のぞみ寮通信

大望館

2011/08/29

大望館通信 第173号(8月28日)

< 全体礼拝お話より >
 

皆さんこんばんは。いよいよ夏休みが終わり始まってしまいました。

始まってしまったのか、始まってくれたのか感じ方はそれぞれです。どんな夏休みを過ごしたでしょうか?私自身はがっちり日焼けするぐらい子どもと遊びまわっていました。毎年、夏と冬には実家の大阪に帰っていたんですが、今年の夏は帰らずここで過ごしていました。毎回、実家に帰って感じていたことは「今日は何をしようか?やることが無くて暇すぎる、大阪はただただ熱いだけ」でしたが、やっぱり新潟は良いですよね。海あり山あり川あり。子どもと遊ぶ自然がたくさんあります。こっちが疲れて今日はダウンなんて日も、うちは庭が広いので安心して心置きなく子供を遊ばせることが出来ます。Sは汗だくになって帰ってきます。そんな息子はお兄ちゃんたちがいつ帰ってくるのかと毎日君たちを待っていました。Sにとっては寮が始まってくれたと感じているようです。
 

 さて、今日はどんな話をしようか迷いました。夏休みが終わったばかり。夏のネタで話を膨らまそうか?そんなことを考えていたんですが、帰ってきた君たちの土産話を聞いて、これは太刀打ちできない。そう思えてなりません。
ママチャリで新潟―東京間往復を一週間かけて旅したN君とD君の話などの土産話を聞かされたら私のネタなど到底太刀打ちできません。
じゃあ私がいつもの夏と違う経験をしたというならば、東日本大震災の支援労作しかありません。これまで7回行われてきた支援労作ですが、私は1・3・5の3回参加させてもらっています。普段から体を鍛えることを日課としている私にとって、私のやっていることがようやく役に立てる機会でもあるんです。ジムにいながらにして、時々感じてしまうことがあるんです。俺こんなしんどいことして何してるんやろ?別に現役でもなんでもないのに・・・と。ようやく自分が生かされる。ちょっとでも役に立てるのかもしれない。そんな思いで参加させてもらっています。もっと行きたいんですが、家庭もあるのでそうもいきません。
 

 3回行った中で一番印象に残っているのは第3回支援労作で行った引越しのお手伝いです。N君とT君と3人でお手伝いをさせてもらいました。引越しと言っても、津波ですべてを流されてしまった方たちの引越しです。避難所から避難所に移るだけで荷物は多くありません。段ボールが10個ほどです。私と同じ年ぐらいでしょうか?結婚指輪はしていました。でも家族はいるようでもありません。一人だけです。N君が紙袋を手にしようとしたとき、初めてその人の声を聴きました。「それは位牌なんで・・・。」そう言ってその紙袋だけは自分で大事そうに持っていました。生きる気力をまったく感じません。私たち3人はそれだけでその人がどんな思いで今を過ごしているのか、今を生きているのか?感じてしまいました。おそらくすべてを流されたんだと思います。私と同じ年ぐらいです。結婚指輪をしていたんですから結婚はしていたはずです。子供もいたでしょう。でもたった一人の引越し。生きる気力を感じないはずです。その時改めて、この震災と津波、そして原発。これがどういうことなのか感じざるを得ませんでした。
それと同時に、その状況の中に立っておきながら、励ますこともできない、声もかけることのできなかった自分の無力さ小ささを思い知らされました。でも、そんな私にもできることがあるんじゃないだろうか?それを見いだすことの大切さを今あらためて感じています。
 

 その一つに今日の聖句にある喜び・祈り・感謝、特に感謝するということ。寮長の開寮礼拝の話にもありましたが、今君たちがここにいる、ここにいられるということの恵みに感謝してほしいです。いまなお当たり前の生活さえできないでいる方たちが多くいることを忘れずに、今に感謝して始まる後期をしっかりと送りましょう。

(澤野)

 

 
 
 

< 澤野のボヤキ >
 

 毎年の事です。長期の休み後の夜は多くの生徒が机に真剣に向かっています。その光景はまるで試験前のような、いやそれ以上に切迫したオーラがホールを漂います。かなり遅くまで電気を点けていたにもかかわらず、それでも時間が足りなかったのか、K君に「なんで電気が消えてしまうんだ!!」と怒られてしまいました。でも、よくよく考えてみると、なんで私が怒られなきゃならないんでしょうか?そもそも悪いのは、長い休みの間に宿題を終わらせなかった君が悪いんじゃないですか?
 別に消灯をきちんといつも通りにしてもいいんです。だって悪いのはサボっていたあなたなんだから。それを私は・・・。自分でも思いました。僕ってなんてやさしい男なんだろう。こんなにやさしいんだから怒られるんじゃなく感謝してほしいぐらい・・・。それなのにあの男ときたら・・・。これこそ逆キレってやつじゃないか。そう思い、次の日は消灯をきっちり守ってやろうと思ったんですが、優しすぎる私はそれをしませんでした。
 これはもしかしたら優しさを通り越して甘さになってしまったんじゃないだろうか?ちょっと反省する、でも毎年ある光景でした。

(澤野)

 

 
 
 

< 「俺は海賊王になる」という進路選択の仕方 >
 

 進路の話が本格的になってきた3年生と、先週末に進路について講話を聴いた1・2年生達は、自分が中学生のころに敬和を選択した時を思い出してみてください。それぞれに敬和を選んだ経緯が違うと思います。また、敬和で過ごした時間もちがうと思います。私が伝えたいことを簡単に言うと、進路とは未来の話ですが、今をどのように過ごすかでどうにでもなるのです。
3年生の中にはオープンスクールに参加し、学校見学会や進路説明会に参加している人も多くいます。1・2年生の時に「先の話だからその時に考えればいいや」と思っていたら3年になってしまい焦っている人。自分は子供が好きだから、幼児教育を勉強できるところで推薦の条件が自分にあっているからと安易な考えで選んだ人。選択の難易度や選んだ理由がしっかりしてなければいけないのではなく、進路選択で重要なことは覚悟の有無だと思っています。
みんなが寮生活を含めて敬和を選んだ時に、「敬和で3年間頑張る」「勉強や部活を頑張る」と覚悟を決めた人は、前向きに今でも努力しているでしょう。敬和を選んだ時点では、まだ覚悟がなくても、入学後に部活や寮で先輩や後輩との出会い、行事を通して体験や講演を聞いて考えたなかで、芽生える覚悟もあると思います。この覚悟は与えられるものではなく、自身が見つけて心に刻むものです。
未来は自分自身で切り拓いていくものだと私は考えています。未来を変えたければ、自分が変ること、自分が動くこと、そして覚悟を決めて進むことだと思います。
まだ覚悟が決まらない人は、とにかく動くことです。友だちや先輩、先生などいろんな人の話を聞くことです。進路選択した時の話をたくさん聞いてみることも覚悟を見つけられる一つの方法です。来週から教育実習生がいらっしゃいます。聞いてみてはどうでしょうか?

(帆刈)