自分探しの敬和学園で 人を、自分を、好きになる。
2012/05/14
ハナミズキという木、わかりますか。
名前はわかるが、実際どんな樹木か知らない人もいると思います。
ちょうど今頃、花が満開になります。
ハナミズキというと何が思い浮かぶでしょうか。
一青窈のヒット曲「ハナミズキ」という人も多いのではないでしょうか。
歌詞は「空を押し上げて 手を伸ばす君 五月のこと どうか来てほしい 水際まで来てほしい つぼみをあげよう 庭のハナミズキ 薄紅色の可愛い君のね 果てない夢がちゃんと 終わりますように 君と好きな人が 百年続きますように・・」で始まります。
サビは「君とすきな人が 百年続きますように」です。
私はこのサビの部分の意味がよく分かりませんでした。
ある人とある人の人間関係が100年続くということは、人間の寿命から考えてありえません。
まあそれくらい、お互いの関係が良くて、愛し合えたらいい、そういう私の気持ちを受けとめて下さいと言いたいのかなあ、程度に考えていました。
それはどうも違うようでした。
一青窈はこの歌詞を、今から20年前の1992年に、アメリカニューヨークで起きた9・11同時多発テロ直後に、アメリカにいた友人からのメールをきっかけに書いたそうです。
ですから最初の作詞には「テロ」や「散弾銃」という言葉がいくつもあって、本人いわく「挑戦的な歌詞」でした。その歌詞を削っていって、やがて「君と好きな人が百年続きますように」との平和への祈りをこめた言葉になったそうです。
なぜ「君と好きな人が百年続きますように」との言葉にたどり着いたのか、一青窈自身も不思議に思っているそうです。
そんなこんながあって、ハナミズキについて少し調べてみました。
ハナミズキはミズキ科ミズキ属ヤマボウシ亜属の落葉高木です。
原産は北アメリカです。
別名アメリカヤマボウシと呼ばれます。
日本で植えられるようになったのは、ちょうど100年前の出来事がきっかけです。
1912年、当時の東京市長であった尾崎行雄がアメリカ、ワシントンD.C.へ桜(ソメイヨシノ)3000本を贈りました。
この桜はポトマック川の桜として今も有名ですが、そのお礼としてアメリカが1915年にハナミズキ、アメリカヤマボウシが贈ってきたのです。
ハナミズキの花言葉に「私の思いを受けてください。返礼」があります。
この花言葉から、アメリカが桜のお礼に、ハナミズキを選んだのかがわかります。
思いを込めてハナミズキを贈ってきたわけです。
そして、これが一番すごいのですが「100年続きますように」という歌詞は、たまたまそうなったと思うのですが、不思議なことに、一つの現実を表す言葉になりました。
というのは、日本が桜を贈った100年後の今年、オバマ大統領が3000本のハナミズキを贈ると発表したのです。
ここが大切なのですが、アメリカは何を考えて100年後にハナミズキを日本に贈ろうとしているのでしょうか。
どのような100年後を考えているのでしょうか。
このことを「君とすきな人が 百年続きますように」に重ね合わせると、私には見えてくるものが一つあります。
日本はアメリカと日米安保条約を結んでいます。
略して「日米安保」、これは内容からして日本とアメリカの軍事同盟です。
そのために、日本にはアメリカ軍の基地がたくさんあるわけです。
特に沖縄にアメリカ軍の基地の多くが集中しています。
この条約が何のために結ばれているかです。
一般には日本の安全のためだと言われますが、それは一つの考え方であって、アメリカは別に日本に対する犠牲的精神から条約を結んでいるのではなく、あくまでアメリカ自身の利益を守ろうとしているからです。
でもそのためには膨大な軍事予算が必要です。
でもアメリカも不景気でお金に余裕がなくなってきました。
そこで、アメリカはいざとなったら、自衛隊がアメリカ軍を助けて海外で軍事活動ができる日本になってほしいと考えています。
そのためには憲法を改正して、日本が正式な軍隊を持って、戦争ができる国になることを望んでいます。
そのようなことを考えて、3000本のハナミズキを贈ろうとしているのなら、それは喜ぶわけにはいきません。
日本が戦争をする国になることをハナミズキ自身喜ばないはずです。
というのはハナミズキの花言葉には「公正に」というのがあるからです。
公正の意味は、明白で正しいこと、曲がったところのないこと、です。
今日の聖書に「正しい者はいない。一人もいない」と書かれています。
これは人間と人間が営む社会、世界の現実を言い表わしています。
人間が主張する正しさは、一つの立場の正しさであって、他の立場からすれば公正ではないことがほとんどです。
そこでさらに大切なのは正しさを何で主張するかということです。
それを力で主張すればするほど、たとえば武器や軍隊の力で公正さを訴えれば訴えるほど、相手は傷つき、自分も傷つき、そしてお互いの間に憎しみや悲しみがどんどん広がっていくわけです。
それは国と国の関係、民族と民族の関係から、一人の人間対人間に至るまで同じです。
それはまさに今日の聖書の言葉です。
そこで気づかないといけないのは、私たちがすべてに先立って自分の公正さを、つまり人間としての在り方を求める相手は誰かと言うことです。
それは神様です。
神様の前に自分の主張が正しいか、自分たちの行動が神の前に恥ずかしくない公正なものになっているかを考えることで、人間は自分の不完全さをカバーする、ゆるされるということです。
それが人間の持ちえる公正さ、正しさの原点です。
神様の前にして、自分が公正かどうかを問うてみる、そこから本当の意味で生きやすい現実、平和が生まれます。
今週は第一定期テストがあります。
ついつい神経質になりがちです。
だからこそ、神様の前に公正であろうとの思いを大切にしながら過ごしましょう。