自分探しの敬和学園で 人を、自分を、好きになる。
2026/03/18
【聖書:ヨハネによる福音書 9章 2-3節】
弟子たちがイエスに尋ねた。「ラビ、この人が生まれつき目が見えないのは、だれが罪を犯したからですか。本人ですか。それとも、両親ですか。」イエスはお答えになった。「本人が罪を犯したからでも、両親が罪を犯したからでもない。神の業がこの人に現れるためである。」
毎年、敬和には数多くの弱さや、課題を持った生徒が入学してくる。弱さや欠点のない人などいない。特に思春期という中学、高校の年代には、誰もが様々な問題を抱えている。敬和は、それぞれ弱さや欠点を持った生徒が共に歩む学校だ。
お互いに相手を支えることで、逆に自分自身が支えられる。そして、敬和生、一人ひとりが、自分をとりもどし、静かに輝き始める時、学校全体が神の栄光に輝く学校。そのような学校であって欲しい。それこそがキリスト教学校としての使命と考えるからだ。
