自分探しの敬和学園で 人を、自分を、好きになる。
2024/12/12
【聖書:エレミヤ書 31章 15-17節】
「主はこう言われる。ラマで声が聞こえる 苦悩に満ちて嘆き、泣く声が。ラケルが息子たちのゆえに泣いている。彼女は慰めを拒む 息子たちはもういないのだから。主はこう言われる。泣きやむがよい。目から涙をぬぐいなさい。あなたの苦しみは報いられる、と主は言われる。息子たちは敵の国から帰って来る。あなたの未来には希望がある、と主は言われる。息子たちは自分の国に帰って来る。」
先月観たEテレの再放送の番組で、作家のスベトラーナ・アレクシエービッチさんが学生の質問に答える場面がありました。「どうしたら人間は絶望を克服できますか」という問いに、彼女は「人間であり続けること」だと答えていました。人間であり続けるとはどういうことなのか。そこで詳しい説明がなされたわけではありませんが、彼女の言葉を聞いていると、日々の生活の中で、特に苦しみの中にある時、大きな声や力に巻き込まれたり、ただすがろうとしたり、仕方ないと沈黙をしたりしてしまうけれど、それに抵抗してほしいということではないか、と思いました。未来が見えない今、どうしたらいいのかわからない時は、とにかく答えがほしいので、その答えをくれる大きな声や力にすがってしまうのですが、自分の声をちゃんと持った小さき人々の一人の人間として生きていくことをあきらめてはいけない、と。
先ほどの聖書の箇所には、南ユダ王国が滅び、バビロニアへの捕囚が決まった時の嘆きが記されています。戦争に負けたのだから仕方ないとあきらめるのではなく、あってはならないことが起きてしまった、わたしたちの人生が壊されていく、と思うからこその嘆きです。するとそこに、神が応答する言葉が続きます。あなたの未来には希望がある、と。ここでは具体的には捕囚状態からの解放を指しますが、自然災害や戦争、他にも大きな力に巻き込まれ、流され、失われていく声を内に閉じ込めておかない、自分自身であり続けようとする時、人間であり続けようとする時に、希望は見えてくるというメッセージにも聞こえてきます。これは、救い主であるイエスが、強大な力を持つ王として登場するのではなく、無力な一人の人として誕生したことにも通じるのではないでしょうか。