自分探しの敬和学園で 人を、自分を、好きになる。
2024/07/01
【聖書:列王記上 17章 13節】
エリヤは言った。「恐れてはならない。帰って、あなたの言ったとおりにしなさい。だが、まずそれでわたしのために小さいパン菓子を作って、もって来なさい。その後あなたとあなたの息子のために作りなさい。」
4月に新年度を迎えて、早いもので、いよいよ今日から7月です。
4月からの疲れが出る時期ですが、今週、水曜日からは定期テストが始まります。
力を振り絞って、この一週間、それぞれ勉強に励んで欲しいと思います。
先日、 日本の排他的経済水域(EEZ)内の小笠原諸島・南鳥島(みなみ とりしま)沖の海底で、マンガンノジュールが大量に発見された、という報道がありました。
マンガンノジュールとは、コバルトやニッケルなどのレアメタル(希少金属)を豊富に含むマンガンのかたまりです。
それが2億トン以上、海底に密集していることが、発見されたのです。
コバルトやニッケルなどのレアメタルは、電気自動車の電池に必要な金属で、現在、アフリカや中国など一部の国でしか産出されていません。
それが日本の領海内で大量に発見されたのですから大変なことです。
ニュースの解説者は、これで日本も資源大国になれる、と楽しそうに語っていました。
世界的に供給不足が心配されるコバルトは国内消費量の約75年分、ニッケルは約11年分と推計されます。
ところで、解説者が次のように説明したとき、私は違和感をおぼえました。
「マンガンノジュールとは、海底に沈んだ魚の骨などを核に、数百万~数千万年かけて金属が付着してできたものです。」
私は数学教師なので、数字に反応します。
発見されたマンガンノジュールから取り出されるコバルトは、国内消費量の75年分、ニッケルは11年分。
ところが、海底でこれだけのものを作るのに要した時間は、数百万年から数千万年だというのです。
75年と数千万年、この数字のアンバランスに驚きました。差があまりに大きすぎます。地球が数千万年という長い時間かけて作ったものを、人間が一瞬に消費してしまう、そのような私たちのありかたが目に浮かびます。
しかし、これはマンガンノジュールだけの話ではありません。
石油や鉄鉱石などの資源も地球が数千万年かけて作ってきたものです。
今、わたしたちはそれらを、一瞬のうちに消費して暮らしています。
このような生活が、いつまでも続くとは思えません。
必ず行き詰まる時がきます。
私たち人類は、モノを使い尽くす生き方から、互いに分かち合う生き方へと変わらなければなりません。
難しいことかもしれませんが、そのような大転換を実現しなければ、人類に未来はありません。
そして、生命をはぐくむ地球の自然が破壊されてしまいます。
先日「宇宙から帰ってきた日本人 日本人宇宙飛行士12人の証言」(稲泉連 著 )という本を読みました。
その中の油井亀美也(ゆい きみや)さんのお話しを紹介します。
油井さんは、航空自衛隊のパイロットでしたが、宇宙飛行士となり、2015年7月から5か月間を国際宇宙ステーションですごしました。
油井さんは言います。
「地球の背後に広がる宇宙の闇はあまりに深く、その中に言葉にならないほど美しい地球が浮かんでいる。」
「周囲は真っ暗な死の世界であるのに、地球は生物で満ち溢れている。それなのにその生と死の世界を分ける大気の層はあまりに薄く、簡単に壊れてしまいそうに感じる。あの美しさがその実感を高めるんです。」
「地球では、国と国、民族と民族が争っているが、宇宙から見ると、同じ地球人同士が争い、殺し合っていることが、なんとも悲しいことに思えてくる。」
油井さんのお話しを読んで、私たちも、宇宙から地球を見る視点を、もつべきだと思いました。
それによって、環境問題、戦争や差別の問題について、今までと違った見方ができるようになるのではないでしょうか。
また、油井さんは、宇宙は「教会」に似ている、と言います。
モスクワで4年間、宇宙飛行士になるための訓練を受けた時、何度かロシア正教の教会に案内されたことがありました。
宇宙ステーションから地球を眺めているときの感覚が、教会に入った時の感覚に似ていたというのです。
「教会に足を踏み入れた時、そこに街の喧騒とは異なる静寂な世界があることに胸打たれた。」
イコンや讃美歌の調べ、礼拝の作法に従って静かに祈りをささげる人たち・・・その雰囲気に何か侵し難いものを感じ、ふと「神様というのは本当にいるのかもしれない」と思ったと言います。
「宇宙ステーションから地球を見たときも、同じような感覚を覚えたんです。これほどすごいもの(地球)を創るには、奇跡があるに違いない。」
これらの言葉からは、実際に宇宙から地球を見た人の感動が伝わってきます。
しかし、敬和生ならばこの感覚が、なんとなく分かるのではないでしょうか。
初めて、このチャペルに入ったときのことを思い出してみてください。
私も、このチャペルが完成して、初めて中に入ったとき、本当に驚きました。
こんなにすごいチャペルが、この敬和にできたことに感動しました。
そしてパイプオルガンの響き。
宇宙飛行士の油井さんではありませんが、私もこのチャペルに荘厳な宇宙を感じました。
今日の聖書は預言者エリヤの物語です。
エリヤはある時、幼い息子と二人で暮らす貧しい女性に水を飲ませて欲しいと頼み、パンも所望します。
その時、貧しい女性は、残った最後の粉でパンを焼き、それを食べて、その後、息子と死のうと思っているところでした。
けれどもエリヤは、それでも小さなパンでいいから自分のために持ってくるように言います。
これから、死のうと思うほど貧しい女性に、エリヤは何とひどいことを言うのだろう、と思うかもしれません。
しかし、エリヤは、ここで女性に、わずかなものでも分かち合って行こう、と呼びかけているのです。
女性はエリヤの言葉どおりにします。
パン菓子を焼き、エリヤにもって来ます。
すると、奇跡が起きます。
女性には、その後、食べるのに困らないだけのパンが与えられるのです。
わずかなものを分かち合うことが、私たちにどれだけ豊かなものをもたらすのか、そしてそのことが、絶望していた女性を立ち直らせたのです。
私たちもその恵みをおぼえて、分かち合う者として共に歩む者でありたいと願います。
今朝の敬和