自分探しの敬和学園で 人を、自分を、好きになる。
2026/04/16
【聖書:ガラテヤの信徒への手紙 2章 16節】
「けれども、人は律法の実行ではなく、ただイエス・キリストへの信仰によって義とされると知って、わたしたちもキリスト・イエスを信じました。これは、律法の実行ではなく、キリストへの信仰によって義としていただくためでした。なぜなら、律法の実行によっては、だれ一人として義とされないからです。」
ガラテヤの信徒への手紙2章16節は、人は律法の行いではなく、イエス・キリストの信によって義とされると語っています。これは、人間の努力によってではなく、キリストの側からの一方的な働きによって救いが与えられるという教えです。
この言葉を記したパウロは、もともとキリスト教を迫害していた人物でしたが、回心し宣教師として各地を巡りながら福音を伝えました。彼の働きは、多くの人々に「努力によらない救い」をもたらし、希望と自由を与えました。
しかしこの「自由」は誤解され、自分勝手に生きてもよいという考えも広まり、教会内部に混乱が生じるということがありました。それに対してヤコブの手紙は、行いを伴わない信仰を厳しく批判し、共同体のあり方を問い直しました。
このように「自由をどう受け止めるか」という問題は、その後の歴史においても繰り返し問われ、宗教的寛容を重んじるリベラリズムという考え方が生まれました。
キリスト教における自由とは、単なる自己中心的なものではなく、他者を受け入れ、思いやることを含むものです。私たちもそのような本当の自由の中で生きることが求められています。