自分探しの敬和学園で 人を、自分を、好きになる。
2012/02/06
< パーティ三昧!? >
3送会の準備が進んできたころからでしょうか?
「先輩、一緒にムーンライトしましょうよ!」と1・2年生から3年生に声がかかる場面を何度も目撃しました。「うん!いいよ!やろう!」と、どの3年生もとても嬉しそう。一緒にムーンライトを作るグループは必ずと言っていいほど、一度同じ部屋になった「元部屋」チームです。あるチームでは1年生が2年生に「○○さんと元部屋でムーンライト作りたいです!材料費は全額自分が持ってもいいから!」とリクエストをし、それに2年生が動かされ、3年生を誘っていました。そんな裏話を聞いた3年生は「超嬉しい!超嬉しい!」と大興奮。そんな風に学年に関わらず「関わりたい!」と思い合える関係を築けるみぎわ寮生たち。素敵すぎます!



パーティー三昧なのはうらやましい限りですが(?)、一緒に過ごす時間を大切に楽しみつつ、それぞれがやるべきことはしっかりこなしておいてくださいね!特に学校のテストや提出物は大丈夫ですか!?…と、パーティー大好きな私ですが、小うるさい事も言わせてもらいます(笑)。
(森口)
< 一緒に… >
みぎわ寮生は誰かと何かを一緒にすることが大好きです。これって素敵な事だなと、彼女たちを見ていていつも思います。例えば、お菓子を食べるのも一緒に。お菓子を選ぶのも一緒に、寝るのも一緒に(一つの布団で!!!)、誕生日カードの写真撮りも仲間と共に、TVを見るのも、お母さんから届いた荷物を取りに来るのも、何をするにも誰かと一緒に…「誰かと一緒に」が知らぬ間に習慣化されていくようなのです。
入寮当時も誰かと一緒にみんな過ごしますが、それは一緒にいる心地よさや喜びを知っているからではなく、一人でいる不安を解消するためにペアを探します。
しかしそこがスタート地点。「私、一人でも平気よ!」と強がっていても、周りの誰かが自分をペアにと誘ってくれます。断る理由はありません。食事に行くのを一緒に、礼拝に行くのを一緒に、登校するのを一緒に…そんな毎日を送る中で、誰かと一緒に過ごす時間がとても心地良い事に気が付きます。嬉しい時も、悲しい時もいつでも友達が傍にいて、語り合えることや、心を共有できる幸せに気が付きます。そしてまた、それが幸せなのだという事を、先輩が後輩に自らの行動を通して教えてくれます。「心を学ぶ場」である寮に、みぎわ寮生自らが創り上げていってくれること、本当に嬉しく思います。
(森口)
< 礼拝のお話 >
*月曜日は…(2年生)*本人の希望により、ペンネーム表記しています。
「1+1」について考えてみました。それはただの算数ではなく、人間としての「1+1」です。「1」と「1」って人間に置き換えると、一人一人ということでしょう。みんな違うものを持っていて、違う世界観を持っている。そんな「1」と「1」が丸々お互いを理解しあえて、初めて「2」になるのだと思うのです。しかしそんな簡単に「2」に出来たら、戦争が起きたり、国内で暴動が起きたり、家族が殺し合ったりする悲劇は起こらないでしょう。誰しも自分自身すら全てを理解できている人なんていないと思います。自分を完全に理解できて「1」、相手を完全に理解できて「1」、合わせて「2」。これはとても難しい事です。
しかし、自分を0.5理解できているとして、相手を0.1理解したとしたら、「1」+「1」=0.6になります。そこは人によってそれぞれですが、相手を理解しようと努めることで、自分としっかり向き合おうと努めることで、それぞれの「1」が少しずつでも「1」に近づいていくことになるのです。
相手を理解しようとしないままでは、「1」+「1」は「1」+「1」のままで、イコールから先が出ないままになってしまいます。理解なんてしなくていい、されなくていいと言うのは、それはそれでしんどいものです。自分がしんどい以上に、周りの人がしんどかったりします。自分も寂しいですが、相手も寂しいのです。
つまり、「1」+「1」、その答えが人として生きている証なのではないかと私は思うのです。それは「1」+「1」に限らず、「1」+「1」+「1」+「1」だったり、もしくはそれ以上であったりするでしょう。それぞれの「1」を完全に理解することは非常に難しいですが、相手を理解しようと努めれば、例え0.01であっても理解していくことは出来るのだと思います。
自分を理解することも容易ではありませんが、たくさんの人と関わることで自分のことも分かって来るのではないでしょうか。お互いに理解し合う。それってとても大事で、生きる意味なんじゃないかと思った今日この頃でした。
(11月14日)
*U.C.(2年生)
みなさんは、障害を持っている方にたいしてどのように考えていますか?私は今まで何人かの障害を持った方と接してきましたが、何だか、私とは違うと言う目で、自ら見えない壁を作ってきました。しかし、今年の修養会で福祉施設でのボランティアを通して私の考えは変わりました。
私がボランティアをさせていただいたところは新発田市にある「のぞみ工房」でした。様々な障害を持っている方々のための就労支援施設でした。しかし、まるで一つの企業の様でした。
ボランティア初日。利用者さんの元気な挨拶に、出だしから驚かされました。「おはようございます」「こんにちは」「お疲れ様です」など、とても爽やかで気持ちのこもった私たち以上の挨拶でした。そこでの1日は朝礼から始まり、作業をし、お昼ご飯の時間と休憩を取って、掃除をして、また作業をするという1日でした。
主な作業として、様々な企業から委託された仕事(例えば自動車部品を作ったり、とても高価なストールのタグ付など)や、商品として売るためのエコバッグを工業用ミシンを使って製作したりしていました。また、畑へ行ってアスパラの収穫や除草作業をしたり、しいたけを集めたり、人参の皮むきなどもしていました。これらは全て出荷し、販売されるのだそうです。
このような、とても責任のある仕事を一つ一つこなしていっているみなさんの姿に私は感動しました。障害があるから…という事ではなく、自分のできる事を一生懸命やっている方々がとても誇らしく思えました。みなさんと関わる中で、みなさんはとても温かく、広い心を持った方々であると感じました。さて、私たちはどうでしょうか?見える事だけに捕らわれて、あの人は嫌だと決めつけてはいないでしょうか?別の見方が出来れば、今まで気付かなかった良い面を知るチャンスになるはずです。チャンスを逃すことなく、過ごしていきたいですね!
(11月21日)