月刊敬和新聞

2023年2月号より「新しい出発」~53回生 卒業祝福礼拝より~

校長 小田中 肇

 53回生の皆さまの卒業を心よりお祝いいたします。
 皆さんの過ごした三年間は、新型コロナ感染症のために、今まで経験したことのない学校生活になりました。入学も休校期間が設けられたために、二か月間、先延ばしになりました。
 当初、新型コロナの正体が分からないため、感染を防ぐために、今、思えば過剰なほど三密を避けることが呼びかけられました。それは、人との関わりを大切にしている敬和学園として、大変、厳しい状況でした。
 しかし、新型コロナがもたらしたものは悪いことばかりではありません。コロナ禍だからこそ、私たちは日常の大切さに気づかされました。例年ならば、当たり前のこととして行われていたことが、皆の協力によって実施できたとき、それはかけがえのない貴重な経験に感じられました。


コロナを乗り越えて
 53回生の歩んだ三年間はコロナという災いに見舞われながらも、一人ひとりがそれと闘い、精一杯、充実した学校生活を送ろうとする思いにあふれたものでした。この経験は将来、皆さんのなかで必ず大きな花を咲かせるものとなるはずです。
 53回生がつくりあげたフェスティバルは素晴らしいものでした。三年ぶりにほぼ完全な形で行われ、幸い天候にも恵まれました。この日のことは全校生徒の胸に刻まれていると思います。
 また三年次の沖縄修養会も貴重な経験でした。沖縄での修養会は敬和学園にとって最初のものです。しかも、それがコロナ禍に実施できたことは奇跡のように思えます。
 沖縄は、日本で唯一地上戦が行われた場所です。ウクライナでの戦争が続く今、沖縄で平和学習に取り組むことのできた意義は大きいと思います。また、講師やガイドの方のお話しを聞く三年生の姿勢に感銘をうけました。事前学習にしっかり取り組んで参加していること、戦争と平和の問題を自分たちのこととして受け止めていることが伝わってきました。さすがは敬和学園の三年生だと誇らしく思いました。


人生の土台
 昨年10月に行われた「関西敬和の会」での、ある卒業生の言葉を紹介します。その方は敬和学園の12回生で50代後半の方です。Aさんと呼ばせていただきます。Aさんは娘さんを敬和に送ってくださり、二年前に卒業されました。敬和の会には親子で参加してくださいました。お父さんは次のように言われました。
 「自分は敬和の教育で人間としての土台を築くことができたように思う。だから、大阪から子供を送るのは大変だったけれど、娘を敬和に入れた。土台がしっかりしていれば、たとえ建物が倒壊しても、もう一回、その土台の上に築きなおすことができるからだ。」
 このような内容を力強く語ってくださいました。私はその言葉のなかで、「たとえ建物が倒壊しても」という部分に説得力を感じました。Aさんは阪神淡路大震災を経験されているからです。


本当の喜び
 今、世界は再び、先の見通せない時代を迎えています。ウクライナの戦争は第三次世界大戦への扉を開いてしまった、という専門家もいます。そのような状況のなかで、生徒一人ひとりのなかに揺らぐことのない土台を築くことの重要性をあらためて思わされました。
 将来を楽観することは許されません。私たちは、今まで当然のこととして信じていた価値観が根底から崩されるようなことを経験しなければならないかもしれません。
 しかし、Aさんの言われるように、一度、崩れても土台がしっかりしていれば、その上にもう一度、建物を建てることできる。学校では、そのための学びと教育が行われなければならないと、あらためて考えさせられました。
 ではそのような土台はどのように築かれるのでしょうか。私は、Aさんにとって敬和での三年間がとても楽しかったのだと思います。その経験が今も彼を支えている。毎日の学校生活、寮での生活、そこには辛いこともたくさんあったと思います。しかし、それ以上に楽しかったはずです。そこに本当の喜びがあったのです。だから、娘さんにも同じ経験して欲しいと願って入学させてくれました。


敬神愛人
 敬和学園の教育の土台はキリスト教です。建学の精神である敬神愛人は、「心を尽くしてあなたの神を愛し、隣人を自分のように愛しなさい。」という聖書の言葉に基づいています。この御言葉の上に人生という建物を築いてください。先の見通せない不安な時代を生き抜くための知恵と勇気、そして建物が倒れても何度でも建て直すことのできる不屈の精神が、湧き上がる泉のように、皆さんの歩みを導いてくれるはずです。
 新たな自分探しの旅を始める皆さんが、この三年間の経験を胸に刻み、希望をもって新たな道に踏み出すことを願います。そして一人ひとりの歩みの上に神様の祝福をお祈りいたします。