自分探しの敬和学園で 人を、自分を、好きになる。
2024/11/18
【聖書:詩編 126編 5-6節】
「涙と共に種を蒔く人は、喜びの歌と共に刈り入れる。種の袋を背負い泣きながら出て行った人は、束ねた穂を背負い、喜びの歌をうたいながら帰ってくる。」
皆さんは数学の授業で、素数という数について習ったことがあると思います。素数とは1と自分自身以外に約数を持たない数です。順に上げると{2,3,5,7,11,13,17,19・・・}。
ところで、以前、数学の本で読んだことですが、「昆虫も素数を知っている」というのです。
先日、テレビでアメリカのある町では、今年の夏、221年ぶりのセミの大発生のあった、と報道されていました。
映像では、普通に町を歩いているだけで、着ているTシャツにセミが沢山とまって大変そうな様子が映されていました。
このセミの正体は17年セミと13年セミです。
これらのセミの寿命はそれぞれ17年と13年で、どちらも地中の木の根の樹液を吸って成長します。
そして最後の1年になると、ゆっくりと木にのぼり、脱けがらを捨て、数万匹のセミが、飛び立ちます。
セミは鳴き交わし、オスとメスは互いに相手を求め、つがいを作ります。
そして卵を産み、地上に現れて6週間後には死にます。
セミのいた森は再び沈黙に包まれ、そのまま13年が過ぎます。
なぜ、この同じ森に住むセミの寿命が17と13という素数なのでしょう。
生物学的には証明されていませんが、次のように考えられています。
この2種類のセミが同時に森に現れるのが、何年毎になるか計算してみます。
そのためには13と17の最小公倍数を求めればよいのですが、両方とも素数の場合、掛け合わせて13 ×17=221年となります。
もし仮に、寿命が素数ではなく12年と18年だとしてみます。
すると12と18の最小公倍数は36ですから36年毎に現れることになります。
221年と36年とでは大きな違いです。
なるべく同時に森に現れない方が、互いに競合しません。
寿命が素数の方が、両方にとって都合がよいわけです。
今年、大発生したセミが、同時にまた発生するのは221年後です。
気の遠くなるほど長い進化の歴史が、セミの寿命をそのように定めたのでしょう。
それにしても不思議です。
一般に生物は、「環境に適応するように進化した」と言われます。
環境が変わることは、生物にとって最大の危機です。
生物は、進化の過程で、何度もその危機を切り抜けて来ました。
その一つひとつが命がけの挑戦だったと思います。
それが数千万年続けられ、環境に適応できるように進化しながら、命をつないで来たのです。
その点は私たち人間も変わりません。
私たちも、数えきれないほど多くの、危機を乗り越えて進化し、今があるのです。
それらの経験は、私たち一人ひとりのDNAに記憶されています。
以前、末冨綾子さんという方のインタビューを聞いたことがあります。
現在61才、パリと京都で半年ずつ生活しながら美術作品を創作されている方です。
末冨さんは18年前に失明されています。
高校1年生の時、自転車通学していたのですが、夜、ものが見えにくいので、気になって眼科に行きました。
お医者さんは、「次の日、お母さんと一緒に来るようにと」と言います。
次の日、母親と一緒に行くと先生は「40才になったら失明するかもしれません。治療法はなく、どのように進行するかも分かりません」と、告げます。
それを聞いて、母親はパニックになりましたが、自分にはピンと来なかった、視力も人より良い方だったし、現実感がなかった、
むしろドラマの主人公になったような気持ちだった、と言います。
お医者さんは、「40才になって、見えなくなるかもしれないけれど、好きなことをやりなさい」と、言いました。
この言葉が、その後の自分の心を支え、考え方の基本になった、と言います。
高校を卒業すると、東京の美大に進学します。
人の2倍、絵を描こうと決めます。
卒業後、フランス政府給費留学生としてパリに行きます。
留学期間の終わり頃、視野が狭くなり、見えにくくなって来ました。
アトリエにこもり、ひたすら絵を描き続けます。
その結果、コンクールに入賞。画廊から注文をいただき、フランスで画家としてやって行くチャンスが与えられます。
43歳で失明しますが、それからは、ひもで形を描いて固定するという独自の技法を編み出し、精力的に創作活動を続けています。
それらは視覚障害の方が手で触っても鑑賞できる作品です。
末冨さん次のように言っています。「自分にとって、目が見えないことは壁になっています。しかし視力の低下に合わせて、新たな技法を生み出す時、壁をすり抜ける心地よさがあります。」
「失明したからといって、真っ暗闇を生きているのではありません。色彩や光のイメージで、頭の中は一杯です。」
人間は、どんなに苦しい状況に見舞われても、それに適応し、乗り越えて行く力が備わっています。
それは、生物として長い進化の過程で、私たち人類が身につけた能力です。
また、このインタビューの中で印象的だったのは、高校生の末富さんに言われた、「好きなことをやりなさい」というお医者さんの言葉です。
お医者さんは、最も必要な励ましの言葉を、これ以上ないタイミングで伝えました。
この言葉に支えられ、末冨さんは人の2倍努力し、失明してもなお作品を作り続けることができたのです。
そこにあるのは暗さや悲壮感ではなく、与えられた命を精一杯生きようとする、明るい希望と信頼です。
今日の聖書です。
「涙と共に種を蒔く人は、喜びの歌と共に刈り入れる。」
どのような苦難も神さまは、それを喜びに変えてくださいます。
悲しみの涙を、喜びの歌に変えてくださいます。
私たちも今日の一日、その恵みを憶えて、共に歩む者でありたいと願います。
今朝の敬和