のぞみ寮通信

めぐみ館

2011/10/17

めぐみ通信 (2011年10月15日)

<修養会に参加させていただいて>
 

 2学年の修養会に参加させていただきました。開会礼拝の渡邊清和先生からのメッセージでスタートしました。コースは9つあって、その中の胎内市にあります「盲老人福祉施設」訪問に同行させていただきました。
印象的だったのが、盲老人の方々に寄り添っていらっしゃるスタッフの方々、介護士の方々の姿です。普段、目も、耳も、不自由なく過ごしている私は、語りかける時、要介護者に対するゆっくりとした暖かな眼差しや、耳の傾け方などのスピードの違いに、ハッとさせられることが多くありました。同時に敬和の生徒たちの純粋に耳を傾ける姿、施設の方から休憩にと、差し入れられるジュースを素直に喜ぶ声、そして、盲老人の方々に語りかける姿など、労作している生徒達の姿にも胸打たれる場面が少なくありませんでした。(最後の日は、風邪を引いた生徒を送ることになりましたので3日目の施設訪問は参加できませんでした。)
 そして何よりも今回参加させていただいた最高の収穫は、めぐみ館生の姿に胸打たれたことです。彼女はおしゃべりでよく注意を受けているめぐみ館生Yさんですが、盲老人の方に話しかける姿や、言葉は、彼女のような言葉数の多い人の方が、より分かりやすく伝わっていました。Yさんの気質が生かされている事に人の賜物はそれぞれに生かされる場があるのだな、と実感させられることとなったのです。
 寮の暮らしの中では出会えない通学生とも出会わせていただき、収穫の多い修養会でした。

(榎本)
 

 
 
 

<動き出した2年生!>
 

 先日の夕礼拝で、のぞみ寮運営委員の引き継ぎ式が行われました。めぐみ館の二年生も先輩から仕事を教えてもらい、独り立ちしようと頑張っています。
 その2年たち。どんなめぐみ館にしていきたいか話し合い、新テーマを考えました。私は、このミーティングの最中「2年生、変わったなぁ!」「あ!ここも変わった!」と何度も感心させられました。
 まず、活発に意見が飛び交うようになりました。それは、くだけたものから、真剣なものまで。そして、司会進行のOさん、書記のKさんにホワイトボード書記のOさんが加わって、内容が目に見えるようになりました。また、以前は、ホールの机三つを使用して座っていたためかミーティングへの意識の差が大きかったためか、あちこちで個人的なおしゃべりが頻発していて、発言している人の声に耳を傾けることができないことがありました。しかし今回は、「よく聴こえないね。よし!もっと側にいこう!」と一人が言い出したら、「私も前に行きたい!」とゾロゾロ移動し始め、ぎゅっと密集して話し合いを再スタートさせたのです。
 これらの変化、皆は何気なくやったのでしょうが、少し離れて参加させてもらっていた私は、とっても嬉しい気持ちになりました。
 今までミーティングに一生懸命だった人、これまで余り感心を持てなかった人、意見を持っていても言葉にする勇気がなかった人、その一人一人に変化が起きていると思います。新テーマのもとで、何気ない日常を大切にしながら、自分のこと・誰かのこと・めぐみ館のことに感心を持ち、悩み考え、話し合い、工夫していきましょう!

(冨井)
 

 
 
 
 
 

 
 
 
 
 
 
 
 
 

<礼拝のお話>                     2年 S.K. 

一気に秋らしくなってきましたね。空が高くて毎日とても気持ちがいいです。
風邪が流行っています。手洗いうがいをきちんとするようにしましょう。
 今日は、修養会で感じたことをお話しようと思います。
 43回生は、全部で9コースに分かれ、近隣の老人ホームや、障がい者施設、作業所などの福祉施設で3日間働かせて頂くという内容のもので、私は第6コースである「希望の園」と言うケアハウスでお世話になりました。
希望の園では、60歳以上の看護を必要としない自分の身の回りの事は自分でやる、と言う条件の付いた比較的元気なお年寄りの方々が暮らしています。入居者50人のうち15人が90歳以上の方で、その中でも最高齢は、99歳なのだそうです。
 希望の園での一番印象に残った体験は、入居者のお部屋を訪ねる「居室訪問」でした。訪問する時は2人1組なのですが、やはり最初の部屋のドアをノックする時は緊張してしまいました。しかし、その部屋に住んでいたおばあちゃんはとてもおしゃべりで楽しい方だったので、その緊張もたちまち吹き飛び、ワイワイと3人でおしゃべりをしていました。そのおばあちゃんは、何度も何度も同じ話を楽しそうに繰り返される方だったのですが、その中でも特に印象に残ったのは、日光の旅行に行った時のお話でした。
 生まれも育ちも新潟で、全くと言っていいほど県外に出たことが無い彼女は、教会で日光の旅行に参加した際、泊まった旅館があまりに広すぎて、自分の部屋に戻れなくなってしまったのだそうです。その日は合計3人の居室を訪ねたのですが、皆さんが必ず口にしていた言葉がありました。それは「今日は、とても幸せだ」と言う言葉です。
 2人目の居室を訪問した時、私は彼女のその言葉になぜですか、と言う質問をしました。彼女は両親も兄弟もすぐに亡くしており、新潟に親戚がいる、と言う事で東京からはるばる入居していて、そしてクリスチャンでした。
 彼女は答えました。自分は結婚もしていないし、家族にも兄弟にも早く死なれてしまった。人と関わることも少ない。だから、これといった思い出話とか、他人に話せるようなことは何も無い。だけど、聖書はいつも持っていた。教会に行っていた。だから、イエス様に見守られている。この素晴らしい場所で人生の最後に幸せに暮らすことができたからだ、と。そして、何より、話が出来る友達が出来たのよ、と本当に幸せそうな笑顔で話されていたのが印象的でした。
 今は、そんなおじいちゃんやおばあちゃんが生きてきた時代とは違い、とても裕福で恵まれた時代です。そして、その時代に生きる私達には、当時のものとは比べ物にならない程、沢山の人生の選択肢があります。しかし、その反面、現実から目をそらし自分の世界に自ら閉じこもってしまい、可能性を断ち切ってしまう若者が沢山居るのも現状です。人それぞれの行き方があるとは言え、その行為はやはり戦後この国を幸せにしようと頑張ってきた方々に失礼なのではないか、と思うようになりました。
 希望の園で、明るく前向きに生活している方々と接することで、なおさら強く思えたのです。私はこの修養会を通して、今、私達がなすべきことは、「今を存分に生きる」と言う事だと考えました。 
「今」と言う恵まれた環境を作り上げてきた先人の方々に対する敬意は勿論、それによって広げられた沢山の人生の選択肢を1人1人がきちんと選び、その道をしっかり前向きに歩んでいくことこそが、そんなお年よりの方々に対する最大の恩返しであり、神様から与えられた使命なのではないでしょうか。
 これからも周りの人との関わりを大切にして、この恵まれた環境に感謝しながら生活していこうと思います。