自分探しの敬和学園で 人を、自分を、好きになる。
2024/10/28
【聖書:マタイによる福音書 5章 43~44節】
「あなたがたも聞いているとおり、『隣人を愛し、敵を憎め』と命じられている。しかし、わたしは言っておく。敵を愛し、自分を迫害する者のために祈りなさい。」
皆さんは「無限」という言葉を聞いたことがあると思います。
限りがない、どこまでも続く、などの意味です。
反対語は、限りがあると書いて「有限」です。
「人工衛星が無限の宇宙に飛び立った」などと言われます。
日常的に使われる言葉ですが、その意味をよく考えてみた人はあまりいないと思います。
ところで、今から140年ほど前、無限について研究した人がいました。
ゲオルク・カントールというドイツの数学者です。
有限の世界とは全く異なる、無限の世界について、数学的に研究したのです。
無限の世界を説明する、有名なたとえを紹介します。
ある町に「ホテル無限大」というホテルがありました。
普通のホテルならば、部屋の数は有限です。
部屋が全部ふさがっていれば客を収容することはできません。
ところが、「ホテル無限大」は違っていました。
無限に多くの人を収容できるのです。
ある時、一人の客が現れます。
客は無限に続く数の部屋、1号室、2号室、3号室・・・それらが全てふさがっていることを告げられます。
受付係は宿泊を断ろうとしています。
ところが支配人は、平気な顔をして次のように言いました。
「大丈夫。1号室の客を2号室へ、2号室の客は3号室へというように、一部屋ずつ移動してもらいなさい。そうすれば1号室が空くのでそこに新しい客を入れればよい。」
客はこのサービスに喜び、次にこの町に来る機会があったときも、このホテルにやって来ます。
ところが今回は、ある「究極の会合」のために集まった、「無限大の数」の友人が一緒でした。
この時も人気のホテルは満室です。
受付係は困惑していますが、支配人は平気な顔をして次のように言います。「大丈夫。このホテルは予約なしで無限大のご一行様でもお迎えできるのだ。お泊まりのお客様に、自分の部屋番号を2倍した部屋番号に移動してもらいなさい。
1号室の客は2号室へ、2号室は4号室、3号室は6号室、4号室は8号室へ・・・。そうすると奇数番号の部屋、1号室、3号室、5号室…が全て空く。そこに入ってもらえばよい。」
こうして突然現れた、無限大の客も全員、泊まることができたというのです。
このようなお話です。
いかがでしょうか。
何かだまされた気がする、と感じる人が多いのではないでしょうか。
カントールの研究は、当時の人々に全く受け入れられませんでした。
彼の大学時代の恩師であり、当時、数学の世界で大きな影響力をもっていたクロネッカーという人は、カントールの研究はいかがわしいものであり、全く価値がないと否定しました。
カントールは希望する大学への就職もできず、やがて「うつ病」に苦しめられ、生涯を終えます。
なぜ、彼の研究は否定されたのでしょうか。
当時、「無限」とは、想像上の概念にすぎず、実際には存在しないものと考えられていました。
例えば「無限に続く直線」と聞いた時、それを頭のなかでイメージすることはできます。
しかし、実際それを見ることはできません。
ここに1枚の折り紙があるとします。
それを半分に折って行きます。
無限回、半分に折り続けたら、最後にどうなるでしょう。
無限に小さな折り紙ができるはずです。
それをイメージすることはできますが、そのような折り紙を見た人はいません。
このように、無限とは人間の想像上の産物で、実際には存在しないものと考えられていました。
だから、それを研究対象にすることは、当時の数学では、いかがわしいものとして評価されなかったのです。
有限の世界に生きている私たちですが、日常の中に、無限を感じることがあります。
私たちは、無限を見ることはできなくても、それをイメージすることができるからです。
私たち人間は、有限の世界に生きながら、どこかで無限の世界と触れ合って生きる存在だからです。
たとえば、夜、満天の星空を見上げるとき、
春夏秋冬、自然の不思議を目にするとき
美しい言葉、美しい芸術、美しい音楽に触れたとき
そして、運命を変えてくれる人に出会ったとき
このような時、私たちは心のなかで、無限の世界と触れ合っているのです。
今日の聖書で、イエスは、私たちに、無限の愛に生きることを命じます。
有限の世界に生きる私たちの愛は、「条件付きの愛」と言われます。
たとえば、「相手の見た目が自分のタイプだから…」「お金持ちだから…」「頭が良いから…」などの理由で、私たちは人を愛します。
しかし、神さまの愛は「無条件」です。
イエスは、そのように人を愛することを私たちに求めました。
「自分を愛する人を愛したからといって、それが何になるのか、そんなことは誰でもやっていることだ。あなたたちは、敵のために祈る者となりなさい。」
敵のために祈ること。それは、有限の愛しか知らない私たちには、不可能なことです。
人々に受け入れられなくて当然かもしれません。
しかし、イエスはあえてそれを求めます。
ご自分の命をかけて、人々に無限の愛を説き続けたのです。
「天の父は悪人にも善人にも同じように太陽を昇らせ、正しい者にも正しくない者にも雨を降らせてくださる。そのようにあなたがたも完全でありなさい。」
神様が、無条件の愛であなたがたを、愛してくださるように、あなたがたも互いに無条件の愛で、愛し合いなさい、と教えます。
そして何よりも、イエスご自身が、私たちを「無限の愛」をもって愛してくださいました。
この恵みを覚えて今日の一日、共に歩む者でありたいと願います。
今朝の敬和