自分探しの敬和学園で 人を、自分を、好きになる。
2024/07/08
【聖書:ルカによる福音書 2章 46-47節】
3日の後、イエスが神殿の境内で学者たちの真ん中に座り、話を聞いたり質問したりしておられるのを見つけた。聞いている人は皆、イエスの賢い受け答えに驚いていた。
今日、2,3年生は定期テスト最終日です。悔いのないようにしっかり取り組んでください。
1年生は金曜日でテストが終わり、今日は敬和学園大学へ見学に行きます。
敬和学園大学は敬和生にとって、もっとも信頼できる進学先です。
今日は、大学の先生や高校から進学した先輩たちが皆さんを歓迎してくれると思います。
大学のあたたかな雰囲気を、ぜひ、感じとって来てください。
私は以前、東京、中野にある学習塾で、小学生に算数を教えていたことがあります。
今から40年も前のことですが、当時は今、以上に東京と地方との間に、大きな格差がありました。
その頃、新潟には、学習塾に通っている小学生は、ほとんどいませんでした。
東京都内では、当時から多くの小学生が塾に通っていました。
私が勤めた学習塾は、有名私立中学校への受験を目指す、進学塾でした。
私は勤務して2年目に、その塾の中でも成績の特によい生徒を集めた、小5の特別クラスの担当になりました。
そこで私は、その子供たちの優秀さに驚きました。10歳から11歳の子供が、方程式を用いずに、難しい算数の入試問題を解いて行きます。
地方出身の私にとっては、それまで見たこともない子供たちでした。
問題を解く力もすごいと思いましたが、それ以上に、彼らのもつ素直な明るさ、そして、疑うことなく、まっすぐ新しいことを学んで行く態度に驚かされました。
今、思えばそれは完成された子供の姿です。
子供時代が終わり、思春期を迎える前の一時期、人は完成された子供の姿を現します。
その現れ方は、人によって違いますが、誰もが、そういう時期をもつのではないでしょうか。
この時期、子供は、透明感あふれる、生き生きとした姿を見せるのです。
世の中のいろいろなことを、子供なりに理解します。
時には、大人以上の深い洞察力を示すこともあります。
そして未来に対する期待と明るい予感でいっぱいです。
皆さんも小学校5、6年の頃の自分を思い出してみてください。
そのような年代が、きっとあったはずです。
しかし、その時期は長く続きません。必ず終わりが来ます。
精神的にも、肉体的にも、人はいつまでも、子供ではいられないからです。
日本の伝統芸能に「能」というものがあります。
能面というお面をつけて能舞台で演技するものですが、その心得・稽古について書き記した本に「風姿花伝」というものがあります。
500年以上前に、世阿弥(ぜあみ)という人によって書かれたものです。
その中に、次のようなことが書かれています。
『7才から12,3才までの子役が舞台で演じるとき、何をしてもそこに花があり、観客は喜ぶ。しかし、それは本物の花とはいえない。
それは年齢によって現れ、年齢が過ぎれば、散ってゆく花にすぎない。』
また15才から17,8才頃の稽古については、次のようにあります。
『この年齢の頃は、声変わりもして、立ち姿も悪くなり、子どもの頃もっていた魅力は失われてしまう。観客もその演技に退屈する。
この頃が役者にとって最も苦しい年齢である。
しかし、この時期、たとえ人に笑われても、必死に稽古に励んだ者だけが、一人前の役者になることができる。』
これは、どういうことでしょうか。
子どもの頃もっていた魅力、花は、時がたてば散って行きます。
しかし、散ることのない花、本物の花を咲かせようと思うならば、この苦しい時期に、覚悟をもって稽古に励まなければならない、と教えるのです。
皆さんは今、子供から大人へと、大きく変貌する時期を生きています。
それが、中学・高校の思春期と言われる年代です。
子どもの頃、上手くできていたことが、中学生くらいになると、急にいやになってしまった。
小学校までは、みんなと一緒に楽しくやっていたことが、突然、やりたくなくなった、そのような経験がたくさんあったはずです。
しかし「風姿花伝」は、散ることのない、本物の花を咲かせるためには、この時期こそがもっとも重要だ、と教えます。
思春期をどのように生きるかが、人間の成長にとって大切だ、というのです。
今日の聖書は、13歳の少年イエスのエピソードです。
家族でエルサレムのお祭りに行きました。お祭りが終わり、家族は帰ります。
ところが少年イエスはエルサレムに残りました。両親はそのことに気づいていません。
1日分の距離を行った時、初めて、いないことに気が付きます。家族はイエスを探しながらエルサレムに戻って行きます。
3日後、神の境内で、聖書学者たちの真ん中に座り、話を聞いたり、質問をしているイエスを発見します。人々はイエスの賢さに驚いています。
母親はイエス言います。「なぜこんなことをしたのですか。みんな心配して探していたのです。」
イエスは、母親に連れられて家族の元に戻って行った・・・このようなお話です。
イエスが宣教活動を始めたのは30歳頃と言われています。
13歳の時に示した、この目の覚めるような賢さも、花が散るように、いったんは失われました。
しかし、その後、イエスは思春期とそれに続く青年期に、大工として働きながら、さまざまな経験を積みます。
それによって、決して失われることのない、本当の智恵と勇気が、神様から授けられました。
それは、神に仕え、愛をもって隣人に仕えるという生き方です。
一度は失われた少年時代の賢さが、人と神に対する揺るがない「愛」に形を変えて、30歳を過ぎるころ、イエスのもとに戻ってきたのです。
その後のイエスの活動は、新約聖書に詳しく伝えられています。
私たちも、その恵みを覚えて、今日の一日、共に歩む者でありたいと願います。
今朝の敬和