のぞみ寮通信

めぐみ館

2012/03/06

めぐみ通信 (2012年2月25日)

< うまくいかないこと >
 

 三年生が自宅学習期間に入り、めぐみ館は、少し静かで寂しいですね。そんな中、一・二年生は、週末に差しかかり、ウキウキしながら延長テレビ(週末の消灯後のテレビ鑑賞!)の申請にやってきました。「テレビ好きだねぇ。」と話していると、次から次へとやってくるホール勉(消灯後のホールでの勉強!)の申請!聞いてみると、「来週の火曜日テストだから」と。テスト前夜にあわててホール勉に来ることはよくありますが、前もって勉強を始めるとはさすがです。
 また、ある二年生もホール勉の申請に来たので、「テストあるの?」と尋ねると、「英語の予習です」とのこと。話しを続けていると、その二年生、“今うまくいっていないこと”を聴かせてくれました。「この数週間、生活も勉強も気持ちを入れ直して頑張っているけど、優先順位をつけるのが苦手で、要領もよくないから、上手く回らない。空回りしている自分がすごくイヤ!昨日は、本当は小論文を先にやらなきゃいけなかったのに、英語の予習を先にしてしまって、小論文が締切に間に合わせられなかったし、英語の予習したところも授業で出なかった!!だめだー!」彼女の話しを聴きながら、私は“すごくいい感じ!”と嬉しくなりました。自分なりに理想の姿に向かって努力していること、自分の弱点を認識し始めていること、失敗にめげずに自分が今できることをしていること。

  
 

 たくさんの仲間と共に過ごす寮生活。上手く回らないなぁと感じる時ほど、周りの仲間の良さが際立って見えて、プレッシャーに感じてしまうこともあると思います。“あの子は部活も学校も寮もしっかり両立できているのに、なんで自分はこうなんだろう”という思いを抱いて焦ったり、先述の二年生のようにもがいたりすることも、成長への大事なステップです。仲間や先輩の良さを真似したり、自分なりにチャレンジして失敗したりしながら小さな成功体験を積んでいきましょう。
 彼女の“うまくいかない”ことが“うまくいく”ようになる日は、そう遠くないと感じた夜でした。

(冨井)
 

 
 
 

 今週末はおやつがゴージャスでした。S.K.さんが、チョコレートを下にしたゴージャスなチーズケーキをみんなのおやつにと作って持って来てくれました。1年生のK.M.さんは、相変わらず大好きなカステラボールをお皿いっぱいに作って寮の夜おやつに2日連日でふるまっていました。私はと言えば、卵白が3個分あったので、卵白を使ったマーブルチョコケーキを作りました。いそいそとみんなのいる事務室に持っていくと、「先生も作られていたんですね」と、どこかしら勝ち誇ったような笑みを浮かべているのは1年生のS.S.さん。何故ならば、Sさんの手にしていた物は、そうです。極上のシフォンケーキではありませんか!!私は、どこかしら恥ずかしくなって、下げようとすると、すかさず、そこにいた2年生たちは、「おいしそうですよ!」と言って、引く私を引き留め、間もなくお茶の時間がはじまりました。飲み物はお茶ならと、村上出身(お茶が名産)のS.N.さんが用意してくれて・・・週末にほんのりと焼き菓子の香り~。
ひとくち頂くみんなの笑顔がまたごちそうになりました。

(榎本)
 

 
 
 
< 受け取る事 与えること >
 

 日曜日に皆さんが教会に行ける為に、教会の方々からは交通費(往復1000円分)を頂いています。その資金は、教会員から集まった献金を、交通費の為にとあててくださっているのです。あふれ出る財源があったり、どこからか助成金が出て大金が流れ込んでいるわけではないのです。それでは、その援助が無くなったら、どうなるでしょう。皆さんは、どういう感情が起こりますか。どんな考えが浮かびますか。

こんな風に言われたら、どんな事を考えますか。 
例えば・・・「私たちの貯金もだんだん底を尽いてきました。皆さんの交通費を我々大人が請け負うのは教会の連帯の証しであり、喜びですが、どう工面しようにも、どうにも手も足も出なくなりました。皆さんへの援助がどうしようもなく、少額になってしまいます」(実際、一昔前より、高校生の人数は増えたものの、教会を支える大人の人数は減ってきています)

改めて、「何故、教会に行くのか、教会に行けているのだろうか」
「受け取る事、与える事」を今一度、考えてみて下さい。教会員の方から多くの慈悲を受け取りながら、自分達が捧げる献金がまさかの1円、2円、気前が良くて50円玉か、100円玉という具合で毎週過ごしている場面を見る事も残念ながら少なくありません。
高校生はすでに大人として扱われる十分な年齢に達しています。
是非できる事を自分たちで、10分、15分の奉仕という形で、自分の出来る「与える事」が出来る人となってください。
決して「もらいに行く場所が教会」ではなく、「与える」事とは、どういうことかを学び、お金が足りない自分たちが出来る「与える事」のカタチを問い直す場にしてください。
「与える事」を学ぶ場となっていますか。

教会生活に限らず、「与える側」に廻る事が、大人になるための大切な役割であり、義務であり、エッセンスです。そのまま「受ける事」ばかり考える永遠の子どもとして生きてしまう事にだけはならないように気をつけてください。

(榎本かな)
 

 
 


 
 
 


 
 
 


 
 
 

42回生、ありがとう。卒寮おめでとう!!