自分探しの敬和学園で 人を、自分を、好きになる。
2025/01/30
【聖書:コロサイの信徒への手紙 3章 12節~13節】
「あなたがたは神に選ばれ、聖なる者とされ、愛されているのですから、憐れみの心、慈愛、謙遜、柔和、寛容を身に着けなさい。互いに忍び合い、責めるべきことがあっても、赦し合いなさい。主があなたがたを赦してくださったように、あなたがたも同じようにしなさい。」
相田みつをさんの「みんなほんもの」という詩では,「トマトがトマトのままでいればほんものなのに,メロンになろうとするからにせものになる」という内容が謳われています。私たちの住む世の中には「皆がメロンを目指すべき」という風潮がままあり,メロンばかりが評価され,トマトに注目が集まることはあまりありません。しかし,トマトがトマトらしくあるとき,そこには「ほんもの」の持つエネルギーが生まれ,ときにそのエネルギーはメロンをも凌駕することがあります。トマトがトマトらしくあることは,とても素敵なことです。
勉強,スポーツ,社会的地位など,さまざまなところでメロンを目指すことばかりが評価される現代において,敬和学園高等学校は「トマトがトマトらしくあること」がどんなに素敵な事かを生徒の皆さんに伝える場でありたいと思っています。
そして,それと同時に,いろいろな考え方や価値観があってもよいということも伝えて参ります。「トマトがトマトらしくあることが素晴らしい」という考えもあれば「トマトがメロンを目指すことの方がいい」という考え方もある。その中で,自分と異なる考え方を頭ごなしに否定するのではなく,そういう考え方もあるのだと受け止める姿勢を「寛容」と呼びます。寛容さは平和をつくりだす礎であると私は考えます。
ひとりひとりが寛容さを身につけ,平和の担い手として社会へ巣立ってゆくことを,敬和学園高等学校の一員として切に願っております。