のぞみ寮通信

めぐみ館

2011/12/14

めぐみ通信 (2011年11月6日)

< 聴くこと >
 

 冨井先生は、隔週でめぐみ館の生活に来てくれています。そんな冨井先生の聴くセンスは、本当にいつも感心させられます。質問がとてもお上手なのです。要は、話し相手の埋もれている感情や、本人も気が付いていないであろう、気づけば嬉しくなることや、痛いことに、当人が自分の話で気づけるように語り掛けるのです。(まあ、相手は生徒だけではないようですが・・・^^)
人の話を聴くということ、、といえば、めぐみ館の皆さんもとてもお上手です。信徒大会や、オープンキャンパスでの労作をしているめぐみ館生の姿勢は、本当にしなやかに訪れている人の緊張をほぐすような言葉掛けや、耳の傾け方をしています。それぞれの人と向き合う姿勢や、心のあり様は、深く根を張り、力強く育っているなあと実感させられます。
 

 大分前の話になりますが、礼拝のお話のなんとなく惰性で話している内容に対して、元礼拝委員長のI.S.さんは、「みんなが大切にしている礼拝の話が、なんとなく用意がされていないような内容が多くなっている様に思います。また、聴くという皆さんの態度も果たしていいと言えるでしょうか」そんな投げかけでした。丁度、前の日に冨井先生と礼拝の質について話していたところでしたので、Iさんからの呼びかけには、脱帽しました。聴くこと、話すこと、心を見つめることが、静かにそして、着実に実りつつあります。Iさんの呼びかけによって、めぐみ館での礼拝の話の質がグッと引き締まったものになっています。感謝。

(榎本)
 

 
 
 

< 話すということ >
 

 先日の週末の夜、事務室に一人の3年生が遊びに来ました。この3年生、普段から、学校でのこと、教会でのことなどを良く話して聴かせてくれます。私は、寮生とのそんな何気ないおしゃべりが大好きです。嬉しい出来事は、全身で嬉しそうに、悲しい出来事は、とても悲しそうに、叱られた出来事は、言い訳を交えながら、悔しそうに表現する姿に無性に愛着がわいてくるのです。余りにも言い訳が多いときは、苦言を呈することもありますが、「わかってます。わかってるんだけど、悔しいんです。」と返されると、思わず吹き出し「そっかそっか。」と言ってしまいます。
 

 さて、この日訪れた3年生と雑談を重ねていくと、倫理の授業のディベートの課題について話しが及びました。「先生は、死刑制度の廃止に賛成?反対?」との問いから始まり、賛成と反対の立場に別れて意見を交わしていったのですが、お互いの本心は同じ立場だったので、だんだんとディベートにならなくなってしまいました。うーん難しい!しかし、死刑制度や脳死の課題について話している中で、その子自身の価値観や、人として大切にしている思い、大切にしていきたい思いを聴くことができました。自分の中にある考えを思う様に言葉にできなくてもどかしさを感じていたようですが、しっかりとこちらに伝わってきて、じーんとしてしまいました。共感できる部分もあれば、「そういう考え方もあるんだ。」と発見の部分もあって、話していてとても面白かったです。なんでそう考えるようになったの?と聴くと、「親の生き方を見てそう考えるようになったし、本を読んで考え方がだいぶ変わりました。」との返事でした。
 

 「じゃ、帰りま〜す。」といつもの様に去っていった3年生。私はこの日、「話せてよかったなぁ」と心から思いました。日々の出来事や、自分が育った環境からどんなことを感じ・考え・学んできたのかを知ることができて、その寮生がより魅力的に見え、もっともっと知りたくなりました。“話しができる”ってこういうことかなぁ、と考えさせられ、“私は話しがしたい!”と強く思いました。

(冨井)
 

 
 
 

< 礼拝の話 >                      
 

2年 O.H.

