労作日記

被災支援活動

2011/11/30

第9回 被災者支援労作(11月17日~19日)

 GWから始まった東日本大震災 被災支援労作も今回で9回目を数えました。
 

 地震発生から8か月以上が過ぎ、作業の内容も変化が見られるようになってきています。特に今回は、「海岸清掃大作戦」(今回が3度目)に参加し、全国から集まった300人を超えるボランティアの方々と共に、海岸付近の松林を整備しました。ここでも、敬和生が日頃の労作で自然に培っている力が大きく発揮され、現地の方々を驚かせていたのが印象的でした。
 
 

第9回 11月17日~19日 宮城県七ヶ浜町 
 
 

3年 霧島クラス S.N.

 今日一番印象に残ったことは七ヶ浜の風景です。今までテレビや写真で見ていたものが自分の目の前にあり、あの大きな災害が本当に起こったんだということを改めて感じました。私は地震で壊れた建物や街はたくさん見てきましたが、津波が起こったところを自分の目で見たのは初めてだったので、てっぺんの方まで津波で枯れてしまった木や、土台だけになった家、海から流れてきた船、まだ壊れたままになっている建物やガレキだらけの土地、泥だらけでぐしゃぐしゃになっている車など、たくさんのものを自分の目で見て、あの震災の被害を改めて知りました。現地でガレキの撤去をしている時も、庭にあったとは考えられない大きなガラスの破片や、泥まみれの絵本やかけら、レゴブロックなどが出てきて、すごく悲しい気持ちになりました。ここのジレットハウス(宿舎)の周りもほぼさら地になっていたり、津波がきたところが崖のようにけずれていたり、道一本へだてて住宅地とさら地に分かれていて残酷だなぁと思いました。それと同時にあの大きな震災から半年以上勇気が出ずに新潟から出なかった自分がものすごく情けなく思いました。最近は映像でもあまり流れなくなった被災地の現状をできるだけ多くの人に伝えたいとも思いました。
 私の地元の福島は原発の影響でまだまだ手のつけられない場所もたくさんあります。これから先、何十年後になるか分からないけれど、手伝えるようになったら今度は早く現地に入って、被災地の復興のために働きたいと思いました。
 
 
 

1年 若ぶなクラス S.M.

 今日の被災地支援労作では、ガレキの撤去とそのガレキの中のもの(かわら、石、ガラスなど)を、種類ごとに分ける作業が主な仕事でした。その仕事の中で私は一つひとつの作業を丁寧に気持ちを込めてすることにしました。被災された方のお家でいくらもうガレキになってしまっているからといって、その全てが無駄で大切でないものというわけがありません。一つひとつ全て思い出のつまった、そしてそれらはその方々の人生そのものなのです。私は初めそんな大切な場所に入ることをためらいましたが、自分の心の中に入るような気持ちで作業に向かい、そしてこのようなことをさせていただく機会を与えてくださったことに感謝しました。
 帰りのバスの中で道路に立てられたある看板がふと目にとまり、そこに書いてあったことの意味をしばらく考えました。そこには「くり返すことは進むこと!」と書かれてありました。そして今日の作業のことについて振り返ってみました。たしかに一人の力は小さく、やれることも力も限られてしまいます。でもそれが大人数となって一つとなると進んだと思ったり、光が見えてきたりするんだと思いました。そして「何回も何回もみんなで作業しているのにちっとも先が見えてこない」と思っても、それはそれを「くり返す」ことで「進んでいる」ことにつながるのだと思いました。
 前にこの被災地支援労作に参加した経験のある人たちの「(ガレキや色んな場所を見て)だいぶきれいになったなぁ。だいぶ進んだなぁ。」という言葉を聞いたりするとさらにそう感じます。
 
 
 

2年 穂高クラス S.H.

 ガレキの分別をしていた時、ジグソーパズルの1ピースを見つけた。レンガとか木、石ばかりの中にたった1ピース混ざっていた。他のピースはどこに行ったのか、元はどんな絵だったのか、どこから来たのか、それをつくった人はどうしているのかなど考えると悲しくなった。私も小さいころからパズルが好きで、家にはたくさんのジグソーパズルが飾ってある。それがバラバラになるほど家の中には水が入り、こわれ、流されていったと思うと想像しかできないが、本当に恐ろしいものがこの町を襲ったのだとこの時実感して、何かこみ上げてくるものがあった。早いもので震災から8ヶ月、私が思っていたよりも片付いていたけれど、ガレキの山を見るとどんなにたくさんのものが流れてきたのか、またそれを片付けるのにどんなに大変だったか、深く考えさせられた。
 そしてボランティアセンターの人の強さに驚いた。きっと自分の住んでいる町が大きな被害にあって苦しいことはたくさんあったはずなのに、とても笑顔で前向きに復興に向かっていて、強いなあと思った。敬和のこともすごくよく覚えて下さっていて、初めてきた私にも期待されているのだと嬉しく思うと同時に、少しでも復興の小さな一歩になればと思い今日は作業をした。一人ができることは本当に小さな事だけれど、今日来た多くのボランティアの方たちのような、たくさんの力で復興は進んでいるのだと気づかされた。そのような小さな力にこれからもなれるように被災地支援労作を続けていきたいと思った。
 
 
 

3年 雲仙クラス S.N.

 夏休み前の参加を最後に来ていなかった被災地支援労作。もしかしたら最後のチャンスになるかもしれないと思い、久々の参加を決意しました。ゆっくりと走るラグビー部のバスに揺られ5時間。暗闇越しに見てもあきらかにきれいになっている七ヶ浜を見て、「たった半年なのにここまで復興するなんて、人の力はすごいものがあるな」と感動せずにはいられませんでした。朝起きて一番に外に出て、すぐ目の前の浜を見たら、前回来たときにはまだコンテナやガレキが散乱していたのですが、すっかり片付けられていて、そこには毎年夏になると家族連れやサーファーでにぎわう本来の七ヶ浜がありました。
 一日目の作業は個人のお宅の庭に残っている石やゴミを取り除く作業でした。トンボでかき、土を少しはがしてからザルでこして、大きな石だけ移動させるという単純なように見えてけっこうな重労働でした。作業自体は坦々とこなせたのですが、僕はそのお宅の犬がすごく心に引っかかりました。家の人に話を聞くと、その犬も津波に流されたのが何とか助かったそうで、なぜか終始僕達に向かって吠えていました。近づいてもものすごい形相でこっちをにらんでくるのです。ただ元々人なつっこくない犬なのかもしれません。けれども僕には彼もこの震災、津波によって傷ついた一人というか一匹なのかもしれないなと思いました。その庭の奥に花が咲いていて、ここにも元々とても多くの花がキレイに咲いていたんだろうなと考えると、その花たちでさえ被災者の一人なんだと思いました。朝見た美しい海がひとたび人間に牙を向けると本当に一瞬で色んな物が流され、壊されてしまいます。
 「ひと まち うみ 七ヶ浜」と車道に書いてあるのに気付きました。こんなに恐ろしい経験をして、苦しんでいるはずなのに、憎んでもいいはずなのに七ヶ浜の人たちは以前と変わらずその三つで寄り添って生きていこうとしています。この災害は多くの人と物を流していきましたが、それでも元気に生きようとしている七ヶ浜の人たちは本当に強くてスゴイなと思いました。七ヶ浜の人たちを見て学んだことを、これからの自分の生き方に取り入れてけたらいいなと思いました。