自分探しの敬和学園で 人を、自分を、好きになる。
2011/08/26
新潟アルビレックスランニングクラブに所属する陸上の選手に久保倉里美さんという人がいます。
400メートルハードルの日本記録を持っていて、この間のアジア大会でも優勝したすばらしいアスリートです。
久保倉さんはトップクラスの陸上選手をたくさん出している福島大学出身です。
福島大学の陸上部が強くなったのは、監督の川本和久さんという先生の力によるものです。
川本監督の指導方法は、いわゆる猛練習をさせるのではなく、どこまでも科学的です。
ある新聞記者が川本監督に次のような質問をしました。
「選手の才能をどうやって見抜くのですか、どうやったら強く育てられるのですか」。
川本監督の答えは科学的な練習をさせる人とは思えないものでした。
川本監督は次のように言ったのです。
「自分からあいさつできない選手はがんばれません。あいさつできないのは、一歩踏み出す勇気がないからです。伸びる選手と伸びない選手の違いは、あいさつできるかできないかにはっきり現われます」。
運動部の人はよくわかると思いますが、部活動にはいろいろルールやはっきりとした上下関係があって、その中で一番うるさくいわれるのがあいさつです。
何よりもまず先輩、先生には大きな声であいさつをするのを教えられます。
寮生活でも先輩からまず教えられるのは「あいさつ」です。
だから、あいさつするのを強制と受けとめて、その強制を嫌って、あいさつするしないは自由ではないか、なぜ強制的にさせられるのか、と反抗的になる人やそういうのは古いと考える人がいるわけです。
そこで、考えたいのが川本監督の言葉です。
川本監督の「自分からあいさつできない選手はがんばれません。あいさつできないのは、一歩踏み出す勇気がないからです。伸びる選手と伸びない選手の違いは、あいさつできるかできないかにはっきり現われます」という言葉からわかるのは、相手にあいさつすることが、相手に対する礼儀ですることではなく、自分の成長のためにするものだということです。
自分にとって大きな意味があるということです。
「おはよう」「こんにちは」というあいさつを自分の方からするしないは、小さなことではなく民族的にも歴史的にも大きな意味があります。
旧約聖書はヘブライ語で書かれていますが、そのヘブライ語でおはよう・こんにちは・さようならは同じ言葉です。
シャロームといいます。
そしてシャロームは平和という意味ももっています。
おはようと平和が同じ言葉なのです。
なぜ同じ言葉になのかです。
それは自分の方からあいさつをするということが、相手に対して、わたしはあなたに敵意をもっていません、わたしはあなたと仲良くしたいということ表すことになるからです。
逆に、相手にあいさつをしないということは、敵意を持っている、戦うという意志を表すことになると考えられました。
聖書が書かれた今のパレスチナ地方は習慣や考え方の違う民族が昔から入り混じって生活しています。
お互いが緊張関係にあります。
その違う民族にとって、あいさつするかしないかはまさに戦争するか平和に生きるかに発展する大きな問題なのです。
平和な生活ができるかできないかはあいさつ一つにかかっているといってもおおげさではないわけです。
みなさんも経験があるはずです。
あいさつしたのに相手があいさつを返してこなかった時、むっとしたことが・・・。
その時どんなことが頭に思い浮かぶでしょうか。
あの人はわたしに何か文句があるのだろうか、それであいさつしないのだろうか。
返事をしないということだけで、その瞬間、相手に敵意を感じたということはありませんか。
今日の聖書の見出しは「敵を愛しなさい」です。
イエス様が言われていることは、「人を愛するということはその人にあいさつをすることだ」ということです。
あいさつを自分の側から積極的にすることの大切さを言われています。
46節、47節をもう一度読んでみます。
しばらく前のことですが、あいさつについて残念な言葉を聞かされたことがあります。
その人は大学の関係者で新潟のあちこちの高校を訪問している人です。
その人が「敬和学園の生徒はあいさつができませんね」といわれました。
昼休みの時間に労作教室前の駐車場から正面玄関に来るまでの間、その人にあいさつをする人がほとんどいなかったというのです。
それは偶然であったのかもしれません。
その人が、その場にいた人たちにとって、何となくあいさつしにくい感じの人であったのかもしれません。
しかし、わたしたちにとって、そのあいさつをしないという1回の出来事が、その人にとってはすべて、それが敬和学園に対する印象、生徒に対する評価のすべてになったということです。
たまたましなかったことが、民族同士の戦争になる、大きな問題に発展するということが決しておおげさではないことがわかります。
あいさつできるかできないは、わたしたち自身の問題です。
イエスさまは自分の仲間、親しい人にだけあいさつすることの無意味さと、そうではない人たちに自分の方からあいさつをすることによって、敵に思える人もまた愛せるようになるといわれました。
福島大学の川本監督の言葉で言えば、自分からあいさつすることによって、それまで持てなかった一歩踏み出す勇気が、自分の中から湧いてくるということです。
おはよう・こんにちは、の一言が自分を成長させる力になるということです。
2011年度の後期が始まります。
42回生は敬和生活の仕上げと進路を拓くための大切な時です。
望む進路の実現に向けて周囲の人の協力を得ながら全力で取りくまなければなりません。
43回生は敬和の中心学年になるため時期です。
学習と生活にしっかり向き合ってください。
44回生の敬和生活はいよいよこれからが本格化します。一歩ずつ成長していってください。
こうしたことの実現と成長のためにも、自分のほうからあいさつをすることが、いかに大きな力になるかをしっかり自覚しましょう。
それでは2011年度の後期の学校生活を充実させていきましょう。