自分探しの敬和学園で 人を、自分を、好きになる。
2012/07/03
今テレビで盛んにPRしているものに、7日から上映される「グスコーブドリの伝記」というアニメ映画があります。
楽しみです。
原作は宮沢賢治です。
1931年ごろに書かれました。
この映画の登場人物はすべてネコです。
というのは原画を書いているのが、ますむらひろしという漫画家だからです。
ますむらひろしの作品は登場人物が直立して人の言葉を話すネコです。
それはますむらさんが、ネコが好きだからとの理由だけではありません。
きっかけは、水俣病の実験で、水銀汚染された魚を大量に与えられたネコが、もがき苦しんでいるのをテレビで見て、「破壊される自然の姿」がそこに映し出されていると考え、怒りを覚えたからです。
今回の「グスコーブドリの伝記」も同じ発想です。
宮沢賢治の作品には耳慣れない地名や人名がでてきます。
物語の舞台はイーハトーヴですが、この地名は宮沢賢治の故郷岩手の理想化したものです。
グスコーブドリはグスコーが名字、ブドリが名前です。
ブドリは父親はきこりのナドリで、妹はネリと言いました。
一家は森の中で幸せに暮らしていたのですが、ある年冷害のために飢饉になります。そのために一家は散り散りになります。
一人ぼっちになったブドリですが、一生懸命働き、生きていきます。
数年後、ブドリは尊敬するクーボー大博士に会います。
大博士は彼の一生懸命さに打たれて、イーハトーヴ火山局での仕事を紹介してくれました。
ここでも一生懸命さを発揮したブドリは、やがて火山局の一人前の技師になります。こうして充実した生活を過ごしますが、ブドリが27歳の時、かつて一家を散り散りにさせた寒波が押し寄せてきました。
そこでブドリはある決心を大博士に話します。
その場面での会話です。
「カルボナード火山島が、いま爆発したら、地球全体を平均で5度ぐらい暖かくするだろうと思う。」「先生、あれを今すぐ噴火させられないでしょうか。」。
「それはできるだろう。けれども、その仕事に行ったもののうち、最後の一人はどうしても逃げられないのでね。」
「先生、私にそれをやらしてください。」。
三日後、カルボナード火山を噴火させることに成功しますが、ブドリは戻ってきませんでした。
それから数日後、イーハトーブの気候はぐんぐん暖かくなり、その秋の作物はいつもの年と同じように収穫でき、人々は厳しい冬を乗り越えることができました。
「グスコーブドリの伝記」は冷害による飢饉で家族を失った少年が成長し、火山局で働き、農民の命と暮らしを守るために、厳しい自然と自分の命をかけて向かい合う話です。
今世界のあちこちで大規模災害が頻繁に起きています。
干ばつ、大地震、大洪水など。日本でも集中豪雨が頻発していますし、台風も巨大化しています。
そのために絶えずあちこちで大きな被害が起きています。
こうした災害の原因として地球温暖化による気候の変動があげられます。
温暖化の原因は人間社会が排出する二酸化炭素CO2です。
私たちが便利で快適な生活をしようとすればするほどCO2は増えます。
今世界共通の課題はいかにCO2を増やさないかです。
それができなければ地球は滅亡するわけです。
私たちの社会ではCO2は徹底的に悪者扱いです。
ところが「グスコーブドリの伝記」からは、それとはまったく逆に考えていたことがわかります。
80年前の地球は温度が低くなるために起こる冷害や飢饉によって、多くの人が命を奪われ、家族や地域が崩壊することになっていたのです。
グスコーブドリの伝記で、それを救うために火山を爆発させようとしたのは大量のCO2を地球上に排出させるためでした。
当時は、CO2は人間と社会を自然災害から救う救世主と考えられていたのです。
わずか80年の間に、CO2は世界を救う救世主から、世界を滅ぼす悪魔にされてしまったというわけです。
それは二酸化炭素の性質が変わったからではありません。
CO2は何も変わっていないのです。
変わったのは人間の暮らし方です。
人間の身勝手さが原因です。
この身勝手さは、イエス様を救い主として大歓声で迎えたにもかかわらず、数日後には強盗と一緒に十字架にかけて殺せと大きな声で悪魔呼ばわりした、当時の人々の身勝手さそのものです。
このことから、私たち自身を何がダメにしてしまうのかがはっきり見えてきます。
私たちの身勝手さが、目の前の損か得かでしか物事を判断しない身勝手さが、私たち自身と私たちが生きる世界を根底からダメにするのです。
それでもなお、私たちが今日を生きる喜びと明日の希望を持てるようになるには、どうしたらいいのでしょうか。
グスコーブドリは人々を救うために、火山を爆発させようとして帰ってきませんでした。
それはみんなの犠牲になったということでしょうか。
それならあまりにもかわいそう、不幸な人生ということになります。
彼は自分のアイデアを大博士に話す時に、その役目を自分がすると決心していました。つまり、彼は自分が生きている、生かされている意味と目的、そして使命が何かを、その時点で知っていたのです。
グスコーブドリは一日一日を大切に生きる中で、少しずつ自分の生きる使命が何か知り、そしてその使命に最後まで生きたいと願うようになったのです。
それを最後まで貫いたのです。
となると、彼の人生は終わりまで喜びに満ちていたと言えます。
神様が自分だけに与えて下さった使命を知り、その使命に生きることができたら、これほど幸せなことはないわけです。
そして、それは一日一日を大切に生きる、懸命に生きることから、わかってくることです。
同時にそれが身勝手さを乗り越えさせてくれます。
そして、それは敬和学園で学ぶすべての人に言えることです。
目の前の課題にしっかり取り組みましょう。
そこから喜びと希望が少しずつ見えてくるはずです。
その具体的なことの一つとして水曜日から始まる第2定期テストがあります。
気持ちをそらさず、身をそらさず、しっかり取り組んでいきましょう。