自分探しの敬和学園で 人を、自分を、好きになる。
2025/06/09
【聖書:マタイによる福音書 13章 3-9節】
イエスはたとえを用いて彼らに多くのことを語られた。「種を蒔く人が種蒔きに出て行った。蒔いている間に、ある種は道端に落ち、鳥が来て食べてしまった。ほかの種は、石だらけで土の少ない所に落ち、そこは土が浅いのですぐ芽を出した。しかし、日が昇ると焼けて、根がないために枯れてしまった。ほかの種は茨の間に落ち、茨が伸びてそれをふさいでしまった。ところが、ほかの種は、良い土地に落ち、実を結んで、あるものは百倍、あるものは六十倍、あるものは三十倍にもなった。耳のある者は聞きなさい。」
ゴッホの「種をまく人」を通して、「イエスは笑ったのか」という論争を考察してみましょう。聖書に笑った記述がないことから、笑わなかった説や笑いすぎて書かなかった説が存在しますが、私は「真顔で皆を笑顔にする芸人だった説」を提唱します。イエスの言動は真顔で行われながらも周囲に笑いを生み出し、そこに人々を引き込む魅力があったのです。私はゴッホの絵を見るまで自分を捨てられた種と思っていましたが、実は種を受ける地面だったと気づきました。神は誰に対しても変わらず愛を注いでいるのです。