自分探しの敬和学園で 人を、自分を、好きになる。
2025/01/07
【聖書:創世記 1章 3~5節】
神は言われた。「光あれ。」こうして、光があった。神は光を見て良しとされた。神は光と闇を分け、光を昼と呼び、闇を夜と呼ばれた。夕べがあり、朝があった。第一の日である。
全校が再び学校に集い、新学期が始まりました。
楽しい冬休みをすごすことができましたか。
今年は、大きな事故、災害もなく無事に始業の日を迎えられたことを嬉しく思います。
「1年の計は元旦にあり、」という言葉があります。
何事も最初が大事。元旦をどうすごすか、それでその1年が決まる、という意味です。
学校生活も同じです。
2025年という年がよい年になるよう、新年、最初の1日、しっかり学校生活にのぞんで欲しいと思います。
新年ということで今日は、聖書の最初の部分を選びました。
創世記第1章には神様による天地創造と言われる世界の始まりが描かれています。
聖書を読む上での注意しなければならないことは、聖書は「理科の教科書」ではない、ということです。
聖書には、現代の科学から見ればおかしなことや矛盾することがたくさん書かれています。
今日の箇所もそうです。
しかし、だからといって、すべてを否定しては、そこから何もメッセージを聞き取ることができません。
聖書の生まれた時代と今とでは、科学の知識量が圧倒的にちがいます。
その時代の制約・限界の中で聖書も書かれました。
では、この創世記1章には何が書かれているのでしょうか。
それは、この世界のすべてと人間を創った方への感謝と讃美です。
空や海、太陽や月などの天体、そしてすべての生き物たち、それらを創った方への感謝と讃美を言い表すために、この創世記1章は書かれました。
この世界、この宇宙に永遠に存続するものではありません。
草や花も時が来れば、しおれ枯れて行きます。
太陽や月、夜空に輝く星たちも同じです。
それらが永遠に輝き続けるものではないことを宇宙物理学は教えてくれます。
空の星たちも、あるとき、この宇宙に生まれ、輝き、いつかその一生を終えて消滅します。
人間やほかの生き物たちも同じです。
人間が作り出したものも永遠には存続しません。
どんなに強力な国家であってもいつか滅びます。世界の歴史がそのことを証明しています。
だから、それらのものを絶対と信じ、それらにより頼ってはいけない、と聖書は繰り返し教えます。
それらは、神によって創られたものにすぎない、だから、それらには生まれる時と滅びる時がある。
そして、その時を定めるのは神様である、聖書はそのように教えます。
また、聖書は何よりも信仰告白の書です。
宇宙の誕生、創造を描くことで、神様への信仰と讃美が言い表されています。
「神は言われた。『光あれ。』こうして、光があった。」
続いて神様は光と闇を分けます。
「神は光と闇を分け、光を昼と呼び、闇を夜と呼ばれた。」
神様は光と闇を分けました。そして、それぞれを昼と夜と名づけました。
このようにして天地創造は始まります。
また、混沌とした闇の中を生きている人間に、神様が「光あれ」、と言ってくださった。
このように読むこともできます。
ここにも、神様への感謝と讃美が言い表されています。
神様はこの光と闇とを分けられました。
光とは神様から来たもの、闇はもともと人間にあったものです。
人間には誰でもこの両方があると考えられます。
光と闇。光だけの人はいませんし、闇だけの人もいません。両方が人間にはあります。
闇とは、自分の中にあるもので、しかし自分でも見たくないし、人にも見られたくない隠れた部分、暗い影の部分のことです。
光とは、自分のなかに宿る神様からの光です。その人を明るく照らす良い部分です。
それを自分では気づかず、他の人が教えてくれることもあります。
誰にでもこの光は宿っているからです。
この光と闇を分けるように神様は言います。
両方が混ざり合った混沌とした状況から人は、光と闇を分けなければならない、と言うのです。
なぜでしょうか。
天地創造において、神様が光を昼として、闇を夜として分けることによって一日が始まりました。
同じように私たちも、新しい一歩を踏み出すためには、心のなかの光と闇を整理して、分けることが必要だと教えているのだと思います。
例えば毎朝このチャペルで行われる礼拝。
礼拝は、何かそのことと関係があるように思えます。
礼拝の時間とチャペルというこの場所は、日常から区別されたものです。
それは、一人ひとりが神様からの光を感じ、新しい一歩を踏み出すために必要な時間と場所のように思えます。
さて、神様が光と闇を分けることによって、昼と夜が生まれ、一日が始まりました。
それはこの世界に「時」、「時間」が生まれた、ということです。
時間は目に見えません。
しかし、これほど不思議なものはありません。
時間がうまれ、そして第一日の日が始まった、それがこの世界の始まりです。
2025年、新しい年が始まりました。私たちも神様への感謝と讃美をもって、共に歩む者でありたいと願います。
今朝の敬和