自分探しの敬和学園で 人を、自分を、好きになる。
2011/10/05
<学校での全校礼拝のお話より>
皆さんおはようございます。年に2回こうして朝の礼拝で話をさせてもらう機会を与えられます。
以前は正直、ここに立つことが苦手というより好きではなかったんですが、それも去年から変わりました。好きでなかったのに、今は何でしょうかわくわくしています。それはなぜか?忘れもしない去年の5月14日。2番目の子どもがお腹にいて、予定日を過ぎていたためいつ生まれてくるかわからない。「もしかしたら、今日生まれるかもしれないんです。」と話しておきながら、「それはないやろ」と心の中で思っていたんです。そしたら、本当にその日に生まれました。それ以来、私にとって最高にうれしいことがあったので、この朝の礼拝のお話に当たった日はなんだかうれしいんです。で、今日も朝、少しわくわくみたいな感じになっています。自分でも自分が単純な人間だなと思ってしまいます。
さて、寮の教師として学園の敷地内に住んで今年で7年目になります。たった7年ですが、この7年でめちゃくちゃ私の家庭環境は変わりました。長男のSは首も座っていない3ヶ月だったのが、小学一年生で今では、鼻をほじりながら何故かテニスラケット片手にスケボーを乗り回しています。
不妊治療を受けそれでもなかなかできなかった次男も産まれ、今ではよちよちと外を歩けるようになってきました。2人の息子が神様から与えられた。もう最高ですね。そんな変化があった7年であったわけです。
少し話がそれますが、第1回東日本大震災支援労作に出発する日の朝です。私は妻に久しぶりにカチンと来て怒りました。GW中でした。さあ今日から被災地に入るんだ、そう意気込んでいた私は、自分の持っている限りの力をすべて出し切るつもりでいたので、いつも以上に力が入っていたんです。なのに私の妻は朝から「気持ち悪い、気持ち悪い」の連発で、まるで「こんな私を残して、あなたはどこかに行くのね」みたいな感じで、実際は私が居ようがいまいが妻にはどうでもよかったんですが、まあ何しろ「よっしゃこれから」って時に後ろから引っ張られるみたいで、それがカチンと来て妻に怒ったわけです。ちなみに私、妻に怒るなんてことめったにありません。2年に1回ぐらいです。その2年に1回の怒りだったわけですけど、妻に言いました「なんやねんお前さっきから、気持ち悪い気持ち悪いうるさいねん。俺に行くな言うてんのか?」妻は言い返してきました。「違うわ!!」心の中では「ああ、けんかになってしまうなあ」と思っていたんですが、もう引き返せません。続いて次はちょっと大きな声で「じゃあなんやねん妊娠でもしとんのか?」続きに妻が「違うわ!!」そして私が「じゃあ黙っとれ!!」って言って出て行って、何日か後に何事もなかったかの様にかえってくるって作戦を練ったわけですが、「妊娠でもしとんのか?」の次に出てきた家内の言葉が「うん」えーーーー!!びっくりしましたね。妊娠しているんだったら話は別です。態度は一変。大丈夫か?そうか、おれ行くん辞めようか?「いやいやあなたがいても何もならないから・・・。」イターイひとことでしたね。この勝負は間違いなく敗退というような感じになりました。そうこの7年で三児のパパになるんです。私の家庭の変化はありまくりです。年子ということもあり今年の12月24日から30日に帝王切開で取り出すことも決めています。そうなると12月25日ははずせないな、何てことも考えているんですが、それはちょっとおこがましいかもなんてことも考えています。とにかく私は3人目を授かるわけです。
さて、いま子供を授かると表現しましたが、澤野家ではそうは表現しません。子供は神様から授かったのではなく、預かったんだといいます。これは、牧師である私の父に子供を祝福してもらうとき、今日の聖書の箇所のように子供を抱き上げ手を置いてもらい、そこで祈ってくれます。そのとき必ず強調して「あなたから預かった命」という言葉が出てくるんです。ここには親である私達に対してもメッセージがこめられています。
神様から預かった責任。それが親の責任だということなんです。通りで、私の父は私に対してとてつもなく厳しかったはずです。だって預かったんですから。でも、厳しさ以上に愛情も感じていました。ですから私も預かった子供たちを育てる親の責任を感じつつ日々を過ごしております。
でも、これは子育てだけでなく、みんなに言えることです。神様から預かった命、預かった時間。どうつかいますか?預かった3年という敬和学園の学びのとき、そう考えればおのずと今なすべきことが見えてくるのではないでしょうか?お祈りします。
(澤野)
<いよいよ修養会>
「敬和はいいなあ、毎年修学旅行があって・・・・。」違います、旅行は余計です。決して遊びに行くわけではありません。色んなことを見て、体で感じに行くわけです。とは言ったものの、いつもとは違った仲間と寝食を共にするわけですから、楽しみであることには間違いないでしょう。私も今年は2年生についていきますが、仕事で行くにもかかわらずちょっと楽しみです。そして期待しています。それはこの修養会で君たちが何を感じてくれるのか?それが何よりも楽しみでなりません。
特に3年生は北海道まで行くわけですから、さぞかしいろんなことがあると思います。土産話と君たちの成長に大きな期待を寄せています。が、調子に乗り過ぎてハメを外さないか心配であることも事実であります。
(澤野)
<食欲の秋?>
先週1週間はずいぶんと気温が下がり、肌寒い陽気の日が続きました。朝も布団から出るのがおっくうになります。朝食に集まるみなさんをみていると、眠たそうに眼をこすっている人がたくさんいます。新潟の夏の終わりから秋の始まりはずいぶんと瞬時に切り替わるものですね。新潟1年目の私は、季節の移り変わりの早さに若干戸惑いを覚えています。さて、もう秋です。秋といえば食欲の秋ですね!みなさん、近頃よくお腹がすくなぁなんてこと、ないですか?大望館では夜の点呼前にラーメンをすする「ラーメン部」の活動も活発になっているような気もします(ラーメン部自体は通年ですが…)。秋の夜長とも言うように、夜が更けてくるとお腹もすいてきますね。一方、朝はどうも食欲がわかない人が多いようです。ごはん一膳のみ、おかずだけ、はたまたヤクルトだけという人も目にします。寝ぼけ眼ではなかなかご飯を食べる箸も進まないかもしれませんね。お腹、すいてきませんか?私は朝食べないとダメなタイプなので小食のみなさんを見ていると少し心配になってきます。
朝は小食のみなさんですが夜はどうですか?部活動から帰ってきた人たちは、茶碗にかぶりついている姿もよくみかけます。お腹、空きますよね。いっぱい食べて、いっぱい動き、夜食でお腹をさらに満たし、いいことです!が…、最近こころなしか残食が多くなってきている気がします。東日本大震災から半年がたちました。当初、食事委員でも話し合いがもたれ、残食を極力少なくしていく取組がなされ、実際に前期の後半などは目に見えて残食の量が減っていました。新潟にいる私たちはややもすれば被災地で被災された方々の苦しみを忘れてしまいそうになります。「食欲の秋」とは、実に贅沢な言葉ではないでしょうか。秋に豊かな収穫があり、食べることができる。食はすべての健康の源でもあります。日々の食事に感謝し、お腹いっぱいたべて行事目白押しの秋を元気に過ごしましょう!
(浮田)