のぞみ寮通信

のぞみ通信

2011/06/20

のぞみ通信 No.172(6月20日)

「どんな状況にも」         寮長 信田 智
 

 私は敬和に来て今年で34年目になる。

その間、宗教主任をしながら、2回にわたり3年間寮長を兼務した事もあるので、気がついたら12年間寮長をしていることになる。しかし、クラス担任は32回生の一度だけでした。2年になってクラス替えがあり、いざ蓋を開けてみたら生徒達はビックリ、「これじゃとてもフェスティヴァル戦えない」と大ブーイング。
確かに、女子は明るく元気が良かったが、男子は皆オタクと言った感じであった。三年になって連合決めのとき、どのクラスからも蔵王(私たちのクラス)とだけは組みたくないと言われていた。それに加え、伝統的に蔵王連合はほとんど優勝した事がなかった。実は、クラス決めのとき、くじで1番を引いたので、生徒達は富士か霧島がいいと言ったのですが、いま蔵王の隣にある、相談室になっているところが、当時は聖書科の準備室で、常時私がそこにいたので、皆に頼んで蔵王クラスを選んでもらった。ところがそれが、後々非常に助かる事になった。
 それは、これから皆も経験しますが、3年生にとって一番大切な進路の時期、初めての担任で、私は進路の事には全く疎かったので、生徒は私に頼らず、直ぐ隣が進路指導室であったので、当時進路指導主任であった、今の教頭小田中先生に直接相談に行ってくれたのだ。だから私は3年の担任でありながら、ほとんど進路指導をしないで過ごした。それでも生徒達は、しっかり自分の道を見つけていった。
 
 さて話は戻り、フェスティヴァル当日、蔵王連合は得点を重ね、1日目の屋内部門で第1位。(当時は1日目の得点も発表された。)2日目屋外部門も蔵王の勢いは止まりません。そうなってくると、他の連合が蔵王つぶしにかかってくる。連合対抗の綱引きでは、他の連合全てを敵にまわして、それも跳ね除け1位であった。終わってみればぶっちぎりの総合優勝。(1・2年生の働きが大きかった。)
 自他共に、冴えないクラスと認めざるを得なかった2年の白馬の時から、3年になって、蔵王クラスでのフェスティヴァル総合優勝。神様が無力な私達に与えてくださった大きなプレゼントであったと思っている。どのような状況にあっても、神様は最善の道を開いてくださる。その信頼を持って自分達の最善を尽くす時、不思議と道は開かれてくる。敬和の生活はフェスティヴァルで終わりではない、フェスティヴァルで振るわなかったクラスも、頑張ったクラスも、ここから、なお自分達の最善を尽くしてみよう。きっと新たな道は開かれてくるだろう。
 
 イエスの弟子となったパウロは、反対者達に捕らえられ、牢獄にぶち込まれた中で手紙をかいた。「わたしは、自分のおかれている境遇に満足することを習い覚えた。貧しく暮らすすべも、豊かに暮らすすべも知っている。・・・いついかなる場合にも対処する秘訣を授かっている。」(フィリピ4:10―13)私たちも、主イエスによって力を与えられ、どのような状況にあっても、それに対処できるようになりたい。
 
 
 
 

寮生リレー通信  (第 89 回)
 

<光風館>
 

『ビリだとしても』

K.T.(1年 東京都立川市)

僕たちにとって初めてのフェスティヴァル。今年は衣装を担当しようと思い、衣装のグループに行きました。衣装は、布切れやチャコペンなどで作業をする役目があります。ある日衣装の作業が終わり、寮に帰ると先輩に声をかけられました。その理由は「演劇に入ってくれ」との頼みでした。僕はとても驚きましたが、先輩の強引な誘いで演劇をやることになってしまいました。正直、僕は「脇役ぐらいだろう」と思っていましたが、「主役のヒロイン役をやれ」と言われました。なぜ僕がヒロイン役をやれと言われたかというと、寮祭の時に僕が女装をして、その光景を先輩が見てしまったからでした。
僕は、今まで生きてきて本格的に演技をしたことも、セリフをたくさん話したこともありませんでした。観客がいないチャペルでみんなとセリフを合わせるだけでも心臓がバクバクしていました。でも、やるしかありませんでした。とにかく僕はフェスティヴァルに向けて練習しました。

 

