自分探しの敬和学園で 人を、自分を、好きになる。
2012/03/13
江国香織という作家がいます。
この人の短編にデュークがあります。
物語は「デュークが死んだ。私のデュークが死んでしまった。私は悲しみでいっぱいだった」という言葉から始まります。
主人公は21歳の女子大生です。
デュークというのは主人公の家で家族の一員として長い間生活していた犬です。
デュークが老衰で死んだ次の日、主人公はアルバイトに行かなければなりませんでした。
明るい声で「行ってきますと」と家を出たとたん、涙があふれてきたのです。
泣きながら駅まで歩いて、泣きながら改札口を通って、泣きながらホームに立ち、泣きながら電車に乗ります。
混んでいる電車の中で、人目もはばからないで泣いている人を見れば、当然周囲の人はじろじろ見ます。
ふだんなら恥ずかしくて人前で泣くことなどできないはずなのに、彼女はお構いなしに涙を流し続けます。
その主人公に年下と思われる少年が「どうぞ」と席を譲ってくれました。
これもふだんならあり得ないはずの「ありがとう」が口から出てきて、素直に座ったのです。
主人公の前に立った少年は主人公の顔を覗き込みます。
そうこうしているうちに、主人公は泣きやみます。
それをきっかけに主人公は少年と一日過ごすことになります。
喫茶店でコーヒーを飲んで、温水プールで泳ぎ、アイスクリームを食べ、美術館に行き、演芸場に落語を聴きに行き、夕方になりました。
少年が主人公に言いました。
「今までずっと 僕は楽しかったよ」。
そう言われて主人公が答えました。
「そう。私もよ」。
主人公は少年の言葉が、その日一日の出会いのことをさしていると思ったのです。
もう一度少年が言いました。
「今までずっと だよ」。
少年の目を見た主人公はそこではっとします。
その目は懐かしい目でした。
呆然として声も出せずにいる主人公に少年が言いました。
「僕もとても 愛していたよ」。
「それだけ言いにきたんだ。じゃあ 元気で」。
そう言うと少年は青信号の点滅している横断歩道にすばやく飛び出し、駆けていきました。
少年はいったい誰だったのでしょうか。
少年はデュークだったのでしょうか。
デュークが姿を変えて悲しんでいる主人公のところにやってきて、別れの挨拶をしていったのでしょうか。
それともたまたまのことだったのでしょうか。
その日一何もすることがない、何かおもしろいことはないかと考えていた一人の少年が、電車に乗った自分の目の前で、人目もはばからずに泣いている女子学生を見て、からかうつもりで声をかけたのかもしれません。
そして、主人公から飼い犬が死んだ話を聞かされ、そこで別れるときにも、わざと意味ありげな言葉を言って立ち去ったのかもしれません。
よくわかりません。
しかし、主人公は少年との出会いを通して、そして別れるときに言われた「僕もとても 愛していたよ」。「それだけ言いにきたんだ。じゃあ 元気で」という一言によって、慰められました。
少年と関わることで、長年一緒に暮らしたデュークによって自分がいかに毎日の生活の中で励まされてきたのかをあらためて知ることになります。
デュークによって自分の心が育てられてきたのか、人間として成長させられたのかを知りました。
さらにこの一言によって、死んだデュークがただいなくなったというのではなく、むしろデュークとの関係が永遠のものになったということに気づかされます。
江国香織のデュークから、私があらためて教えられたことは、言葉には力があるということです。
言葉には命があるということです。
人を慰め励ますと同時に育て人を生かす力が言葉にはあるということです。
今日の聖書にはまさにそのことが書いてあります。
もう一度ヨハネによる福音書1章1~4節を読んでみます「 」。
言葉には力があります。命があります。
聖書が言う命とは、活き活き元気に輝く、という意味です。
それだけに、時には言葉は人をどん底に突き落とす力も持っています。
人の命を奪うこともできます。
それをよく表している短い詩があります。タイトルは「その一言で」です。
「その一言で やる気を起こし
その一言で 励まされ
その一言で 夢を持ち
その一言で 嬉しくなり
その一言で 立ち上がる
その一言で 腹が立ち
その一言で 泣かされる
ほんの僅かな一言で
不思議に大きな 力を持つ
その一寸の 一言で 」
敬和学園は言葉を大切にする学校です。
言葉によって、人は生きることができまた死ぬことを、聖書を通して信じているからです。
「デューク」からわかること、それは、神様はその人の今に必要な言葉を必ず与えてくださるということです。
しかもそれは嬉しいことを通してだけではありません。
主人公は大切な存在を失いました。
しかしそのことを通して、見知らぬ少年から、どのように生きるべきかを教えられました。
時には、東日本大震災、福島第一原発事故のように、絶対起こってほしくない出来事という形で、聞きたくない言葉によって、自分の今に必要なものが与えられる、示されることがあるということです。
涙が出て仕方がないような出来事の中で、初めて出会えることもあるのです。
それを主人公はその一日の出来事を通して知りました。
敬和生は、それをどのような形で知ることになるのでしょうか。
それは3年間の敬和生活を通してです。
毎朝の礼拝の言葉で、それぞれの授業の中で、寮生活の出来事を通して、一緒に行事を作り上げていく中で、そうした言葉に出会うのです。
そう考えると、敬和生活をおろそかにすることはできなくなるはずです。
そのすべてを大切にしたくなるはずです。
その思いを心に深く刻みながら、この一年を終えたいと思います。
3週間後の4月から、敬和学園の新しい年度、新しい生活が始まります。
2012年度の始業礼拝でさらに成長したみなさんに会いたいと心から願います。