労作日記

被災支援活動

2011/08/18

第1回 被災者支援労作(5月1日~4日)

 敬和学園は今年度、東日本大震災被災者のことを常に意識しながらすべてのことに取り組みたいとの願いを持っています。そこで具体的な活動の一つとして、被災地支援労作を5月から始めました。 
 

 聖書ルカによる福音書10章25節以下に「善いサマリア人」のたとえ話が書かれています。最後の部分に律法の専門家とイエス・キリストのやりとりが次のように記されています。「さて、あなたはこの三人の中で、だれが追いはぎに襲われた人の隣人になったと思うか」。律法の専門家は言った。「その人を助けた人です。」そこでイエスは言われた。「行って、あなたも同じようにしなさい」。この言葉に忠実であるところに敬和学園の人間教育はあると考えています。
 
 

第1回 5月1日~4日 宮城県東松島市東名地区 寮生中心のグループ

 

若ぶなクラス S.K.
 

 3月11日、私が生きてきた中で一番大きな、そして一生忘れることはないだろう大地震が起こった。私はその日から何でもいいからボランティアに行きたいという思いがずっとあった。毎日、テレビで被災地の状況を見せられる中で、何もできない自分とどこか他人事のように日々思っていく自分にいらだちを覚えていった。そんな中、ボランティアに行く事ができた。初めて被災地で見た光景に言葉を失った。一瞬わけもわからず涙が出てきそうになった。何もない。ぐちゃぐちゃ。何も知らなかったんだと改めて実感した。
 だからこそ少しでも知りたくて、元の光景を見たくて、取り戻したくて、一生懸命働いた。
 たった一軒の泥出しかもしれないけど、人の為になってるということに意味があると思った。汚くてもよごれても頑張りたかった。役に立ったかどうかは分からないけれど、ボランティアによって私はとても大切な事を学んだ。この体験・気持ちを文章にうまくまとめて伝えることはできないけれど、来て良かったと思う。
 ボランティアを企画してくれた人、差し入れしてくれて支えてくれた人、すべての人たちに感謝したい。
 おわりに、家を失ったり家族を失ったり苦しんでいたり悲しんでいる人が早く元気になってほしいと心から思う。
 
 

雲仙クラス S.N.
 

 「けっこう揺れたなぁ。」最初に口にしたのはこの言葉だった。完全に興味本位にしか思ってなかったけれど、友愛館に集められて初めて「これは大変や」と思った。その後テレビを見て恐怖がわいてきた。これは自分が思っている様な甘い事ではないと徐々に実感がわき上って来た。何もできない事にもんもんとしていた時に、被災者支援労作の話があり、ためらいなく参加を決めた。被災地に生々しく残っている被害、そして津波の傷痕を目にした時、完全に言葉を失ってしまった。ずれた道路、見渡す限りのガレキ。
 でも何より驚いたのは、被害の差だった。
 信号が点いてないと思うと、次の信号は点いてる。ここは被害が少ないなぁと思うと100メートル進めばガレキの海。こんなに少しの距離、こんなに少しの高低差で普段どおりの生活が送れていると思うと、もう一方はまさに悲惨な状況。これでは普通に生活を送っている人も気疲れしてしまうのではないかと思った。実際に被災者支援労作をしてみると、思った以上にハードで、気持ちが沈む事も少なくなかった。でも作業を続けていくうちに、慣れ始めたのもあって、休憩もあまりしたくなくなっていた。作業は終わりそうにない。せめて一週間あれば、もっともっといろんな人の手助けができたかもしれないのに。
 自然に対して人間は無力でちっぽけな存在にすぎない。だからこそ人間の本当の強さは輝くんだと思う。この大災害を通して神様がきっと「世界でつながろうよ。」と言っているんだと思う。神様は全ての事を益として下さるはずです。もっと世界がつながり、人が優しくなりますように。アーメン。