本番のフェスティヴァル1日目、僕は誰よりも緊張していました。僕はなんとメイド服で演技をすることになりました。そして、舞台に立ちました。ですが、全校生徒の前にメイド服姿で出たのにあまり恥ずかしくありませんでした。なぜなら、一緒にステージに立ったみんなが真剣に声を出し、演技していたからです。だから、僕はこんなことで恥ずかしがっていてはいけないと思い、勇気を振り絞って声を出し、演技しました。最初は無理やり誘われ、嫌だった演劇も、終わってみれば良い思い出になりました。
 2日目はクラス対抗リレーで、僕の飯豊クラスが1位を取ったりし、フェスティヴァルの2日間、一緒の連合の人たちと共に活動ができてとても楽しかったです。今振り返るとフェスティヴァルが楽しかったのは、みんなと一緒に力を合わせて一生懸命に取り組んだからからだと思います。
 結局連合はビリでしたが、僕は富士連合で良かったと思います。たとえ順位がビリでも仲間と協力し合えば、順位に関係なく楽しめることを学びました。これからの学校生活でも仲間と協力し合い、一生懸命に頑張りたいと思います。
 
 
 
 

<みぎわ館> 
 

『本部!』        
M.M.(2年生 新潟県小千谷市)

 今年、私は本部と言う立場からフェスティヴァルに参加させていただきました。敬和のフェスティヴァルにおいて嫌われ役である「本部」。そんな本部に関わったのは、去年のフェスティヴァルを経験して「こんな楽しいものを作る側になってみたい!」という想いが私の中に大きく残っていたからです。
私が実際に活動し始めたのは今年の1月から。この時からすでに何度もミーティングを行い、仕事の内容も聞かされていたので「活動が実際に始まっても余裕そうだ!」と軽く考えていました。
そして4月。本格的に2011年度のフェスティヴァル期間が始まると、それまでの余裕はどこへやら。焦りや不安の毎日が続きました。というのも、今年は例年よりも2週間も遅れて始まった準備期間。限られた時間の中で終わらせなければならないという事や、自分の仕事を理解しきれていないという事などが重なり、「辛い!もう辞めたい!」と言う言葉をしょっちゅう口にしていた気がします。
精神的にも限界を迎えそうになった時、私は考えました。「この辛さが喜びになるのはいつだろう?」と。そう考えた時に、私の中に浮かんだものは『みんなの笑顔』でした。笑顔を見た瞬間こそ、努力が報われるときなのだろう、その事を信じて頑張り迎えたフェスティヴァル当日。本部で約5ヶ月もかけて準備したことはたった2日間と言う短さで終わってしまいました。エンディングも終了した後、友達が「楽しかった!これも本部のおかげ!ありがとう!!」と言いに来てくれました。その時私は初めて、「あぁ、本部やってよかった!」と思うことが出来ました。
 楽しいフェスティヴァルの裏で本部やチーフが苦労しているように、私たちの周りの楽しみや喜びの裏には誰かの苦労があるのではないかと思います。笑顔でいられるときにこそ、感謝しなくてはならないものがあるのだと学ぶことが出来ました。
 
 
 
 

 <大望館>  
 

『最高のフェスティヴァル』
H.Y.(3年生 新潟市中央区)
 今回のフェスティヴァルは、東日本大震災で苦しんでいる人たちがたくさんいる中で、やるのか、やらないのかということを学年全員で話し合うところから始まりました。そして例年より2週間遅れて動きだしました。1・2年生の時みたいに、上級生についていくのではなく、引っ張っていく側としての責任感や大変さを知り、遅れているということでの焦りや、部活との両立で準備期間は精神的にも肉体的にも辛かったです。でも、大雪クラスの人たちがみんな優しいし、すごい才能を持っている人たちばかりなので、頼りなく迷惑ばかりかけている自分は、本当に助けてもらいました。
 そしてみんなの協力のおかげでなんとか間に合い、フェスティヴァル本番を迎えることができました。各部門とても大変だったのですが、特にダンスは男子のほとんどが部活に所属していてなかなかそろうことができず、女子にとっても迷惑をかけ、男子にも部活も大変で時間もないなか振付を覚えてもらったりフォーメーションを覚えてもらったりと、頑張ってもらいました。そんな中2日目にダンスを踊り終わった後、「ダンスに誘ってくれてありがとう。本当に楽しかったよ。」と言ってもらい、涙が止まりませんでした。
 そして、大雪連合のみんなやたくさんの人たちのおかげで総合優勝をすることができました。フェスティヴァルはたしかに楽しいけれど、それだけではなく、いろんな人と関わりいろんなことを学び、辛いこともあるけれど全てが自分を成長させてくれ、周りの人たちに支えられているんだということを実感できました。ラストはみんなと一つになれたと思うことができました。保護者の方、先生方、そして大雪連合やほかの連合の人たちみんなに支えていただき、最高のフェスティヴァルになりました。本当にありがとうございました。
 
