のぞみ寮通信

光風館

2012/05/14

光風館通信 第330号(5月13日)

< 人の話を聴く、深く考える >

 

「なぜ、寮で礼拝があり、生徒がお話をしなければならないのか」

と率直に疑問を投げかけられたことがあります。
 
 なぜ、寮でも礼拝があるのか。敬和学園はキリスト教教育を中心に取り組んでいる学校です。のぞみ寮は部活などの特別な寮ではなく、敬和学園の教育をより深めるために作られた寮なのです。だから寮でも礼拝を大切にしているのです。生徒が礼拝でお話をすることは、メッセージを考える訓練と伝える訓練、聞く側は話を聴く訓練と物事を深く考える訓練なのです。簡単に言い換えると、礼拝は自分自身の心を見つめる時間であり、自分探しの重要な時間でもあります。
 
 この様に礼拝には話す側と聞く側に分かれます。学校礼拝では聞く側が殆どだと思います。礼拝のお話は当然ですが寝ないでください。寝ることは、自分にとって必要なメッセージと出会うチャンスを捨てているのです。次に黙って話に耳を傾けて下さい。メッセージを聴いていると話したくなる時もあると思いますが、なぜ、自分の中に疑問があるのか、話す人は何を伝えようとしているのか、どうしてそう考えるのか、自分自身と向き合い、短い時間ですが深く考えてください。礼拝が終わってから友達と意見を交換してください。
 
 次に話す側です。私自身は、寮の先生になるまで、人前で話すことや文章を書くことなど、殆どしたことがありませんでした。始めは全くといっていいほど、まとまりの無い話で、言葉もめちゃくちゃな、聞いている人に伝わらない話でした。でも、真剣にあきらめずに取り組むうちに、自分自身が変わってきました。自分の考えが整理され、考えがまとまると気持ちは落ち着き、言葉の選択肢や表現が豊かになると、自分自身の感情は豊かになってくるのです。
 
 今週も学校と寮で礼拝はおこなわれます。自分自身と向き合い、話す人の言葉に耳を傾けて聴き、自分の心を見つめる時間を大切にしていきましょう。

(帆刈)

 

 

 

 

< 礼拝のお話し >

 

O.K.(3年)

 

 みなさんにとって優しさとは何ですか。私は相手を想う心であり思いやること、人の痛みを知っていることだと思います。私が落ち込んでいる時、大学生の友人が僕に言ってくれた言葉があります。「悲しみを知っている人は、本当の優しさを知っている人だと思います」これは、「本当の優しさとは、悲しみを知ることだ」とも言い換えられると思うのです。

 

 私はこれまでの人生経験の中で、人は経験しないことに理解できないんだと知りました。自分がどれだけ苦しんでいても、その痛みや苦しみを本当に理解できていないと、その苦しみは本当の意味では分かってあげられないんだと。私にとって優しさは糧であり、寛容であることです。

 

 では、寛容であるとはどういうことなのでしょうか。私は寛容であるということは、例えて言うならば親が我が子に接する態度なんじゃないかと思うのです。親は愛情と優しさ故に子どもの話に耳を傾け、何を考えているのか理解するよう努め、できるだけその意向に沿ってあげたいと思うものです。また、子どもが何か失敗や間違いを犯しても、酌量の余地があればできるだけ許してあげたいと思うでしょう。私たちが人と接する時は勿論、親子の関係ではありませんが、親が我が子に対する様な優しさで人と接していけたらいいなと思います。

 

 私たちはひとりひとりが個性を持ち、またそれぞれの考え方と感じ方を持っています。それらに於いて自分と似た人はいるかも知れませんが、全く同じ人は存在しないんじゃないかと思います。例えば、ある人はニュースを見て、誰かが他の人を手助けした記事を見て素晴らしいと思うかも知れませんが、別の人はもっと違う方法がとれたと感じるかも知れません。このように人が関わり合うと、自分と他の人との違いが表面化するものです。些細なことかも知れませんが、些細な違いが積もり積もって「自分はもうあの人とは合わない」と結論づけてしまうことがあると思うのです。それはとても残念なことだと思います。

 

 寛容つまり他者の言動を受け入れられる優しさがあるなら、この点は大いに改善されます。受け入れられるとはどういうことでしょうか。それは他の人の考え方や感じ方を尊重するということです。必ずしも全ての面で同意できるわけではありませんが、でも「そういう考え方もあるのだ」と認めることも大切なことなのではないかと思います。こういう優しさがあれば、「あの人は自分とは合わない」という見方は減ってゆくと思うのです。

 

 しかし、これらのこと全てを心得ていたとしても、自分の心に余裕がなくては本心から人に優しくできないのではないでしょうか。私はいつかイライラしていた時、敬和の後輩から言われた言葉があります。「自分に余裕がないと、人には優しくできないものなんじゃないですか」私はこの言葉を受けて、「あーなるほどー!」と思いつつ、それから深く考え込み、本当の優しさとは「自分の心に余裕を持つこと」なんじゃないかとも思いました。自分に余裕が無いのに本当に人に優しい態度がとれるのでしょうか。今ここにいる全員が心に余裕を持って生活出来れば、この光風館はもっと豊かな館になると私は考えます。私は喧嘩になりそうな時も自分の気持ちを抑えて、一歩立ち止まって冷静に考えることを心掛けています。それでも上手くいくことは少ないのですが、これからも続けて努力していきたいと思います。

 

 では、どうしたら思いやりのある優しい人になれるのでしょうか。私が思うに、そのためには人の心や気持ち、感情を知らなければならないと思います。それらを理解するには、自分の苦労の中から体験として学ぶことだけが必要だと思います。優しさをどれだけ頭で理解していても、本当には優しくはなれないのです。

 

 ずいぶん前ですが、ある本にこんなことが書いてありました。シェイクスピアのハムレットに出てくる言葉で、「優しさは残酷の中にある」というような意味でした。優しいだけでは、本当の優しさで人と接することは出来ないのです。言い換えれば、勇気や決断力が無ければ、本当の意味では優しくなれないのだと私は理解しています。

 

 優しさとは、「時によっては非常に残酷なことでもある」ということだけは、決して忘れてほしくないと、私は伝えたいです。来週もまた、心にゆとりと優しさを持って、共に歩んでいきましょう!