労作日記

被災支援活動

2011/08/18

第2回 被災者支援労作(5月4日~8日)

 敬和学園は今年度、東日本大震災被災者のことを常に意識しながらすべてのことに取り組みたいとの願いを持っています。そこで具体的な活動の一つとして、被災地支援労作を5月から始めました。 
 

 聖書ルカによる福音書10章25節以下に「善いサマリア人」のたとえ話が書かれています。最後の部分に律法の専門家とイエス・キリストのやりとりが次のように記されています。「さて、あなたはこの三人の中で、だれが追いはぎに襲われた人の隣人になったと思うか」。律法の専門家は言った。「その人を助けた人です。」そこでイエスは言われた。「行って、あなたも同じようにしなさい」。この言葉に忠実であるところに敬和学園の人間教育はあると考えています。
 
 

第2回 5月4日~8日 宮城県七ヶ浜町 (野球部)
 

社会科教諭(野球部監督) 石川  学
 

 「今回の震災について、どんなこと知ってる?」「どんなこと感じてる?」そんな話をしていた3月下旬、3年生の部員たちから「自分たちもボランティアに行きたい」という言葉を聞いた。「この部員の気持ちを形にしたい…」これが今回の活動のきっかけであった。
 学校からの許可、保護者の同意と協力を取り付け、携行品の準備を整え、5月4日、4泊5日の予定で2,3年生部員13名と共に野球部のマイクロバスで宮城県七ヶ浜町に向かった。
 途中、仙台東部道路から見た景色に唖然とした。延々と続く津波にのまれた田畑。『バスで寝ていてみんなの声が聞こえて起きたら、周りの光景が異常だった。田んぼに家の破片みたいなやつとかグシャグシャになった車とか他にもバラバラすぎて何かわかんないものがたくさんあった。テレビでは津波の映像も見たし、被災地がどんなことになっているかも見たけど、生で見ると本当に言葉が出なかった。まさに絶句だった。』(K.S.)
 七ヶ浜では海岸の防波堤に乗り上げた漁船が迎えてくれた。
 翌朝8時半、七ヶ浜ボランティアセンターに行った。与えられた仕事は海から200メートルほどの畑の上に残された材木やガラス、コンクリートのガレキを取り除く作業。『広い畑に色々なガレキがあり、それを道路に持っていくという簡単な作業だったけど、暑い中、ヘルメット&マスク&ゴーグルをして作業は、体的にも精神的にもキツかったです。』(H.Y.)『コンクリートブロックをハンマーで壊し、運ぶ作業では、かなり重いブロックを一輪車で運ぶのはつらいものでした。ガラスを掘り出す作業では、私はこの作業をずっとやっていたのですが、いくらやっても下から無限に出てくるんじゃないかと思いました。』(M.S.)
 ガレキといってももとは誰かの物。
「先生、財布が落ちてた。」(W.Y.)見ると、紙幣と小銭とカードが入っていた。「持ち主に届くかな?」「生きていればなぁ・・・。何とかしたいね。」
 2日目はウッドデッキ(重さ約300キロ)を一度外して、下のヘドロを掻き出して石灰を撒き、元に戻すという作業をした後、他の場所に移動して家の後ろのヘドロを取り除いた。3日目は津波が運んだヘドロが付いた庭の砂利を土のうに詰めて運び出すという作業をさせていただいた。一部は保育園の遊具の消毒を行った。4日目の午前中、災害派遣の陸上自衛隊員と一緒に避難所から仮設住宅への引っ越しの荷物運びを手伝った。
 『どの作業も大変でしたが、作業よりもきつかったことは、常にマスクを着用しなければいけなかったことです。普通に作業をするだけでもつらいのに、呼吸をさえぎられてしまい、倍以上の疲労を感じました。自分たちはそんな疲労を4日間しか感じませんでしたが、被災地の方々は地震発生から2ヶ月経った今も毎日、ガレキをどけたり、泥を運び出したりしています。そのことを考えると、このようにして毎日何の苦しみもなく、ただ生活している自分たちはどれだけ感謝しなければならないのかと思いました。だから日々の生活を今まで以上に大切にしていきたいと思います。』(K.A.)『二ヶ月経とうとしている中で、まだあそこまでしか、復興できてない。一日ボランティアをしても、あれだけの範囲しかできない。でも一日一日、少しずつ復興していってるのかなあと思う。2ヶ月前は実際に見たものよりも、ヒドかったのだと思う。4日ともすごい疲れたけども、やっぱり作業を終えた後の達成感は毎回感じた。そして被災者の方の「ありがとう」という言葉は本当にうれしかった。その方の「生きててよかった」という言葉を聞いて、その場にいた人しかわからない怖さがあったと思った。心の奥底から言ってた。家に帰ってからも津波の動画を見た。ヒドかった。この災害は一生忘れてはいけない。経験も忘れてはいけない。』(I.J.)『ボランティアをしている中で、被災者の人が自分たちに気をつかってくれて嬉しかった半面なぜか気まずい感じがしました。でもその中でみんなで励ましあったり、助け合っていくことの大切さを学びました。これは野球にもつながっていくんじゃないかと思いました。このボランティアを通して、被災地の事を忘れないで生活をしていこうと思ったのと、そこで経験したことを生かして野球につなげていきたいと思いました。』(T.J.)
 

 この四日間、生徒たちは被災地を自分の目で見、自分の体で感じた。言葉にならない思いを自分の心の深いところに抱いた。
 「敬神愛人」を掲げる敬和学園は、今回の震災で大きなチャレンジを神様から頂いた。距離的にも遠くない被災地の、地震や津波によって学校や職場、家族を奪われた人々の隣人であり続けたいと思う。実際に、自分たちが被災地でできることはごくわずかなこと。しかし、現地では必要なこと。なにより、その活動によって、生徒たちは人とかかわって生きる生き方を学ぶ。大切な教育の機会である。聖書の「善きサマリア人」…助ける側の彼の心の中で何が起こったのだろうか?より豊かな何かが与えられたに違いない。