毎日の礼拝

毎日のお話

2025/12/18

クリスマス礼拝 上島一高(日本基督教団 松山教会牧師)

【聖書:ルカによる福音書 2章 15-20節】

「天使たちが離れて天に去ったとき、羊飼いたちは、『さあ、ベツレヘムへ行こう。主が知らせてくださったその出来事を見ようではないか』と話し合った。そして急いで行って、マリアとヨセフ、また飼い葉桶に寝かせてある乳飲み子を探し当てた。その光景を見て、羊飼いたちは、この幼子について天使が話してくれたことを人々に知らせた。聞いた者は皆、羊飼いたちの話を不思議に思った。しかし、マリアはこれらの出来事をすべて心に納めて、思い巡らしていた。羊飼いたちは、見聞きしたことがすべて天使の話したとおりだったので、神をあがめ、賛美しながら帰って行った。」

 

 

 初雪が降って、解けて、また降って、解けて、急に冷え込んで、一気に雪が降り積もって、「山も野原もわたぼうしかぶり」。マンション1階のわが家から見る景色は、小川も、畑も道も区別なく、一面雪の原の札幌です。
 当時小学生のうちの坊主たち(一人は後の敬和37回生)は、もこもこスキーウェアを着て、マンションのベランダから外に飛び出し、ココアが入ったよの声に、どこからともなく舞い戻り。飲み終わると、また雪の中。
 見送る私の顔はいつしか和らいでいます。ここは誰かの所有地、入っちゃダメということがないのです。雪は、全ての垣根を取り払ってくれます。これって、クリスマスの物語に似ている! どこがそうなのでしょう。
 むか~し、むかし、日が暮れて、その夜も羊を怖い獣から守る羊飼い。突然闇を払うように神々しい明るさが広がりました。羊飼いたちは身構えます。すかさず、神さまの使いが語り掛けます。「恐れることはない。」
 「あなたがた皆にとっての喜びを告げます。今日、ダビデの町で、救い主が――あなたがたに自分が大切であると気づかせ、あなたがたを誰かの隣人としてくださる方が――お生まれになったのです。」
 「『あなたがた皆にとっての』と言っても、ここには、俺たちの他誰もいない。よりによって、町の人々からは見下されている俺たちに大切なことが伝えられているとでも……」
 それに被せて、天使が続けます。
 「その方は、乳飲み子で、布に包んで飼い葉桶に寝かされています。これがあなたがたへのしるしです。」「飼い葉桶、家畜たちの餌箱だよな、そんな所に」と疑問の羊飼い。と、まもなく、天使たちの圧倒的な賛美の歌。

 

 ♪グローリア・イン・エクセルシス・デオ いと高きところには栄光、神にあれ

    地には平和、御心に適う人にあれ


天使は去り、不思議な思いに包まれながらも、羊飼いはベツレヘムへと出かけます。
 やって来たのは家畜小屋。よそ行き心にならず、畏まることもなく、中に入ることができました。動物たちと一緒にいる、若いお父さんとお母さんは、彼らの訪れにちょっとびっくり、でも「どうぞどうぞ」と迎えます。
 赤ちゃんは、動物たちの飼い葉桶をベッドに、布に包まってすやすや寝ています。羊飼いたちは、嬉しくなって、マリアとヨセフに「おめでとう」。帰りの道、羊飼いたちは心もうきうき、思わず口笛を吹いていました。
 (♪かみさまにかんしゃしましょう。ハレルヤ、ハレルヤ、ハレルヤ、かみさまはイェスさまをくださった、ハレルヤ、ハレルヤ、ハレルヤ) 羊飼いは、この話をいろんな人に伝え、やがて皆が知ることになります。
 クリスマスは神さまのお心、この飼い葉桶は、その中心、いわば世界の中心。人間が共に生きるための秘密が、明かされた場所。そのことが、世界の中心を見失っている私たち皆に知らされたのです。
 天使は神さまのお心を告げるのです。「飼い葉桶を見なさい」、「飼い葉桶の所に行ってみなさい」。何の敷居もなく、誰をも遠ざけない、自分の居場所、飼い葉桶を世界の中心に置いた時、世界の景色が変わります。
 野原一面雪が積もって、もう誰の物だと取り合うこともなく、皆で生きていける舞台に変わるのです。新潟教会にいた2000年代に気づかされたいくつかのことを、一人の羊飼いとして皆さんにお伝えしましょう。
 今橋さんちの赤ちゃんは、礼拝時、礼拝堂後ろの親子室に寝かされました。ある日、徳子(のりこ)お母さん(敬和の寮の先生)が言います。「うちの与歩(とほ)のベッドを礼拝堂に置かせていただいていいですか?」
 やや、間を置いて、そうだ、いいことじゃないか「どうぞどうぞ」となりました。左列の真ん中壁際辺り。与歩ちゃんのベッドはそこに。すると、「幼子を一番に」と聖書にある通り、礼拝堂の景色が一変するのです。
 もっとも、新潟教会は、私の着任以前から、景色を塗り替えて来ていました。皆の礼拝にこどもたちがいて、車椅子の面々がいて、瀧澤 豊さんによるユーモアたっぷりの手話賛美、飛び入り歓迎の聖歌隊があって。
 着任後も、路上生活者のための働きを共にした方々の結婚式が垣根なく行われました。豊さんは天に召され、聖歌隊もコロナで活動停止、でも、今新しい形が生まれつつあるそうです。「飼い葉桶教会」なのですから。
 最初に、垣根を消す雪の話をしましたが、一番良い「たとえ」とは言えません。「違いがあるままで一緒」、「違うからこそ一つ」となった時、思いがけない力を発揮する[垣根を超える]というのが、ずっと良いですよね。
 先日、南アフリカ出身のチェリスト、シンガーで作曲家のアベル・セラオコー(33歳)を知りました。オールブラックスのハカの迫力でチェロを弾き、歌い、作曲します。「制限なし(unbridled)のエネルギーでもって」。
 unbridleは「馬から鞍を外す」こと。鞍を乗せて馬を拘束し、制限する人間の力から自由になり、元々の野生のままに走り出すとは、彼の音楽を言い当てています。彼の音楽は聴く者をも解き放ちます。
 彼は南アの多言語・多人種を障害とせず、味方にします。オケの中でも、彼はチェリストであると思えば、シンガーになり、指揮者に替わりリズムをリードします。全く特殊なので、彼だけの持ち味……とはならない。
 彼の同僚によれば、「彼のエネルギーには伝染性がある」のです。「飼い葉桶」も同じ。そこから見たことを伝えた羊飼いの言葉は、時代を超えて、今も景色を変え続けています。溜息をつきそうな世界の現実の中で。