自分探しの敬和学園で 人を、自分を、好きになる。
2025/08/29
【聖書:サムエル記下 24章 10-12節】
民を数えたことはダビデの心に呵責となった。ダビデは主に言った。「わたしは重い罪を犯しました。主よ、どうか僕の悪をお見逃しください。大変愚かなことをしました。」ダビデが朝起きると、神の言葉がダビデの預言者であり先見者であるガドに臨んでいた。「行ってダビデに告げよ。主はこう言われる。『わたしはあなたに三つの事を示す。その一つを選ぶがよい。わたしはそれを実行する』と。」
「安全保障」という言葉をよく聞きます。大切ですし必要なことだとわたしは思います。平和をつくり続けるために、人と人、国と国が話し合って、関係を改善していくことも安全保障だからです。しかし、安全保障ために軍備を増強していくことも、積極的に行われています。核抑止も安全保障になります。こうなると、ドイツの神学者、ボンヘッファーの言う「『平和』は『安全』の反対なのである。安全を求めるということは、相手に対する不信感を持つことである。そしてこの不信感が再び戦争を引き起こすのである。」という言葉もうなずけます。安全を保障するために、皆さんは何が必要だと考えるでしょうか。
聖書にも国の安全を保障するために、軍備を増強する場面が出てきます。同時に、それに対する批判の声も記されています。古代イスラエルの王であるダビデが徴兵のために人口調査をし、神から罰をうけたという物語もその中の一つです。ダビデは、軍事力で周辺諸国を征服した強い王として称えられますが、その一方で、軍備増強への批判ともいえる言葉が、ダビデの生涯においても、あちらこちらで残されています。
安全のために、自分たちを守るためにどんな方法を用いるのか。平和を築くには何を選ぶべきなのか。後期が始まりました。様々なことを幅広く学びつつ、大事なこの問いもご一緒に考え続けていくことができたらと思います。