毎日の礼拝

毎日のお話

2025/04/17

大塚 忍(聖書科・労作科)

【聖書:ヨハネによる福音書 13章 3-5節】

「イエスは、父がすべてを御自分の手にゆだねられたこと、また、御自分が神のもとから来て、神のもとに帰ろうとしていることを悟り、食事の席から立ち上がって上着を脱ぎ、手ぬぐいを取って腰にまとわれた。それから、たらいに水をくんで弟子たちの足を洗い、腰にまとった手ぬぐいでふき始められた。」

 

 

 イエスは、父がすべてを御自分の手にゆだねられたこと、また、御自分が神のもとから来て、神のもとに帰ろうとしていることを悟り、食事の席から立ち上がって上着を脱ぎ、手ぬぐいを取って腰にまとわれた。それから、たらいに水をくんで弟子たちの足を洗い、腰にまとった手ぬぐいでふき始められた。 ヨハネによる福音書 13:3-5

 

 キリスト教は、イエスという人間の言葉と生き方を繰り返し思い起こすことによって形作られるべき宗教だと感じています。そのためにわたしたちは聖書に向かい合わなければなりません。

 聖書には、イエスがユダヤ人の宗教指導者たちと様々な論争をしたことが記されています。ユダヤ教の指導者たちは、律法を守ることができない人々を罪人だと断罪するようなことがありました。イエスは彼らに抗いました。このことが十字架の出来事を生じさせることになったのです。

 イエスは自分の死が目前に迫っていることを悟りながら仲間たちと最後の食事を行います。イエスは集まってきた仲間たちの足を洗っていきます。マルコによる福音書10章45節に「人の子は仕えられるためではなく仕えるために、また、多くの人の身代金として自分の命を献げるために来たのである」と記されています。イエスの時代は、人の足を洗うのは奴隷の仕事だったようです。しかしイエスはこの言葉のように仕える姿を弟子たちに見せたのです。

 敬和学園はキリスト教の学校です。イエスが人々の足を洗ったことの意味を考えながら、自分自身はどのように自分以外の人に向かい合っていくのかを考えながら過ごしていきたいと思うのです。