お知らせ

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2024/10/07

今週の校長の話(2024.10.7) 「フェンシング」

【聖書:ルカによる福音書 17章 20節~21節】

ファリサイ派の人々が、神の国はいつ来るのかと尋ねたので、イエスは答えて言われた。「神の国は、見える形では来ない。「ここにある」「あそこにある」と言えるものでもない。実に、神の国はあなたがたの間にあるのだ。

 

 

今週は明日から第3定期テストが始まります。

しっかり、準備してテストに向かって欲しいと思います。

8月に行われたパリオリンピックでは、多くの日本人選手が活躍しました。なかでもフェンシングの活躍に私は驚きました。

出場したすべての団体種目で男女ともにメダルを獲得しましたが、その成功の要因は海外から招いたコーチの指導によるものだといいます。

彼ら、海外からのコーチは、日本人選手を客観的に見ていて、どうすれば日本が国際試合で勝てるチームになれるかを考えぬきました。

今日は、彼らの言葉を私の感想も加えながら紹介します。

 

日本のスポーツ界の良くないこととして、はじめにスタートとゴールを決めて、がんばろうということがある。

人生が続いて行くように、その人のスポーツ人生も続いて行く。

オリンピックは一つの通過点にすぎない。

それなのに日本人は、スタートとゴールをすぐに決めてしまう。

 

私は、これを聞いたとき、日本の学校での勉強に似ていると思いました。

日本の多くの中学生、高校生にとって、勉強の目標は、テストでよい点をとることです。

最終的には入学試験に合格することです。

だから、テストが終われば、勉強したことを忘れてしまう。

本来、勉強や学びは一生続くものです。

テストや入試は一つの通過点にすぎません。

より良い人生を生きるために、人は学ばなければならないのです。

オリンピックも同じです。

オリンピックのために人生があるのではなく、より良い人生を送るための一つの通過点としてオリンピックもあるのです。

 

「日本人選手は強いのに、自分に自信がない。」

それは、日本人は10代のころ、中学・高校で、ほめられないで、きたからではないか、といいます。

ほめると調子にのるから、できないことを厳しく指導することが、日本では良い指導方法と考えられてきました。

一般に、日本の若者は自己肯定感が低いといわれます。

世界の若者の意識調査でも、日本人の自己肯定感は飛びぬけて低い結果が示されています。

アメリカやヨーロッパだけではなく、韓国や中国に比べても低いのです。

 

そんな中で、敬和生の自己肯定感は日本人の平均より、かなり高いのではないか、と思います。

毎週、水曜日の昼休みに行われている祈祷会では、中学の頃は自分に自信がもてなかったが、敬和に来て自分に自信をもてるようになった、という生徒の話しをよく聞きます。

敬和に来て、自分が友達や先生に受け入れられて、自分を出せるようになった、自分に自信をもてるようになった、といいます。

多くの敬和生が、同じような経験をしているのではないでしょうか。

「敬和生は、なぜ、こんなに自信があるのだろう、」と一般の人に言われるほどに、自信をもって欲しいと思います。

 

「日本人は練習時間が長いわりに、練習の強度が低い。」

強度(intensity)とは、強さ、という意味です。

練習でマックスの状態になることが少ない。

日本の中学・高校の部活動は長時間練習がスタンダードです。

長いとわかっているから、選手はどうしても全力を出さなくなる。

力を配分してしまう。

それよりも短時間でも、強度の高い練習メニューを組み立てることで100%の力を発揮できる。

 

明日からテストです。敬和生は、普段、あまり勉強しないで、テスト直前に長時間やる人が多いように思えます。

それよりも、毎日、短時間に集中して、そのなかで自分をマックスの状態までもって行けるような勉強をしてみてください。

そうすれば成績は、かなり上がると思います。

 

「日本人選手は休みをとるのが下手だ。」といいます。

今、日本では働き方改革が進められています。

2024年4月からは「医師の働き方改革」が始まりました。

かつて日本では、滅私奉公(=自分を犠牲にして、国のため、社会や会社のために全身全霊で働くこと)が、美徳とされて来ました。

そのような働き方を改めることが、国の主導で進められているのです。

仕事を大切にしながら、同時に、それぞれ人生を楽しむ方向への転換です。

勉強やスポーツにも、このことは言えると思います。

 

フェンシング海外コーチたちの言葉は、いかがだったでしょうか。

皆さんにとって参考になるものが、一つでもあれば幸いです。

 

今日の聖書です。

「神の国は見える形では来ない。『ここにある』『あそこにある』と言えるものでもない。実に、神の国はあなた方の間にあるのだ。」

 

「神の国」は、天国のように遠く、空の上にあるものでも、人が死んでから行くところでもありません。

それは、あなた方の間、つまり、人と人との関係の中、人と自然との関係のなかにある、というのです。

「神の国」とは、私たちが、人や自然と調和し、生きる喜びを感じられる世界のことです。

それは、遠いどこかではなく、私たちの「あいだ」にある、というのです。

 

毎日の学校生活、そこで営まれる1時間1時間の授業や放課後の部活動、私たちにとって、ここ敬和学園こそが、一人ひとりにとって「神の国」であって欲しいと願います。

今日という一日、それぞれがしっかり学ぶ者でありたいと願います。

それでは、今週の定期テスト、がんばってください。

 

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今朝の敬和