お知らせ

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2024/07/19

今週の校長の話(2024.7.19) 「私は何者か」~前期終業礼拝~

【聖書:出エジプト記 3章 11節】

モーセは神に言った。「わたしは何者なのでしょう。どうして、ファラオのもとに行き、しかもイスラエルの人々をエジプトから導きださねばならないのですか。」

 

 

昨日までの2日間、今年の生徒会デーは、楽しいプログラムが盛りだくさんで、敬和愛がいっぱい詰まったものでした。

プログラムを企画し、準備にあたってくれた生徒会の皆さん、本当にありがとうございます。

今年の生徒会の活動には目を見張るものがあります。

これからも生徒の力で、一人ひとりが主人公になれる学校を作って行って欲しいと思いました。

 

さて、今日は終業日、いよいよ明日からは夏休みです。

終業にあたり、4月からの3か月半をふり返ってみてください。

1年生は初めてのことばかりで大変だったと思います。

勉強や友達づくりも苦労した人もいたでしょう。

しかし、日を追うごとに自分が成長していることを実感できたのではないでしょうか。

1年生は、とても元気のある学年です。

コロナのために中学ではできなかったことを、高校では挑戦してみよう、そんな意欲を感じます。

そして、今ではすっかり敬和生らしい表情になってきました。

入学した頃の中学生の雰囲気をまとった皆さんではもうありません。

すっかり、高校生らしくなりました。

そして、秋には修養会があります。

1年生にとって初めて実行委員会を中心に、自分たちでつくり上げる行事です。

 

2年生はクラス替えがありました。新しいクラスに慣れることは大変だったと思います。

そして2年生という学年はなかなか難しい学年です。

1年と3年に挟(はさ)まれて、目標が設定しにくいのも2年生です。

しかし、そういう状態のときこそが人間の成長にとって重要です。

2学年という学年をどのように過ごすかで、3年生になってからの自分たちが決まります。

それぞれが目標をもって、明日のために努力してください。

その努力が報われる日は必ず来ます。

秋からは、いよいよ世代交代が始まります。

2年生が学校の中心になります。

2年生のさらなる成長に期待したいと思います。

 

3年生は、すばらしいフェスティバルを作ってくれました。

特に今年のフェスティバルは合唱がすばらしかったです。

全員参加で、あれだけの合唱を仕上げるのはすごいと思いました。

2日目のダンスも各連合レベルが高く、見ていて楽しかったです。

審査員も順位をつけるのが大変だったと聞いています。

各連合、みんながグラウンドで、思いっきり声を出して応援したり、笑ったり、泣いたり忘れられない時間をすごすことができました。

 

エンディングの表彰のとき、私は表彰台の上でそれぞれチーフの方に賞状を渡しました。

チーフの皆さんからは達成感と「やり切った感」が伝わってきました。

3位だったある部門チーフの方は、1位をとれなかった悔しさで泣きながら表彰台に上がってきました。

しかし、賞状を受け取るときは、しっかりと「ありがとうございます」と言って、連合に戻って行きました。

そして、連合のみんなが、あたたかく迎えました。

その光景を見ていて、本当に素晴らしい生徒たちだ、と私は感動しました。

 

この3年生たちの姿は1,2年生の胸に刻まれているはずです。

きっと、来年のフェスティバルを1,2年生が成功させてくれると思います。

これから3年生は、進路に向けて取り組まなければなりません。

言うまでもなく、この夏休みは進路実現にとって重要な時期です。

それぞれ自分の課題から逃げることなく、精一杯、やるべきことに取り組んで欲しいと思います。

 

今日の聖書は、モーセという人が、初めて神様に呼びかけられる場面です。

お話の前後を補います。

モーセは、羊の群れを追って荒れ野に入り、やがて神の山ホレブに来ます。

そこでモーセは不思議な光景を目にします。

茨の木が火で燃えているのに、その木は燃え尽きないのです。

モーセは言います。「道をそれて、この不思議な光景を見届けよう。どうしてあの茨の木は燃え尽きないのだろう。」

神さまはモーセが道をそれたのを見て、炎に包まれた茨の木の真ん中から呼びかけます。

「モーセ、モーセ」。かれは答えます。「はい、ここにおります」。

神さまはモーセに、イスラエルの人々を、エジプトから救出することを命じます。

当時、イスラエルの人々は、エジプトで奴隷として生活していました。

そのイスラエルの人々をエジプトから導きだすという、とてつもなく大きな使命をモーセに与えたのです。

それに対して、モーセが神様に言った言葉が今日の聖書です。

「わたしは何者なのでしょう。どうして、ファラオのもとに行き、しかもイスラエルの人々をエジプトから導きださねばならないのですか。」

 

「わたしは何者なのでしょう」という言葉が印象的です。

モーセは、自分のような者がなぜ、そのように大きな仕事をしなければならないのか、疑問でした。

他にふさわしい人がいるはずだ、と思ったのかもしれません。

それと並んで、「わたしは何者なのでしょう」という言葉には、自分は一体どういう人間なのか、という問いが含まれています。

 

私は何者か、一体、何のために生まれてきたのか、どこから来て、どこへ行くのか、そして自分は、本当は何をしたいと思っているのか。

これらは人間にとって大きな問いです。

モーセは、この問いを、直接、神様に問いかけたのです。

それでは、その問いかけに神様は、何と答えたでしょうか。

神様は言われます。

「わたしは必ずあなたと共にいる。このことこそ、わたしがあなたを遣(つか)わすしるしである。」(12節)

 

神様は、モーセの「自分は何者か」という問いに、直接、答えられません。

神様は、「わたしは必ずあなたと共にいる」とだけ告げます。

2人の問答は、かみ合っていません。

しかし、神様のこの言葉には、モーセの問いに対する答え以上のメッセージが込められているように思えます。

それは次のようなものです。

「モーセよ、私はお前がどういう者かすべて知っている、お前は私にとって大切な存在である、私はどんなときもお前と共にいる。」

このようなメッセージです。

 

明日から夏休みです。私たちの自分探しの旅は続きます。

神様は、私たちが何者であるか、そのすべてをご存じです。

そして、「私はあなたと共にいる」と言ってくださる方です。

いつも私たちの自分探しを見守ってくださっています。

その恵みをおぼえて、共に歩むものでありたいと願います。

 

それでは楽しい夏休みをすごしてください。

新学期、元気な皆さんに会えることを楽しみにしています。

 

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今朝の敬和