毎日の礼拝

毎日のお話

2026/09/18

澤野 恩(保健体育科)

【聖書:ヨシュア記 24章 15節】

もし主に仕えたくないというならば、川の向こう側にいたあなたたちの先祖が仕えていた神々でも、あるいは今、あなたたちが住んでいる土地のアモリ人の神々でも、仕えたいと思うものを、今日、自分で選びなさい。ただし、わたしとわたしの家は主に仕えます。」

 

 

 ルールや罰則(脅し)は社会の秩序を保つ一方、人間の思考を停止させ、倫理観を育てないという問題がある。交通ルールの形骸化や安息日の逸話が示すように、罰を恐れてルールを守るだけでは人間的な成長はない。また、環境や罰則で抑圧された状態は善良さの証明にはならない。

 聖書が求めるのは、罰則による支配ではなく「警告と自律的な選択」である。真の教育とは、単に従順な生徒を育てることではない。敬和学園が罰則で縛らないのは、生徒が自ら考え、行動し、失敗の責任を取りながら成長することを信じているからである。