お知らせ

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2024/12/20

今週の校長の話(2024.12.20) 「父ヨセフの生き方 ―終業礼拝よりー」

【聖書:マタイによる福音書 2章 13-15節】

星術の学者達が帰って行くと、主の天使が夢でヨセフに現れて言った。「起きて子供とその母親を連れて、エジプトに逃げ、わたしが告げるまで、そこにとどまっていなさい。ヘロデが、この子を探し出して殺そうとしている。」ヨセフは起きて、夜の中に幼子とその母を連れてエジプトへ去り、ヘロデが死ぬまでそこにいた。

 

 

今日はいよいよ終業日です。

8月から今日までを振り返るとき、こうして無事、終業を迎えられることを嬉しく思います。

今年の夏も昨年に続き猛暑でした。

9月、新学期が始まっても暑さはおさまらず、毎朝の礼拝も最初の1週間は冷房のきく教室での放送礼拝でした。

12月となり、雪の降る今から思えば、あの頃の暑さは嘘のようです。

 

9月末に全校修養会が2泊3日で行われました。

今年は天候にも恵まれ、実り豊かな3日間をすごしました。

各学年、講師の先生にも恵まれました。

修養会の前と終わってからとでは、それぞれ学年の雰囲気が変わったように感じました。

それぞれ新しい発見があったのだと思います。

 

10月には生徒会選挙があり、2年生への世代交代が行われ、生徒会、部活動も56回生が学校の中心になりました。

3年生はそれぞれの卒業後の進路の準備に本格的に取り組んでいることと思います。

一人ひとりに、ふさわしい進路がそなえられることを願っています。

 

昨日の讃美歌発表会は1年生の発表はインフルエンザのために延期となりましたが、2,3年生は、厳しい状況のなか、各クラスが歌声をこのチャペルに響きわたりました。

保護者も来てくださり、後期を締めくくるにふさわしい一日を過ごすことができたことに、あらためて感謝したいと思います。

 

さて、いよいよクリスマスが近づいて来ました。

クリスマスとは、言うまでもなくイエス・キリストの誕生を祝う日です。

ところで、皆さんはイエス・キリストの両親の名前を言えるでしょうか。

母親はマリアです。父親の名前がすぐ出る人はキリスト教にかなり詳しい人です。

正解はヨセフです。大工のヨセフと呼ばれています。マリアに比べて、あまり知られていません。

チャペルロビーの壁に、母マリアがイエスを抱いている、陶板の像が設置されています。

二人のまわりには天使や小鳥が飛んでいます。ところがお父さんは、どこにもいません。

ヨセフは影が薄い父親です。なぜでしょう。

母マリアは聖霊によってイエスを身ごもったと聖書には記されています。

イエスの本当の父親は、神さまとされているのです。ですから、ヨセフとイエスの間に血のつながりはありません。

ヨセフは、イエスの「育ての親」と言えます。

 

では、ヨセフとはどのような人物だったのでしょうか。

ヨセフは大工だったと伝えられています。

またその人柄を伝える有名な場面が、今日の聖書箇所に記されています。

イエスが生まれてまもなく、天使が夢に現れ、ヨセフに告げます。

「起きて、子どもとその母親を連れて、エジプトに逃げなさい。ヘロデ王がこの子を捜して殺そうとしている。」

ヨセフは跳ね起きて、幼子と母親を守るために、夜のうちに二人を連れてエジプトに逃げて行きます。

そこに、何の迷いやためらいはありません。

 

この場面は、ヨーロッパで絵画の題材としても描かれてきました。

イエスを抱いたマリアがろばに乗り、ヨセフがろばを引いて歩いている、というものです。

そこには、ひたむきに母と子を守り、養い育てようとするヨセフの姿があります。

 

後にイエスが十字架に架かるとき、母マリアの姿はありますが、ヨセフの姿はありませんでした。

イエスが宣教活動を始める前に、亡くなっていたと考えられます。

ヨセフは、「神の子」イエスを養うという大きな務めを黙々と果たしました。

しかし、その子が活躍するところを見ることなく、この世を去って行ったのです。

 

ヨセフはキリスト教の世界で、長い間、影の薄い存在でした。

ところが20世紀の後半に入り、ヨーロッパのカトリック教会、またカナダのキリスト教会を中心に評価が高まりました。

カトリックには聖人信仰というものがあります。

1962年の第2ヴァティカン公会議で、ヨセフは「守護聖人」として宣言され、1989年、ローマ法王、ヨハネ・パウロ2世は、「聖ヨセフの生き方こそが、これからの教会のあり方を指し示している」と述べました。

今、ヨセフは世界のカトリック教会において最も信頼されている聖人の一人なのです。

 

ではなぜ、ヨセフがこのように信頼を集めるようになったのでしょうか。

20世紀に入り、社会は大きく変化し、家族の形態も変わってきました。

昔は、日本を含め、多くの国では、家父長制と言って、家族の中で父親が大きな権力をもっていました。

父親は強くあるべきものとされました。

そのような父親像と比べるとヨセフは弱い父親かもしれません。ヨセフにそのような権力はありません。

ヨセフは、母マリアとイエスを守り、育てるために必死で生きました。

またヨセフは、イエスの成長にとって、なくてはならない存在でした。

子どもが大人になるためには、母親以外の大人に愛され、認められる必要があるからです。

 

イエスは、ヨセフから大工としての仕事を教わりました。

イエスはヨセフによって、社会とつながる技術を身につけることができたのです。

このようにヨセフは、立派に父親としての役割を果たしました。

だからこそ、ヨセフの生き方に多くの人が励まされ、その生き方こそがこれからの世界の歩むべき方向を指し示している、とローマ法王に言われるまでになったのです。

 

ヨセフは私たちに、『人は、血がつながっていなくても、互いに家族になれる』、というモデルを与えてくれます。

私は、敬和学園が一つの家族のようであって欲しいと願います。

家族のように、生徒と教師が互いに信頼し、相手を思いやり、何でも相談できて、普段、あまり話したことがない人でも、困ったときは互いに協力できる学校であって欲しいと思います。

 

また、今、世界の多くの国や地域で戦争が行われています。

このような時代だからこそ、黙々と平和の道を歩むヨセフの生き方から、世界の指導者は学ばなければならないと思います。

後期の学びを終え、クリスマスを迎えようとする今日、私たちも、聖家族を支えるヨセフの歩みをおぼえて、共に歩む者でありたいと願います。

それでは、すてきなクリスマスとよい年をお迎えください。

 

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今朝の終業礼拝