月刊敬和新聞

2023年7月号より「神は良しとされた」

校長 小田中 肇

 先日、敬和の1回生、3名が来校されました。70歳になった記念に母校を訪れるという計画を立てられたそうです。3名のうち2名は県外からです。私が学校の中を案内しましたが、廊下ですれ違う時、多くの生徒が挨拶をしてくれました。「自由な雰囲気と礼儀正しさのバランスがとれていて良いですね」と生徒をほめてくださいました。
 一回生が在学していた当時、校舎といえば現在の「みぎわ館」(女子寮)だけでした。そこに教室と寮が入っていたのです。今では想像できないほど小さな学校でした。チャペルに案内したときはその大きさに驚かれ、思わず歓声をあげました。また卒業生の名前が刻まれた銅板プレートを見て大変喜ばれました。
 チャペルにはOMホールという部屋があります。初代校長の太田俊雄先生と敬和創立のために大きな働きをされたジョン・モス先生を記念する部屋です。その部屋に入り、柔道着をまとった太田先生やモス先生夫妻の写真を見たとき、三人は懐かしい、と言って感動されていました。部屋を出た後、当時の先生方との思い出を懐かしそうに話してくださいました。
 私は1回生のこの訪問をとおして教えられたことがあります。それは、敬和教育の原点にあるのは教師と生徒の人格的交わりだ、ということです。それは生徒同士の絆をも強いものとしました。それが敬和教育を造る土台となったのです。今もこのことは大事にして行かなければならないと思いました。


今を生きるために
 さて、今年はコロナの制限も解除され四年ぶりに完全なかたちでのフェスティバル(学園祭)が行われました。在校生の保護者、卒業生、オープンスクールに来た中学生や保護者の方たちが集まる姿は2019年以来です。天候にも恵まれ素晴らしい二日間を過ごすことができました。
 特に今年は卒業生の来場が解禁となりました。見学に来られた新潟教会の長倉望牧師はそのことに触れて教会の礼拝説教で次のようにお話しされました。
 「卒業生はグラウンド周囲のいろいろなところで、目を輝かせ、満面の笑みで、ある人は涙を浮かべながら、駆け寄って再会を喜んでいました。心の底からの笑顔を見ながら、こちらも嬉しくなるとともに、一人一人の中に敬和で仲間と過ごした三年間が、どれほど大きな、大切な時となっているのか、ということを想像させられました。」
 さらに長倉先生は、この再会によって敬和を離れた卒業生たちがそれぞれの場所で今を生きるための力を分かち合っているように思う、と言います。
 「卒業生たちは、仲間と再会することを通して、自分の原点を確かめ、それを『自分の今を照らし出す光源』とし、生きる力をもう一度分かち合っているように感じられます。それぞれが、今度は敬和ではない世界で生きて行こう、そういう励ましが、フェスティバルに帰ってくる卒業生たちにはあるのではないでしょうか。」
 敬和教育を理解してくださっている先生の素晴らしいお話でした。卒業生は自分の原点、光の源を確かめ、今、それぞれが置かれた場所で新たに生きるために母校を訪れるのです。


希望というハイタッチ
 今年のフェスティバルでは新しい企画としてエンディングにおける全校生徒のハイタッチが行われました。グラウンドいっぱいに全校生徒が二重の円をつくり、音楽に合わせて走りながら互いにハイタッチをするものです。みんな楽しそうで、外から見ていた私も思わず輪のなかに加わりたくなってしまいました。夕暮れのグラウンドからは生への賛歌が聞こえてくるようです。
 何のためにフェスティバルは行われるのでしょうか。それは私たちがこの世界に生まれ、生きることの喜びを確認するためです。そこに私たちは神様の肯定の言葉を聞くのです。聖書の創世記一章には天地創造が描かれています。神様は最初に光を創造されます。
 神は「光あれ」と言われた。すると光があった。神はその光を見て良しとされた。
 これはこの世界を力強く肯定する神様の言葉です。天地創造は大いなるこの肯定の言葉から始まります。フェスティバルという祝祭において私たちは神様のこの肯定の言葉を思い出すのです。それによって新たに生きる力が与えられます。
 今も世界では、戦争や災害、事故や病気で苦難の中にある方が数知れずおられます。私たちはそのような方々と共にある学園でありたいと願います。そして常に希望をもって歩む者でありたいと望みます。どのような状況においても神様の大いなる肯定の言葉が世界に響いているからです。これからもその御言葉に支えられて共に歩む学園でありたいと願います。