自分探しの敬和学園で 人を、自分を、好きになる。
2024/07/02
【聖書:ヨハネによる福音書 2章 1-10節】
三日目に、ガリラヤのカナで婚礼があって、イエスの母がそこにいた。イエスも、その弟子たちも婚礼に招かれた。ぶどう酒が足りなくなったので、母がイエスに、「ぶどう酒がなくなりました」と言った。イエスは母に言われた。「婦人よ、わたしとどんなかかわりがあるのです。わたしの時はまだ来ていません。」しかし、母は召し使いたちに、「この人が何か言いつけたら、そのとおりにしてください」と言った。そこには、ユダヤ人が清めに用いる石の水がめが六つ置いてあった。いずれも二ないし三メトレテス入りのものである。イエスが、「水がめに水をいっぱい入れなさい」と言われると、召し使いたちは、かめの縁まで水を満たした。イエスは、「さあ、それをくんで宴会の世話役のところへ持って行きなさい」と言われた。召し使いたちは運んで行った。世話役はぶどう酒に変わった水の味見をした。このぶどう酒がどこから来たのか、水をくんだ召し使いたちは知っていたが、世話役は知らなかったので、花婿を呼んで、言った。「だれでも初めに良いぶどう酒を出し、酔いがまわったころに劣ったものを出すものですが、あなたは良いぶどう酒を今まで取って置かれました。」
世界には「できない」としか思えない問題が五万と転がっています。水を酒に変える魔法のように、パッと解決するなんてこともほとんどありえない。ありえないが、できることはあります。今日の聖書の物語の奇跡はなんだったでしょうか。
イエスが水を酒に変えたこと、いえ、それよりも先に、マリアがイエスを信じたこと。イエスならやってくれると信じたこと。怒らず、妬まず、恨まず、悲しまず、許し信じ切ること。それこそが僕らにできる、最も気高い奇跡ではないでしょうか
その勇気が僕たち一人ひとりに与えられることを祈りましょう。