえってばかりいないで、前を見て進まなくちゃ」というアドバイスはその通りです。過去ばかり、後ろばかり見ていてもなかなか前には進めないでしょう。でも、過去に意味がないわけではありません。自分が経験してきたこと、例えば、大切な思い出、誰かからかけてもらった言葉、成功した経験・失敗した経験などかけがえのない思い出がたくさんあるはずです。時に、前を見ることに疲れる時も出て来るでしょう。そんな時は後ろを振り向いてみてください。前に進むために、さまざまなハードルを越えるために必要なエネルギーになるようなことに気付いたり、思い出すかもしれません。敬和や光風館での3年間もきっと3年生にとってなにか意味のあるものになっていると思います。ここで得た経験を糧に、次の場所にいっても一歩一歩、前へ進んでいってほしいと思います。
(三浦)
< 人生のデッドポイント >
357号で三浦先生も書いておられましたが、日本人はマラソンや駅伝と言った長距離走を好むところがあるようです。敬和にも、以前は全校マラソン大会なる行事がありました。私自身は、そうした長距離走の類が大嫌いです。自分で走るのはもちろん、他人が走っているのを見ても、退屈でしょうがないからです。三浦先生と異なり、未だに面白いとは思えません。そんな私ですが、前の職場で2回も県の駅伝大会に参加したことがあります。親しくしていた先輩の陸上部顧問が、(敬和の土屋先生のような)長距離走大好き人間で、誘いを断りきれなかったためでした。このことが、私にとってどのような思い出になっているかは、ご想像に任せます。ただ、長距離を長時間かけて走るという行為が、教えてくれることは意外に多いと気付かされました。
ある程度の距離を走ると、必ず「デッドポイント」と呼ばれる時間が訪れます。敬和の体育でも持久走はありますから、みんなも経験したことがあるでしょう。息が苦しくなり、脇腹が痛くなって、走り続けるのに大変な精神力を必要とする時間です。体育の授業では、ここでスピードを落としてしまったり、走るのをやめてしまったりする人が、少なくないと思います。ですが、ここで歯を食いしばって我慢して走り続けていると、肺に供給される酸素が少なくても、体の方が慣れて少し楽になるという状態に変わるのです。こうした理論を体で実感できるのは、運動の素晴らしいところですが、このことは人生においても同じなのではないでしょうか。
人生でも長距離走と同じく、節目節目で必ずデッドポイントが訪れます。そこで早々に諦めて努力を放棄してしまうか、苦痛に耐えて克服できるかでは、その後の「コース」も全く違ったものになるはずです。寮生であるみんなは、既にある意味で一つのデッドポイントを迎えていると言えるかもしれません。3年生はまた、遠からず新たなデッドポイントにさしかかることでしょう。それを乗り越えるための力を、どこに求めるか。このことは、高校で寮生活を送る、最も根本的な意義だと私は考えています。3年生にとっての敬和生活が、人生という長距離走を完走する力の源泉となりますように。
(和田)
<礼拝のお話し>(1月の礼拝の話です)
Y.K.(3年)
みなさん、こんばんは。8室のYです。今回は最後のお話ということで、この寮で一番楽しかったことを話します。この寮で一番楽しいことは、みなさんひとそれぞれ違うと思いますが、自分はやはり、寮のみんなと何かをすることだと思います。
例えば、寮にいる人たちを集めて体育館で、運動したり、ホールで料理を作って食べたりすることなど、探せばいろいろあると思います。また、トランプの大富豪などは、皆さんの住んでいた場所が違えば、ルールの違いがあるなど、これは、まさに全国から集まっている寮生ならではの楽しみ方だと思います。
自分は、この3年間の寮生活をひとりで部屋で過ごしたりするのは、もったいないと思います。せっかく全国の様々なところから来ているのだから、その人たちとかかわらないでひとりですごすのではなく、行事に参加をしたり、みんなであつまって運動をしたりなど、この寮生活でしかできないことを積極的にやって、残りの寮生活を充実してください。