自分探しの敬和学園で 人を、自分を、好きになる。
2024/11/25
【聖書:エレミヤ書 1章 6~8節】
わたしは言った。「ああ、わが主なる神よ わたしは語る言葉を知りません。わたしは若者にすぎませんから。」
しかし、主はわたしに言われた。「若者にすぎないと言ってはならない。行って私が命じることをすべて語れ。彼らを恐れるな。わたしがあなたと共にいて必ず救い出す。」
皆さんはグリム童話という童話集を知っていると思います。
白雪姫やラプンツェルなどディズニー映画になっているものもあります。
今日は、グリム童話のなかの「ろばの子」(KHM 144)というお話を紹介したいと思います。
昔、王様とお后がいましたが、二人には子どもがいませんでした。
やがて子どもが生まれましたが、それは人間の子どもではなく、ろばの子でした。
お后は悲しみのあまり、「ろばを生むくらいなら、子どもを生まなければよかった。川の中に投げて、魚にでも食べてもらいましょう」と言います。
けれども王様は、「それはいかん。神さまがこの子をくださったのだから、この子はわたしの息子であり、跡継ぎだ」、と言いました。
ろばの子は大切に育てられることになりました。
ろばの子は明るい子で、特に音楽が大好きでした。
ある有名な音楽家のところに行って、リュートの弾き方を教えてもらいます。
ある時、ろばの子はもの思いにふけりながら散歩しているうちに、泉のほとりにやって来ました。
中をのぞき込むと、鏡のようにすんだ水に自分のろばの姿が映っていました。
それを見てろばの子はすっかり悲しくなり、家来を一人だけつれて旅に出ました。
あるお城にたどり着いたとき、門を開けてくれるように頼みますが開けてもらえません。
ろばの子は腰をおろして、リュートを取り出し前足でとてもきれいに弾き始めました。
すると門番は驚いて王様に報告します。
王様は「その音楽家を通しなさい」と言ってお城の中に通します。
王様は、このろばの子が大変気に入り王女と結婚することになりました。
結婚式の夜、王様は心配になり、召使いに二人の寝室の物陰に隠れて、様子を窺うように命じました。
ろばの子は花嫁と一緒に寝室に入ると、とびらの鍵をかけ、他に人のいないことを確かめると、突然、ろばの皮を脱いで美しい王子になりました。
王女はこれを見ると大変喜んで、王子を心から好きになりました。
しかし朝になると、王子は、また、ろばの皮をかぶりました。
次の日、召使いは王様に、夜、起きたことを報告します。
王様は信じられません。すると召使は「それでは王様が、ご自分で確かめて、ろばの皮を奪って燃やしてください。そうすれば、ろばの子は、本当の姿のまま、2度と、ろばにはならないでしょう」と言い、王様はその言葉に従います。
王様が入って行くと、月明かりの中、気品のある若者が寝ていました。
床には、ろばの皮が投げ捨てられています。
王様はろばの皮を拾い、燃やしてしまいます。
朝、若者はろばの皮をかぶろうとしますが見つかりません。
若者は心配そうに言います。「ああ、ぼくはここから逃げ出さなければならない・・・」
そう言って、部屋を出て行くと、そこに王様が立っています。
そして言います。
「わが子よ、そんなに急いでどこに行くのだ。ここにいなさい。おまえはそんなに美しい若者だ。」・・・ 若者はその後、幸せに暮らしました。
このようなお話ですが、いくつか印象的な場面に触れたいと思います。
まず、ろばの子が、澄んだ水に映った自分の姿を見て悲しくなり旅に出る場面です。
ろばの子も、その時までは自分も周りの子と同じ姿をしていると思っていたのかもしれません。
人は子どもの頃は自分が人にどう見られているかなど気になりません。
しかし、思春期を迎えると他の人と比べてしまいます。
そして自分が人と違うことに気がつきます。
ろばの子は水に映った自分の姿を見たとき悲しくなりました。
あまりに他の子とは違うからです。
同時に自分とは何者なのだろう、と思ったかもしれません。
ここから、ろばの子の自分探しの旅が始まります。
次に、印象的なのは、ろばの子がろばの皮を脱ぐ場面です。
ろばの皮の内側には、美しい若者という内面が隠されていました。
旅でさまざまな経験をするうちに、ろばの子の内面には、「本当の自分」、「よい自分」、「美しい自分」が育っていたのです。
しかし、その自分を素直に人の前に現すことができません。
まだ不安だからです。「本当の自分の姿で、生きて行けるのか、人に笑われたり、傷つけられたりするのではないか・・・」
心の中では、本当の自分で生きてみたい、と思っていても、どうしてよいか分かりません。
若者は部屋から逃げ出そうとします。
しかし、ここに王様が登場します。
王様は若者の気持ちを受け止め、やさしく語りかけます。
「わが子よ、ここにいなさい。おまえはこんなに美しい若者だ。」
私は、このお話の中でこの場面が一番好きです。
皆さんも、このろばの子のような不安や迷いを経験したことがあるはずです。
誰でもいつか本当の自分を現わさなければならない時が来ます。
人によってその時期はちがいますが必ず来ます。
それは、若者が大人になるために乗り越えなければならないことだからです。
ろばの子には王様がいて、そのことを助けてくれました。
自分一人の力では不可能です。
若者が大人になるためには、年長の信頼できる人の手助けが必要であることを、このお話は教えてくれます。
しかし、何よりもこのお話が伝えてくれるのは、若者は、誰もが美しい内面をもっていること、それを一人ひとり内側に育んでいる、ということです。
今日の聖書です。
預言者エレミヤの召命の場面です。
若いエレミヤに神様が語りかけます。
「わたしは、あなたが生まれる前から、あなたを知っている。わたしは、あなたを諸国民の預言者として立てた。」
エレミヤは答えます。
「ああ、わが主なる神よ、わたしは語る言葉を知りません。わたしは若者にすぎませんから。」
ここには、神様から大きな使命が与えられたときのエレミヤの不安が描かれています。
しかし神様は言います。
「若者にすぎないと言ってはならない。どんな時も、わたしがあなたと共にいて必ず救い出す。」
ここで神様は、ろばの子を受け止め、新しい自分を生きることを励ましてくれたあの王様のようです。
この神様の言葉に支えられて、エレミヤは神の言葉を預かり、語る預言者として立つことができました。
わたしたちもその恵みをおぼえて今日の一日、共に歩むものでありたいと願います。
今朝の敬和