 今日は私の従弟について話したいと思います。
私の従弟は2人いて京都に住んでいます。2人ともサッカー少年で、小学生のころからずっとサッカーを続けています。今は高校1年生と中学2年生で、遺伝によりものすごく身長が高いです。先ほど従弟が2人と言いましたが正しく言うと今は2人になってしまいました。
 私が幼稚園だったころまでは、私より3つ年上の従妹がいました。彼女の名前はMです。Mちゃんは生まれた時から脳性麻痺という障がいを持っていました。一人で立つこと、食べる事、話す事も出来ず、いつも笑うか泣くかでした。当時幼稚園生だった私は、私よりも年上のMちゃんが私のできる事を何故できないのか不思議でした。
そんなMちゃんは7歳で神様のもとへ行ってしまいました。私たちのおじいちゃんは医者だったため、朝、眠っているようにみえたMちゃんはおじいちゃんの診断により天国へ行ってしまったことがわかりました。自分の家で親戚に見守られて幸せだったことでしょう。
結局私が何を言いたかったかというと、7才と言う短い時間で、他の人に比べれば短いかもしれません。また、もっと短い命もあるでしょう。しかし、その命にも神さまから与えられた使命があります。Mちゃんは私たちに「一生懸命にいきること」をその短い生涯をかけて教えてくれました。
私たちも自分に与えられた使命を敬和生活を通して見つけていきましょう。
 
 
 

2年 S.S.

 皆さんには、大好きな人や大切な人はいますか。私には、とても尊敬できる大好きな人がいます。彼女の名前はN.M.さんです。重い病気で10年以上の闘病生活、入院生活を送り4年前に天に召されました。今日は彼女の事を通して私が皆さんに伝えたい事をお話ししたいと思います。
 彼女は小4の時に出会った友だちです。友だちと言っても10歳以上歳が離れているので、私のお姉さん、お母さんのような存在の人でした。そしてまっすぐな信仰をもっていました。私が体調を崩した時や辛い時、悩みがある時はいつも心配してくれて祈ってくれていました。きっと彼女の方がずっとつらかったでしょう。痛くて毎日苦しかったでしょう。でも彼女は私がお見舞に行く時にいつも笑顔で迎えてくれていました。いつも一生懸命に生きていました。本当に素敵な人です。私はそんな彼女と交換ノートをしていました。けれどその交換ノートは私でずっと止まっていました。理由は私がただ書いていなかっただけでした。「いつでも書ける」、渡せると思っていました。多分彼女は遠慮していたのでしょう。私がお見舞いに行くとき、交換ノートの話しは一度も触れませんでした。
 そして私が中学1年の丁度今頃、母から「彼女は春まで生きていられるか分からない」と聞かされ、時間が余りない事がわかり、私はやっと交換ノートの事を思い出し、書こうと思っていました。本当に私は最低です。けれど結局渡す事ができませんでした。まだたくさんやってあげたかった事があったのに、ディズニーランドや、色んな所に一緒に行こうと約束していたのに、彼女は私たちが思っていたよりずっと早く天国に行ってしまいました。
 

 もうすぐ彼女が天国に行って4年の月日が過ぎようとしています。けれど未だにあの時交換ノートをもっと早く渡せば良かった、もっとたくさんやれば良かったと、ずっと後悔でいっぱいの気持ちになります。私にとって彼女は本当に大きな存在だったのです。彼女が天国に行ってから改めて気付きました。彼女と過ごした1分1秒の時間はこれからもずっと私の宝物です。
 だから、大切な人がいるという事はあたりまえなことではなくすごく幸せなことだという事、そしてその1つ1つの時間を皆さんにも、これからも大切にしていってほしいです。そしてもし、大切な人を失ってしまってもそれは決して永遠の別れではないと思います。いつかきっと、また会えると思います。そして彼女はもう、この世にはいないけれど、私が忘れない限り彼女はずっと私の心の中に生き続けてくれている事を私は信じています。