自分探しの敬和学園で 人を、自分を、好きになる。
2024/12/16
【聖書:ルカによる福音書 2章 8節-12節】
「その地方で羊飼いたちが野宿をしながら、夜通し羊の群れの番をしていた。すると、主の天使が近づき、主の栄光が周りを照らしたので、彼らは非常に恐れた。天使は言った。「恐れるな。わたしは、民全体に与えられる大きな喜びを告げる。今日ダビデの町で、あなたがたのために救い主がお生まれになった。この方こそ主メシアである。あなたがたは、布にくるまって飼い葉桶の中に寝ている乳飲み子を見つけるであろう。これがあなたがたへのしるしである。」
新約聖書の福音書には二つのイエスの誕生物語が記されています。マタイによる福音書とルカによる福音書です。これらの二つの物語を読み比べてみると全く内容が異なることに気付かされます。マタイによる福音書には占星術の学者たちがやってきて黄金、乳香、没薬という贈り物を捧げたとあります。他方、ルカによる福音書にはその記述がありません。この福音書には羊飼いが登場します。キリスト教の幼稚園や教会学校などの誕生劇では二つのグループは赤子のイエスの元に一緒にやってきたと描かれます。けれども二つのグループは一緒にイエスの元にやってきたのではないのです。マタイによる福音書を描いた人、ルカによる福音書を描いた人のイエス誕生物語の強調点が違うために登場人物が異なっているのだと思います。今朝はルカによる福音書のイエス誕生物語を読んでいただきました。わたしたちは、この人がこの物語を記し、伝えようとしたことの意味を、想像力をもって読み込んでいく必要があるのではないか、と思うのです。
この福音書ではイエスは生まれた後「飼い葉桶」に寝かされたと記されています。飼い葉桶というのは家畜の餌箱です。ヨセフとマリアは旅に出ていたのですが、泊まる場所がなくて、急遽家畜小屋を確保したのだと思われます。またこの福音書には羊飼いが登場します。彼らは「夜通し羊の群れの番をしていた」と記されています。野獣が襲ってきたり、羊泥棒が来たりすることがあったためです。羊飼いというのは、日中は餌となる牧草を求めて歩き回らなければなりませんでした。彼らは昼も夜も働きづめで、心と体を休ませる時間がなかったのです。心身ともに疲れ切って生きていたのがこの時代の羊飼いだったのです。その羊飼いたちの元に天使がやってきて「あなたがたのために救い主がお生まれになった」と告げたのです。この言葉は非常に重要だと思われます。「神様を信仰する人々のために」、「神様の教えを守るユダヤ人のために」などと天使は言っていないのです。疲れを感じながら、明日の不安を覚えながら生き、弱りきっている人たちに向かって「あなたがたのために」と天使は告げたのです。ルカによる福音書を描いた人のこの物語の強調点は「飼い葉桶」、「羊飼い」です。この二つの共通点は誰も見向きもしない場所、見向きもしない人たちということです。「飼い葉桶」、「羊飼いたち」が置かれていた場所は、明るい光からは遠ざかった場所でした。多くの人間には誰も見向きもされない場所だったのです。しかし神様はこの場所に目を向けておられた。この場所に光を当てようとされたということをこの福音書を記した人は伝えようとしたのです。降誕物語だけではありません。この福音書に貫かれているのが人間とは異なる神様の視点です。神様は誰も気づかない人間に、そして場所にスポットライトを当てられるということを伝えようとしているのです。
オノ・ヨーコという人がいます。元ビートルズのメンバージョンレノンの妻です。2017年にNHKのファミリーヒストリーで取り上げられました。わたしが以前働いていた岡山教会にも取材が来られました。この人のお祖母様が岡山教会に通っていたことがあったためでした。15秒ほど岡山教会の礼拝堂がテレビに映りました。取材後『オノ・ヨーコ今あなたに知ってもらいたいこと』という本を借りて読みました。ある食事会に招待された時のエピソードが記されていました。「ヨーコさん、どうぞ真ん中へ」と案内されたそうです。けれども、彼女は「隅っこに座らせてもらいます」と言ったそうです。理由は、隅に座る方がよく観察できるから、隅に座ることによっていろんなことが見えてくるからということでした。またその本の中でヨーコさんは以下のようにも言っています。「私は片隅に座って過ごしてきたために生きながらえた女だと思っています。(中略)隅に座って過ごしてきた人生の強みというものが、私を支えていると思っています。どこに座るかということに神経を使ってください」と。
「隅っこ」、「隅」はイエスが生まれ寝かされた「家畜小屋」、そして「飼い葉桶」に重なります。ルカによる福音書を記した人は、神様がこの地上に遣わされたイエスという方は、誰も見向きもしない「飼い葉桶」という隅っこに生まれたのだ、と言うのです。そして十字架に付けられて死ぬまで隅っこに追いやられているような人たちと共に生きたと伝えているのです。羊飼いたちもまたこの世の隅っこに生きざるを得ない人たちでした。けれどもこの隅っこに生きる人たちに神様はイエスが生まれたことを大勢の人たちに伝えるように命じたのです。神様の言葉は、圧倒的な力によって、大きな声によって知らされるものではない。隅っこに生きる小さな声によって伝えられるものなのかもしれません。
イエスの時代から2000年後に生きているわたしたちにも、天使は告げています。「あなたがたのために、あなたのために救い主がお生まれになった」と。その救い主は、隅っこにある現代の飼い葉桶に寝ているのです。それはどこなのでしょうか。大きな声が小さな声を飲み込むようなことが至るところで起こっている世界です。戦争によって、自然災害によって苦しみ涙を流している人々が存在しています。乳飲み子の声がかき消されてしまうような中にわたしたちも生きているというのが現実です。しかし、その世界の隅っこ、小さな場所から神様の思いは発信されているのです。クリスマスまでのアドベントの時、普段、忘れてしまいがちな「隅、隅っこ」を意識しながら、歩んでいきたいと思うのです。