自分探しの敬和学園で 人を、自分を、好きになる。
2025/02/10
【聖書:マルコによる福音書 2章 15-17節】
イエスがレビの家で食事の席に着いておられたときのことである。多くの徴税人や罪人もイエスや弟子たちと同席していた。実に大勢の人がいて、イエスに従っていたのである。ファリサイ派の律法学者は、イエスが罪人や徴税人と一緒に食事をされるのを見て、弟子たちに、「どうして彼は徴税人や罪人と一緒に食事をするのか」と言った。イエスはこれを聞いて言われた。「医者を必要とするのは、丈夫な人ではなく病人である。わたしが来たのは、正しい人を招くためではなく、罪人を招くためである。」
2月11日は「建国記念の日」となっていますが、敬和のカレンダーにはそう書いてありません。後で確かめてみてください。「信教の自由を守る日」と書いてあります。信教の自由というと、安倍元総理大臣が銃撃された事件に端を発し、2023年、文部科学省が世界平和統一家庭連合(旧統一協会)に対して解散命令請求を出した時から、この言葉を耳にすることが増えたように思います。解散命令は信教の自由を侵害するという声があるからです。今、裁判所の判断待ちになっています。これが信教の自由を侵すことなのかも判断がくだされるだろうと思います。
信教の自由については、日本国憲法第20条に定められています。「いかなる宗教団体も、国からの特権を受け、又は政治上の権力を行使してはならない」「何人も、宗教上の行為、祝典、儀式又は行事に参加することを強制されない」。東北学院大学で教えておられた川端純四郎先生は、こう説明されます。「何を信じてもいいというのならば、オウム真理教でもいいわけですが、そういうことではないのです。信教の自由は国家権力に屈服しない個が確立されているということです。国家権力がなんと言おうと、私の生き方は私が決めるということです」(『教会と戦争』)。私の生き方は私が決める。当たり前のようですが、残念ながら、個々人の生き方に対して国家権力が口出しするということは、昔も今もあります。
2月11日は最初から「建国記念の日」だったわけではありません。この日は、明治政府が定めた「紀元節」という祝日でした。日本書紀に登場する神武天皇が即位したのが2月11日だからというのがその理由です。その後、大日本帝国憲法が発布されると、天皇を神として崇拝することが強いられるようになり、宗教弾圧が行われるようになっていきました。1942年に起きた「ホーリネス教会事件」では、牧師をしていたわたしの曾祖父も逮捕されました。1年後には判決が下り、執行猶予がついたため、教会は閉鎖されたものの、別の仕事をしながら敗戦を迎えました。しかし、獄中で拷問を受けて死に至ったり、衰弱して亡くなる方もいました。他のキリスト教の牧師たちは、恐ろしくて自らすすんで天皇を神として崇拝することを選んでいきました。私もこの時代に生きていたら、そうしてしまうだろうと思います。日本は戦争に負け、天皇は人間宣言をし、紀元節は廃止されました。しかしすぐに元に戻そうとする動きが始まり、1966年、政府は2月11日を「建国記念の日」としました。弾圧が繰り返された戦争の時代を反省したはずだったのに、日本は天皇が永遠に統治する国だという歴史観がずっとあるのです。靖国神社問題が今も続いているのもそのためです。日本基督教団は、当時の反省に立ってこれに反対し、「信教の自由の守る日」とし今に至りますが、平和と一緒で、守り続ける努力をしないと壊れてしまう危うさをもっています。
イエスは、罪人と定められ虐げられている人たちとよく一緒に行動したので、権力側の人たちから非難されました。しかしイエスは動じません。誰を罪人とするかを決めて虐げているのは神ではなくて、時の権力者だとわかっていたからでしょう。人がその人らしく幸せに生きていくために神は働かれるのであって、その逆ではないのです。「正しい人を招くためではなく、罪人を招くため」という言葉は、宗教的権力から人を解放するための宣言だったのではないかとわたしは思います。2月11日を迎えるにあたり、私が私であるためには、信教の自由を奪われないことが絶対に必要だということをぜひ心に留めておいてください。