自分探しの敬和学園で 人を、自分を、好きになる。
2026/03/05
【聖書:創世記 12章 1~3節】
主はアブラムに言われた。「あなたは生まれ故郷 父の家を離れて わたしが示す地に行きなさい。わたしはあなたを大いなる国民にし あなたを祝福し あなたの名を高める 祝福の源となるように。」
56回生の皆さま、そして保護者の皆さま、本日はご卒業、おめでとうございます。
皆さんは、中学・高校において新型コロナ感染症のために、さまざまな制限が加えられた生活を経験されました。
皆さんは、この世界的パンデミックを生き抜き、乗り越えてきた世代です。
その経験は皆さんに多くの気づきと成長とを与えてくれたはずです。
何気なくすごす日常が本当はどんなに貴重なものか、そして、その日常を支えるために多くの人たちが、日夜、働いていることにも気づかされました。
そういう皆さんだからこそ、一日一日を大切に、充実した学校生活を送ろうとする希望にあふれていました。
56回生がつくりあげたフェスティバルは素晴らしいものでした。
2日目は雨の中での開催となりました。雨のフェスティバルは5年ぶりでしたが、それをものともせず、例年以上の盛り上がりを見せてくれました。
雨のため、表彰式はこのチャペルで行われましたが、あのときの迫力は今も忘れられません。
各部門の発表のたびに大きな歓声が上がりました。
多くの3年生が泣いているのが、ここからは見えました。
嬉し涙もあれば、悔し涙もあったでしょう。
それは何かに全力で取り組んだ人だけが流すことのできる涙だったと思います。
3年次の修養会では平和学習を目的に沖縄に行きました。
残念ながら私は参加できませんでしたが、素晴らしい内容だったと聞いています。
見ること、聞くこと、その多くが重い内容だったかもしれませんが、皆さんの真剣な眼差しが目に浮かびます。
12月の讃美歌発表会では、どのクラスも3年生らしい自信に満ちた合唱でした。
「敬和の教育には3年かかる」といいます。
皆さんの発表を聞きながら、あらためてその意味を実感しました。
今、世界では戦争が続き、地球の環境問題も、年々、深刻なものとなり、先の見通せない時代に入ろうとしています。
長年、世界を支えてきた秩序が大きく変わろうとしています。
このような時代に、皆さんは、新たな出発の時を迎えました。
今日の聖書には、アブラハムという人の旅立ちが記されています。
神様はアブラハムに次のように言われます。
「あなたは生まれ故郷 父の家を離れて わたしが示す地に行きなさい。
わたしはあなたを大いなる国民にし あなたを祝福し あなたの名を高める
祝福の源となるように。」
アブラハムは聖書のなかで重要な人物です。
彼は、「生まれ故郷を離れ、わたしが示す地に行きなさい。」という、神様の言葉にしたがって、行き先も知らないまま出発しました。
それがどんなに孤独な出発だったか想像できます。
神様の約束の言葉以外に、彼の出発を保障してくれるものは何もありませんでした。
このような、ある個人の出発が、キリスト教という宗教の初めにあったのです。
もし、彼の出発がなければ、キリスト教やその世界観、人間観は生まれていなかったかもしれません。
日本人は周りに合わせることや、集団で行動することが得意とされています。
敬和というキリスト教学校で学んだ皆さんには、このアブラハムの出発の意味を憶えて欲しいと思います。
それは文明を生み出す精神、と言ってよいかもしれません。
周りに合わせて生きて行くだけではない精神。
孤独と冒険を恐れず、新しい価値、新しい世界の創造に向けて出発する精神です。
アブラハムは神様の言葉だけを頼りに出発しました。
私は皆さんに、自分にとって本当に大切なことを、一つでもよいから見つけて欲しいと思います。
それが皆さんの旅を支える一本の杖になるはずだからです。
それが皆さんの旅を導いてくれます。
イエスも弟子たちに、1本の杖だけをもって旅立つようにと命じました。
