毎日の礼拝

毎日のお話

2025/10/30

大塚 忍(聖書科・労作科)

【聖書:ヨハネによる福音書 2章 13節-16節】

ユダヤ人の過越祭が近づいたので、イエスはエルサレムへ上って行かれた。そして、神殿の境内で牛や羊や鳩を売っている者たちと、座って両替をしている者たちを御覧になった。イエスは縄で鞭を作り、羊や牛をすべて境内から追い出し、両替人の金をまき散らし、その台を倒し、鳩を売る者たちに言われた。「このような物はここから運び出せ。わたしの父の家を商売の家としてはならない。」

 

 

 キリスト教は、2000年前にパレスチナで活動したイエスから始まりました。イエスの語った言葉と行いは新約聖書に記されています。私はかつてある集会で「キリスト教が『イエスの寛容』を取り戻すために」という題で話をしたことがあります。イエスは、自分の弟子ではない者が神の名によって良いことをしているのを見て、「止めさせてはならない。私たちに逆らわない者は味方である」(マルコ9・39~40)と言いました。イエスは自分の宗教儀礼の方法に固執するようなことはなかったのです。しかし同時に、彼は人間の権威や偽善には徹底的に不寛容でした。神殿を金儲けの場に変えた宗教指導者たちに怒り、「神の家を金儲けの場所にした」と断じたのです。自分が大事にしている場所が汚されていることを見過ごすことができなかったのです。


 16世紀の言語学者ウィリアム・ティンダルは、聖書を民衆が読めるように英訳しました。「もしも、神が私にもっと生きることを許してくださるなら、遠からず、鋤で畑を耕している少年の方が、現在のあなたよりも聖書についてもっとよく知ることができるようにしてみせる」と。その発言と思いは、当時の社会構造を揺るがすことにも繋がり、権力者たちによって命を奪われました。のちに彼は宗教改革者の一人に数えられるようになります。


 10月31日はルターの宗教改革を記念する日です。宗教改革とは信仰を宗教指導者である特権階級から普通の人々に取り戻そうとした日でもあります。様々な知識や経験がわたしたちを豊かにしてくれます。しかし同時に、知識や経験を得るたびに自分の努力によってこの豊さがもたらされたと勘違いしてしまうことがあるのです。聖書はこの人間の傲慢さを打ち砕いてくれるのです。読むことができなかった、閉ざされていた聖書が長い年月を経てわたしたちにも開かれるようになっています。宗教改革を経験したプロテスタントのキリスト教にとって最も大事なのは聖書です。1日の最初に与えられる聖書に向かい合うこの礼拝という時をこれからも大事にしていきたいと思うのです。