 
 
 

 <めぐみ館>
 
『フェスティヴァルを終えて』   

A.S.(3年東京都足立区)

 今年のフェスティヴァルは東日本大震災を受けて、私たちは自粛と言うことも考えながら、「フェスをやるか」と言う問いから始まりました。私はどうすることが最善なのか全く分からない中で、こんな風に思うようになりました。「フェスをやらなければ、やってみなきゃ始まらないじゃないか、まず一歩、42回生から進んで、学校全体がまとまることが大切だ」と思ったのです。
そして私たちは震災の事を覚えて「つながり」をテーマにしたフェスティヴァルを作り上げることにしました。そこでは、皆で心を一つにする事ができ、素晴らしい感動を覚えました。フェスをやる前は、本当に全体が一つになれるのか、心を一つと言っても、安っぽい言葉、キレイ事になってしまわないかと心配もしていましたが、やってみて本当に良かったです。
とは言うものの、自分にとっては困難の連続でした。それは、人に頼ると言う事が嫌というか、頼り方が分かない私でしたので、はじめのうちは何でも一人でやろうとしてしいたのです。その方が余計な気を使わないですむので、私にとっては楽な道だったのです。しかし、ダンスチーフを任され、すべてのことをこなすためには、人に頼らないでする事は不可能になりました。そして、私がhelpの色を出した時です。クラスの人たちや、友人、後輩までもが、私の支えになって手助けし続けてくれました。まさか、こんなに手伝ってくれるなんて思ってもいなくて、練習中や、夕食の時、寝る前に、感動してウルっと涙もろくなる事がよくありました。人を信じて一歩踏み出してみると、人を信じられなかったのは自分から壁を作っていただけだと言う事に気づきました。
フェスティヴァルを終えてみて、私自身に起こった様々な困難と思えた事は「全体がまとまるための大切な事」であり、それは神様が与えてくれたチャンスであったと気づきました。まだ苦手分野ではありますが、この気づきを忘れなければ、これから大変なことに遭遇しても大丈夫!だと思います。これからも今回得られた気づきを大切にして生きていきたいと思います。
 
 
 
 

<バザー献品の御礼>
 

 日ごろ寮教育に深いご理解と、温かいご支援を賜りまして誠にありがとうございます。
 今年のフェスティヴァルは東日本大震災を覚え、生徒たち自身で開催の有無を考えるところからスタートいたしました。様々な点で今までとは異なったフェスティヴァルでしたが、よく準備された素晴らしいものとなりました。生徒たちもこの取り組みを経て多くの体験を積み、多くの学びを得ることが出来たようです。またフェスティヴァルで学んだことを活かしながら、ここでの経験をエネルギーに変え、これからの学園生活に臨んでくれることを期待しています。

 

 今年度もバザ-におきまして、「のぞみ寮全国物産展」を設けさせていただきました。寮生保護者から寄贈された全国各地の名産品は、来場者の大好評を頂き、280,000円もの収益を得る事が出来ました。
 PTAバザー実行委員会のご配慮により、この収益金はのぞみ寮のため、また東日本大震災のために用いさせて頂くことになりました。皆様のご協力を賜りましたことを、重ねてお礼申し上げます。
 寮のある学園として全国に誇れる敬和であり続ける事を願い、今後とも引き続き、皆様の温かいご支援とご鞭撻を賜りますようよろしくお願い申し上げます。
 
 
 
 

<スタッフから一言>
 

 東日本大震災を受け、開催の有無を話し合うことから始まったフェスティヴァル。なんとか天候にも恵まれ、事故や怪我もなく無事に終えることができました。この期間の寮での過ごし方は様々で、辛さを大胆に表現する寮生もいれば、同じ館内に競う仲間がいるために愚痴一つこぼさない寮生もいました。時間にルーズになってしまい、厳しく注意されることもありました。泣いて笑って悩んで励まし合う姿がたくさんありました。今回のフェスティヴァルがどのようなものであったかは、一人一人の輝きに現れていたと思います。
 その後の13日の夜には、髪を短く整え黒々とさせ、気持ちも切り替えてきた寮生や緊張が解けた柔らかな表情の寮生と礼拝を守ることができました。6月末に控える部屋替えを機に、第二定期テストや希望する進路の実現、部活動の大会等に向けて、それぞれの歩みをぐんぐん進めていってほしいと思います。

冨井 愛(女子寮担任)