それ以外に必要なものは、神様が備えてくださると信じたからです。
一人ひとりには、人生のテーマが神様から与えられています。
それぞれに与えられたテーマを生涯かけて追及して行くこと、それが人間の生きる意味ではないでしょうか。
人生のテーマを追及するとはどういうことか、今日は、ノルウェーに伝わるある昔話を紹介したいと思います。
森を越える靴屋のお話です。
ひとりの靴屋が、ある王女と結婚することになりました。
靴屋が王女を救ってやったので、王女が結婚を約束したのです。
王女は出会う場所と時間を指定してきました。
彼はそこへ出かけます。ところがその場所で彼は眠りこんでしまいます。
王女は魔法の馬車でやってきて、彼の姿を見て泣き、名前を呼びます。
しかし、目を覚ますができません。
王女は羊飼いの少年に、7年の間、父の家、城で彼を待っている、と告げさせます。
目覚めた靴屋は、城への道を森の賢者に尋ねます。
賢者は言います。
「あの森を越えて行きなさい。城は森の向こう側です。
しかし7年の7倍かかっても、到達できないでしょう。
行こうとした者は皆、死にました。あるいは諦めました。」
靴屋は森に分け入り、斧で木を、伐り倒しはじめます。
森には道がなかったからです。
ところが切り倒すよりも早く、木はまた、生えてきます。
いくらやってみても同じでした。
ある時、一匹のライオンから身を逃れようとして、木に登ります。
森の果てしない広がりが見渡せました。
その広がりを見て、あまりの広さに若者は絶望します。
しかしそのとき「森を越えて行きなさい」という賢者の言葉を思い出します。
木を切り倒すのではなく、梢から梢へと、木の上を渡って行こうと思いつきます。
そのために、7年かけます。
とうとう若者は、城にたどりつきます。
その翌日、王女はある王子と結婚することになっていました。
ぼろをまとい、誰とも分からない恰好で、彼は城に出向きます。
王女はすぐに、彼が誰であるかを認めます。
そして二人は結ばれる。
このようなお話です。
このお話について、シモーヌ・ヴェイユというフランスの哲学者は、次のように説明しています。
この昔話は、神様の訪れを表している。
神さまが靴屋の若者を訪ねて来る。
しかし若者は、気づかず眠りこんでいる。
神様は立ち去るが、「あなたを待っている」との約束を残して行く。
若者は、その約束を頼りに、森に向かって旅立つ。
彼の行く手を阻(はば)む森は、人間の悪を表している。
若者は、人間の悪を越えて行かなければならない。
まず若者は悪を根絶するために、木を切り倒そうとする。
しかし、いくら切り倒しても木は生えてくる。
人間の中から悪を完全になくすことは不可能だからだ。
若者は絶望の中で一つの方法に思い当たる。
梢から梢へと渡って行く方法である。
それは、悪を根絶するのではなく、それを越えて行くこと。
悪、それ自体をなくそうとするのではなく、その果てまで、悪が終わるところまで行こうとすること。
あらゆる罪のなかにありながら、善を考えること。
悪を破壊するのではなく、善を信じること。
シモーヌ・ヴェイユは、このように説明します。
世界は混沌として先が見通せない状況です。
しかし、どんな困難に遭ったとしても、善を信じ続けること。
力によって悪を破壊するのではなく、善に目を向け、たとえ小さくても愛の業に励み続けること。
それによって悪を乗り越えること。
それは孤独な、細い道かもしれません。
しかし、その道にはアブラハムを導いたのと同じ神様の声が響いています。
神様がその道を守ってくださいます。
一本の杖を携え、それぞれの人生の課題を、愛をもって追求するとき、神様は私たちをそれぞれの「約束の地」に導いてくださる方だからです。
本日はご卒業おめでとうございます。
これから、それぞれの場にあって、敬和の卒業生としての誇りと使命感をもって生き抜いてください。
皆様の新たな旅立ちが、豊かに祝福されることを、心よりお祈り申しあげます。
2026年3月3日
